2008年12月31日水曜日
壮年期
長男と娘が同時に就職の時期になった。パパさんは相変らず仕事が忙しくて子供達のことを振り返る余裕がない。就職は子供達がそれぞれ決めるものと考えていた。長男と娘は四つ違いだが、長男が二浪したため短大の娘と卒業が同じ時期になった。
パパさんは娘も四年制大学に入れたかった。
娘は「四年間も勉強したら遊ぶ時間がなくなっちゃう」といって推薦入学の短大に入ったのだ。
長男に相談された。
長男「お父さん、(就職は)どこが良いかな」
パパさん「どこが良いんだ、JRか、設計会社か、建設会社か」と聞いた。
長男「JRは嫌だなー」
一瞬ぎょっとしたパパさん。「何、あ、そーか、俺を見ていたら嫌になるよなー」
結局、長男は希望通り大手の建設会社に就職した。
まだ、バブルのピークを過ぎたばかりの頃で、就職難どこ吹く風の時期でもあり、娘も大手の電気メーカーに就職した。
パパさんは心の底から万歳をしていた。とりあえず、長男と娘の子育てから解放された気分だった。
採用研修が終わると、長男も娘も偶然に仙台地区に勤めることになり、相変わらず家から通勤している。
パパさんは「下宿代を出させろ」とママさんに言っているが、長男も娘も出す気はサラサラないらしい。
家族の生活は、授業料の支払いが無くなっただけで、以前と変わりなかった。
マリオも相変わらずマイペースの毎日だった。
どちらも真面目に働いてね、頼むよ
2008年12月29日月曜日
青年時代
2008年12月21日日曜日
青年時代
色々嫌いなものがあるが、獣医も嫌いである。獣医が嫌いというより、獣医院の雰囲気が馴染めない。注射もそれ程痛いと思わないし、獣医も大体優しい人が多いから治療そのものは気にならない。
体調が悪かったり予防接種などで車に乗って獣医院に行くと、いろんな仲間のペットが待合室にいる。診察の時間までここで待たなければならないが、マリオはこの待ち時間が嫌いだ。犬は勿論、同族の猫もいる。人間のように大きい犬もいれば、マリオより小さな犬もいて賑やかだ。
同族はおとなしく待っているが、犬族は落ち着きがなくかしましい。キャンキャン、ワンワンとうるさくてマリオは身が縮まる思いがする。
大体、猫族と犬族はあまり仲が良くないのが相場になっている。マリオも家出をした時、一度犬に追いかけられて怖い思いをしたことがあるだけに、6帖くらいの待合室に犬と同席する獣医院が大嫌いなのだ。
娘は小さな声で「マリちゃんはお利口さんだね」とささやくが、なんのことはない犬族にマークされないようにおとなしくしているだけだ。
同族にもたまにいるが、往々に犬族は行儀が悪い。大型犬はデンと座って辺りを見回しているが、特に室内タイプの小型犬は行儀が悪い。マリオはしつけができていないペットは飼い主に責任があると思う。甘やかして育てたために、大きくなってから苦労している。
人間の子育てトラブルと同じようだ。
診察室に入るとホッとする。獣医の「どうしました」の一言で安心する。人間の医者嫌いの原因である注射とか薬臭いことは気にならない。
治療を終えて獣医院から出て車に乗ると益々ホッとする。
車の中ではバスケットから出して貰えるので、窓のそばに行って外の風景を見ながら帰宅することが楽しみなのだ。
2008年12月15日月曜日
青年時代
又、眠くなってきたよ
2008年12月6日土曜日
青年時代
長男と娘は大学生で、パパさんは大変である。どちらも私立大だから、授業料が高い。ボーナスは二人の授業料と住宅ローンを合わせると、素通りだとこぼしている。
ママさんもボーナスはほとんど当てにしていない。
次男は転向した中学で、レギュラーにならないけれども挫けずに野球を続けていた。高校に入ったら挽回してやろうと考えていた。 志望の高校は(野球が)弱いから、俺がレギュラーエースになって甲子園に行ってやるという野心を持っていた。
その割に勉強しない。マリオが部屋を訪問するといつもファミコンのコントローラーを持ってチンチン、チンチンやっている。
マリオとしても娘の前例があるだけに気が気でない。ママさんも気が気でない。
パパさんは次男は大丈夫だろうとあまり気にしていない。
それでも私立学校アレルギー(授業料が高い)で「私立だけは勘弁してくれよ」と次男に言っている。
次男は「ウン、分かった」と素直に答えていた。
数カ月後、次男はパパさんの期待に応えられず私立大学の付属高校に入った。
又もやパパさんはガックリきたが「まっ、大学に入る時はエスカレーターだから良いか」と言った。
マリオはパパさんが気の毒になった。
2008年11月30日日曜日
青年時代
2008年11月22日土曜日
青年時代
今まで空き家だった隣の社宅に引っ越ししてきた。パパさんが国鉄本社に勤めていた時の知り合いらしい。
夜になって隣人夫妻が恒例の引っ越し挨拶にきた。パパさんとママさんは「よろしくお願いします」と挨拶している。帰ってから、ママさんが「子供が小さいのね」と言っている。
パパさんは「まだ、若いからな」と答えた。
二三日経って、玄関で遊んでいる女の子にママさんが話しかけた。
「お名前は何て言うの」
「○○」
「アレ、うちのお姉ちゃん(娘)と同じだね」
「一人で寂しいね、おばちゃんのおうちにおいで」と言って三才の女の子を家に連れてきた。
「あっ、おばちゃんのところに猫ちゃんがいるの」
「お名前はなんていうの?」
マリオは大の苦手の子供なので、早々に次男の部屋に逃げ込んだ。
女の子は「横浜のおじいちゃんのうちに猫ちゃんがいるの」と言った。
ママさんは「あーそー、じゃー、猫ちゃんが好きなのね」と聞いた。女の子は「ウン」と言った。
それから女の子は「マリオのおばちゃんのところに行ってくる」と言って、毎日のように遊びにきた。
時々、ママさんは〇才の妹も預かった。
マリオも最初のうちは警戒していたが、来る回数が頻繁で行動が制限されるのも窮屈なため、恐る恐る近寄って見た。
それにママさんが居るのでやや安心感もある。女の子は「マリちゃん」と声をかけるがいじめる気配はなかった。
ママさんが預かった〇才の子は、まだ自由に行動出来ないので居間のソファーに寝せられている。マリオが近寄らない限り問題は起こらないが、マリオは遠くから眺めるだけで、大嫌いな赤ちゃんに近寄る気はサラサラない。
猫に慣れているためか、マリオには優しい姉妹だった。
マリオが子供に気を許したのは、長男の孫ちゃんとこの姉妹だけかもしれない。
後日、会社の運動会で姉妹のママさんが競技に出場するため、パパさんに妹の方の赤ちゃんを預けた。
久し振りで赤ちゃんを抱いたパパさんは、大事そうに抱いて競技を見ていた。通り掛かった若い社員が「孫ちゃんですか」と言った。
「ばか言え、娘だよ」と言いながらパパさんは満更でもない表情をしていた。
2008年11月16日日曜日
青年時代
「マリちゃん、おしっこをしなさい」と言われるが、そんな節操のない躾は受けていない。家族はそれぞれにジュースを飲んだりして、再び出発する。
2008年11月8日土曜日
青年時代
週に一回はママさんにブラッシングして貰うが、長毛種のため毎日少しずつだが脱毛する。その毛は空中に浮遊したり、布類に付着する。毎朝掃除機でお掃除をするが、マリオの毛を一掃できるわけではない。
家族も慣れたもので、家にいる時は全然気にしていない。
特にママさんの方針で家にいる時、家族全員黒っぽい衣類は厳禁である。
被害者はパパさんで、ダーク調のポロシャツを好むがマリオの抜け毛対策のため箪笥に入ったきりである。
お客さんが来た時、ママさんの気の使いようは大変だ。来客が脱いだコート類は決して床に置かない。座布団もテラスで丁寧に叩いてから出す。お帰りの時はガムテープで腰の辺りの毛をとって差し上げるなど至れり尽くせりである。お客さんは恐縮しているが、ママさんは一所懸命だ。
パパさんは意外と無頓着だが、出勤の時は気を使う。ママさんがガムテープでスーツの前から後ろ、さらにはズボンから毛をとる。朝の時間がない時は手早くしなければならない。長男や次男は全然気にしない。ガムテーピング(家族用語、ガムテープで毛を取る行為)する時間もないから毛がついたままで外出している。
娘は女の子のせいもあって、着用する前に洋服を徹底的にガムテーピングする。
お葬式とか結婚式に出かける時は、黒い服なので、家族全員が丁寧にとっている。
さらにママさんはハンドバッグに小さく切ったガムテープを持って行く。式場に行ってから、万一マリオの毛の取り残しがある家族のための対策に必要なのである。
とにかく、我が家ではガムテープは必需品になっている。 外出の身だしなみは、ガムテーピングが最低のマナーなのだ。
黒いシャツが白くなるぞ
2008年11月1日土曜日
青年時代
長男と娘は大学生になって、一応学校に行っている。
問題は次男である。中学一年の終わりに転校したため、中々友達も出来ないらしい。
毎日、不機嫌だった。
盛岡の中学では野球部に入っていたので、仙台の中学でも野球部に入った。
盛岡では二年生になると、投手の準レギュラーになっていて三年になるとレギュラーは確実だった。
どこのクラブも同じであるが、チームワークを考えると中途参入はハードルが高くなる。
転校した中学も案の定、ほとんどのポジション配置は決まっていて、次男のレギュラーへの夢はかなわなかった。
このことに加えて親しい友達と別れてきたことに、次男の不機嫌の理由があった。
次男の部屋はいつも閉められていて、マリオが入るには戸をガリガリと爪を立てて合図するしか方法がなかった。それも中々開けてくれない。
開けても「何だよ」と素気ない。
マリオは無視して部屋に入る。
すると戸をバタンと閉めてしまう。
マリオは次男の足に頭をコツンと押しつけ二三度顔を擦りつけて、ベッドにぽんと上がり、次男を見ている。
次男はぶつぶつ言いながらファミコンをしている。
ファミコンのリズミカルなメロディを聞いている内に、マリオはベッドの上でまどろんでくる。
盛岡時代と何も変わらない関係である。
2008年10月24日金曜日
青年時代
ー仕事始めー
正月が終わると、四日からパパさんは会社に出勤する。
ママさんと娘は朝から大忙しである。朝御飯の後片付けもそこそこに、ママさんと娘は車で買い物に出かける。
どっさり買い物袋を抱えて帰ってくる。マリオは気になってしようがない。
「マリちゃんには前に買ってあげたでしょう」と娘が言うが、確認しないと気が治まらない。キッチンの床に広げられてある買い物袋を一つ一つ確かめる。
ママさんと娘は一日中、キッチンで色々料理を作っている。夕方になるとママさんも気合いが入ってくる。
「早くしないと来るわよ」
ありったけのテーブルを並べて、料理をセットして準備完了する。
一息ついだところに「ピンポーン」とくる。パパさんの会社の第一陣だ。
口々に「明けましておめでとうございます」と言って上がりこむ。ママさんは一人一人応対している。
マリオは取りあえず、次男の部屋に待避する。皆、知らないおじさん達である。
ママさんが「(パパさんが)早く帰ってくれないと困るわ」と独り言をしている。
第二陣、第三陣と来て、その後にちょっぴり酔ったパパさんが「悪い、悪い」と言いながら帰ってきた。ビールの栓が抜かれ、全員で「おめでとうございます」と叫んで、仕事始めのホームパーティが始まる。
総勢三十人近い人数で、社宅にしては広い十五帖の居間と隣り合った八畳の和室が、足の踏み場もないほどである。靴は玄関からはみ出している。
マリオも様子を伺っていたが、頃合を見て会場に行く。
若い社員が「おっ、すごい猫だ」と言っている。
見知らぬ人間には警戒するが、座の真ん中あたりにパパさんが居るから安心できる。それに料理の匂いが気になってじっとして居られなかった。
ママさんが「マリちゃん、駄目よ」と言っているが、美味そうな匂いの誘惑には勝てない。
ママさんは、マリオの毛がお客さん達の洋服に付くのを心配していた。お客さんに「すみませんネー」と謝っている。
マリオはお客さんの間をすり抜けながら、あちこちで料理を貰って満腹になったところで退場する。パーティは夜の十二時近くまで続いて、お客さんは三々五々に帰って行く。
パパさんはすっかり酔って、早々に寝てしまう。
それからが大変である。ママさんと娘は後片付けで夜中の三時ぐらいまでかかってしまう。
パパさんが本社転勤になるまで、毎年正月明けの定例行事だった。
2008年10月19日日曜日
ーモンローウォークー
猫語の代表的なものは「ニャーオ」である。語調によっていろいろな意味がある。「ゴロゴロ」と喉を鳴らすのは、気嫌のよい時か気持ちの良い時だ。
警戒する時や気分を害した時は「フーッ」と喉から声を出す。
闘争する時の「シャーッ」は、相手を威嚇するために使う。体を蛇のように丸めた体形でするので、猫は蛇の親戚のように言う学者がいるが、定かではない。
常に声を出して訴えれば、一緒に住んでいる人間ならば大体の意思は通じるが、マリオに限らず犬に比べて猫類は無口だ。そのために結構態度で示す場合が多い。
こちらが必要な時は鳴いて訴えるが、いちいちニャーニャー鳴いていられない。
猫のボディランゲージは犬のように派手さがないために、その意思を汲むためには注意を要する。マリオのボディランゲージの手段としては、長く太い尻尾を有効に使う。
幼い頃からティールコミュニケーションが得意だったが、家出した時尻尾に負った傷がしばらく完治しないため苦労した。
仙台に引っ越してから、娘が大学の友達から評判のよい獣医院を聞いてきて2回の通院で治ってしまった。
尻尾のかたちで気持ちを伝える。伝える必要がなくても自然とかたちになる場合もある。気分の良い時は直径5センチぐらいに尻尾が膨らんで、歩くときは垂直になる。大名行列の先頭を行くぼんぼりみたいなかたちだ。
普段は床を擦らない程度に尻尾を下げて歩く。これがマリオにとっては一番楽な歩行姿勢なのだ。
垂直の時は相当尻尾に力を入れないといけない。それでも嬉しさを示すために太く真っ直ぐにして歩く。
後ろから見ると、モンローウオークのように尻を左右に振りながら歩くらしい。娘はケラケラ笑うが、気にはしない。
名前を呼ばれた時は尻尾の先を振る。起きていても、うとうと寝ている時も同じ動作をする。うたた寝をしていると、娘は退屈しのぎに名前を呼ぶ。その度に尻尾の先を最小限に振って、聞こえていることを伝えるのだが娘はしつこく呼ぶ。
猫の生命線は寝ることだということを理解していない。煩わしくなるが「マリちゃん」と呼ばれると尻尾の先っぽが無意識に動いてしまう。
尻尾を上げて歩くって難しいんだ
2008年10月11日土曜日
青年時代
ーネバーギブアップー
仙台にきて2年目の夏。例年にない猛暑になった。毎日真夏日の続く熱暑だった。長毛のマリオには地獄の沙汰である。日光浴は大好きだが、そんな暑さでない。家の中で涼しいところを見つけて歩く。
取りあえず玄関のコンクリート。やや快適だけれども、家族が出入りしたり、来客があると落ち着かない。次は浴室。ヒャッとしてマァマァ快適だが、湿っぽいのが玉に傷である。
家族も我慢の限界にきていた。特にママさんは「あなた達は外で涼しいところに居るから良いわね」と言っていた。
強烈なのは娘である。家に帰ると「何、この家は、今ごろクーラーのない家なんてないよ」である。
ママさんはパパさんに訴えた。
「あなたは会社で涼しいから良いだろうけど、(クーラーのない)家に居る人は堪らないわよ」
「何言っているんだ、東京でも我慢したんだから、我慢、我慢、そのうち東北は涼しくなるよ」
ムッときたママさんは「あんたは良いわよ、お酒を飲んで寝る時しか帰って来ないんだから」と言った。マリオもうなずいた。
パパさんはこの言葉にはグラッときた。
猛暑は涼しくなるどころか、8月に入っても治まる気配がない。ママさんとマリオは唯々、耐えていた。
お盆近くのある土曜日、娘の堪忍袋の尾が切れた。
「お父さん、マリオが死んだらどうするの」とパパさんに迫った。
パパさんはお盆が過ぎると涼しくなる、もう少しの辛抱だと考えていたが、長毛のマリオを引き合いにされると弱かった。
「あした買いに行くか」
家族とマリオはしめしめである。
ところが、市内の電器屋は在庫ゼロで、ディスカウントショップをはじめ行く店がことごとくクーラーは売り切れだった。それぐらい凄い夏だった。
パパさんとママさんは諦めかけたが、娘は「ネバーギブアップ」精神を発揮した。
郊外の大型スーパーでとうとう展示品のエァコンを見つけた。取り付けは手が回らずお盆過ぎになったが、念願のクーラーがついた。
ママさんは「マリちゃん、涼しくなって良かったねー」とマリオの頭をなでた。
猛暑は10月半ばまで続いた。
2008年10月4日土曜日
青年時代
ー留守番ー
車を買ってから、やたらと外出することが多くなった。
特にママさんは娘の運転で重宝しているようだ。車を買う時、娘がパパさんに約束したことを、自分への約束にすり替えて「あそこに乗せてって」とか、出先のデパートから「迎えにきて頂戴」とフルに利用していた。
夏休みを前に、ママさんの実家に行く相談をしていた。娘は「皆で行こう」と提案している。マリオは(勘弁して欲しいナー)と思っている。パパさんが夜遅く帰ってきて娘が聞いた。
「お父さん、今度の金曜日盛岡に行かない」
「駄目だよ、仕事があるから」
「フーン」
娘は翌日ママさんと相談して、パパさんとマリオを留守番にすることにした。
かくして、マリオはパパさんと2人(一人と一匹)で留守番することになった。
留守番の初日、パパさんは朝御飯をそそくさと食べたり、マリオに餌を食べさしたりして出勤していった。残されたマリオは自由に廷内探訪をする。部屋の戸は全てマリオが出入りできるように開けていった。家中好き勝手に歩き回り、寝たい時に寝て自由気ままな一日を過ごしていたのである。
夕方になって腹が空いても、朝にたっぷり入れた餌が半分以上残っていて、別に不都合はなかった。さすが夜になると、いつもなら家族が居るのに誰も居ないというのは寂しくて仕方がない。
頼りのパパさんも帰ってくる気配はない。
12時近くに、玄関の鍵がガチャッと音がした。マリオは寝ていたが玄関に出てみると酔っ払ったパパさんがふらつきながら靴を脱いでいた。マリオは(遅いぞ、何していたんだ)という態度で寝ていたところに踵を返した。
パパさんは「おい、マリオ」と呼んだ、ふり向きもしない。
「そうか、寝るか」といって歯を磨いてパジャマの着替えもそこそこに蒲団に潜りこんだ。
翌日の朝も前日同様、パパさんはバタバタと出て行った。マリオの食器には山盛りに餌が盛り上がっている。
その日はどういう訳か、訪問者が多くてひっきりなしにチャイムが鳴った。のんびり寝る暇がないくらい多かった。
ひとりで留守番のマリオは心細くなった。夕方にはママさん達も帰るだろうと心待ちにした。夕方になっても誰も帰ってこない。
さすが夜には訪問者はなくなったが、ひとりぽっちのマリオには寂しさがつのる。
頼りのパパさんは相変わらず帰って来る気配がない。食欲も湧かない。
深夜12時をちょっと回った時刻に、玄関の鍵がカチャカチャなった。
(あっ、パパさんだ)マリオは嬉しくなって玄関に飛んでいった。
ふらふらとしたパパさんが入ってきた。
酔眼朦朧としたパパさんに「おっ、マリオ」と声をかけられた。
「ニャーお」と返事をしたマリオは、本当に嬉しくて、嬉しくて、家中を全速力で走り回りながらお腹が空いていることを思い出していた。
2008年9月28日日曜日
青年時代
大学生になったばかりの娘が自動車学校に行きたくて、ママさんに催促している。
「お兄ちゃんの時は、高校を終わって直ぐに(運転免許を)取らしたのに」
ママさん「そんなこと言ったって、お父さんに言いなさい」
「(免許と車が)あれば便利よ、買い物も楽だし、マリオの病院だってタクシーを使わなくて良いし、(盛岡の)お祖母ちゃんのとこだって車で行けるし」
パパさんは夏のボーナスが出たら、自動車学校に通わせる積もりでいたが、そんなことはお構いなしの要求である。
娘は大学の友達のパパさんが自動車の販売会社にいて、頼むと(中古の)車を安く買える話を聞いて、夏までには運転免許を取りたかった。
パパさんにすれば、娘の私立大学の入学金を払った直後で、とんでもない話しだった。
しかし、娘はくじけなかった。
「お父さん、分割で良いから、学校に通っていい?」
パパさん「しようがないな、幾らかかるんだ」
とうとう、自動車学校に通い始めた。
大学の合間にせっせと通い、2か月も掛からないで運転免許を取ってしまった。
免許を取ると、次はマイカーである。娘は山の上にある大学は通学に不便なことをパパさんに訴え始めた。
マリオはパパさんに同情しながら聞いていた。
パパさんは財布が休む暇がないとこぼしている。
娘は「お父さん、中古だけど安くて良い車があるから」と迫っている。
「見るだけで良いから」と日曜日にママさんも一緒に連れ出して、販売店に出かけた。
パパさんは娘の友達のパパさんと話をしている内に、何となく買う気になっていた。
真っ白いサニーが社宅前の駐車場に鎮座した。
娘は意気揚々と自動車通学を開始した。
長男は「お父さんは、○子に弱いんだから」とひがんでいたが、共有感覚でちゃっかり乗り回していた。
マリオも時々乗せて貰った。
幼い頃に乗ってないので乗り心地は良くなかったが、窓越しに見える街の風景が珍しくて、車の窓にへばりついて乗っていた。
家にいるほうが良いんだけどな
2008年9月23日火曜日
青年時代
ー全国大会ー
日本に学会と名のつく団体が幾つあるか判らないが、パパさんも幾つかの学会に所属している。その中で最大規模のものは日本建築学会である。会員数は3万数千人で日本でもトップクラスのメジャー学会でもある。
パパさんはJRになった年から、仙台にある建築学会支部の役員になった。忙しい仕事の合間を縫って、月に1回の常議員会、担当部会の事業執行やら結構大変だった。
学会活動は学者先生の実績づくりみたいなところで、パパさんがせっせと真面目にしなくても良かった。しかし、パパさんはせっせとやった。これには訳があって、役員会の最初の顔合わせを兼ねた新年会で、同じ役員の大学教授に(国鉄出身の役員は)「国鉄時代は名前ばかりでほとんど出席してくれませんでした」と言われた。
これにはパパさんも恐縮するやら、役員だった国鉄の先輩を恨むやらで、汚名返上の決心をしたのである。
支部役員は好評のうちに2年の任期満了をむかえた。
翌年に学会の全国大会が仙台で開催されることに決定していたため、支部長先生から全国大会お手伝いの要請がかかった。パパさんは無役で手伝うのは立場が弱いという理由で学会本部の役員に立候補して当選した。そして全国大会実行委員会の事業部会を手伝うことになった。
JRは発足と同時に旅行業の登録をしており、学会の全国大会は絶好のビジネスチャンスであった。パパさんは新設された旅行業の担当部所を督励して、社業と学会活動の二足の草鞋をはいた。
全国から数千人が集まるため、切符の手配、ホテルの予約とてんやわんやだった。ホテルは市内でまかないきれず、近傍の温泉・観光地の宿を手配したが、それでも足りず隣県のホテルまではみ出した。
全国大会の初日、恒例のレセプションパーティが開催される。それの実行責任者にパパさんがなった。
パパさんは自分が建設したJRのホテルを会場に選定して、パーティの骨格を作った。参考にしたのが、前年広島で開催された大会だった。
広島では、会場の大学食堂でパーティがあり、あまり華やかな印象は受けなかった。参加者も300人程度だった。
パーティの企画で一番大切なことは、出席者数の予測だ。前年の例から、会場の立地条件を考慮して500人の出席を見込んだ。立食パーティという条件を加味して、ホテルには参加予定者数の0.7掛けで料理を頼んだ。
ここまでは非常に堅実なパーティプランだったが、当日ハプニングが生じた。
会場が駅に隣接して都心という好条件を反映して、パーティ参加者は予想を遥かに上回って、700人強になったのである。受付の指揮を取っていたパパさんもびっくりした。準備した料理の2倍以上の参加者だ。懸命に受付をさばきながら宴会場をのぞくと、熱気むんむんの状態だった。
会費の整理を終えたパパさんが、パーティに参加した時、料理はほとんど無くなっていた。パーティは2時間で終わり、参加者達は談笑しながら三々五々に街へ散った。
会場に残された無数の食器はことごとくきれいになっていた。ホテルのパーティというと料理の半分以上が残っていつもは勿体ない思いをしていたパパさんだが、(料理が足りなかったのではと)ちょっぴり罪悪感にとらわれた。
全国大会は3日間のスケジュールを全てこなして、無事終了した。週末、くたびれたパパさんはマリオと一緒に1日中寝転んでいた。
パパちゃん、疲れたね
大会後の役員慰労を兼ねた会合で、パパさんは実行委員長にパーティの不手際を謝った。
委員長先生からは「いえいえ、(料理が無駄にならなくて)最近にない気持ちの良いパーティでした」と逆に感謝されたそうだ。
2008年9月21日日曜日
ペット愛好家の皆さんに緊急警告!
中国の食に対する危機感は餃子問題に始まり、現在、同国内のミルク問題で世界各国の信用を失墜させています。今度は人間ではなく、ペットにもその広がりを見せています。言うまでもなく、ペットは自分に与えられるフードが何国産か判りませんから無防備です。飼い主が注意するしかありません。
中国産ペットフード米で犬猫急死(読売新聞2008.09.21)
メラミンを巡っては、米国で昨年3月、中国産の小麦グルテンを使ったペットフードを食べた十数匹の犬や猫が急死し、米食品医薬品局(FDA)はグルテンや死んだ猫からメラミンを検出したと発表。
ペットフードを製造したカナダのメーカーが6000万食を回収する騒ぎに発展した。中国の製造会社は、グルテンのたんぱく質を多く見せるためメラミンをぜたという。
FDAは、グルテンなど中国産植物性たんぱく質について輸入時に検査を行い、安全が確認できない場合は輸入を禁止した。
ただ、日本ではペットフ-ドの安全確保についての法規制はなく、昨年6月、問題が発覚した米国でリコール対象となったペットフードが販売されていた例が確認されていた。
青年時代
娘が高校を卒業して仙台の大学に入ったので、仙台に家族全員引っ越しすることになった。
仙台にはパパさんと2年前大学生になった長男と先に行っていたが、家族全員揃うと狭いので、パパさんは今までの狭い社宅から広い社宅に移った。
荷物は10トントラックで行くが、家族は新幹線で移動する。問題はマリオである。
動物は新幹線に乗せられるかという疑問が生じたが、パパさんの一言で解決した。
「ペット用のバスケットに入れて、犬でも猫でも乗ってるよ」という既成事実が、家族の心配を打ち消した。
厳密に考えると駄目だったかも知れないとパパさんは今でも気にしているようだ。
何はともあれ、トラックを追いかけるように翌日の早朝、新幹線に乗り込んだ。最初のうちは、マリオは人込みの中で慎重にしていたが、初めて乗る新幹線に酔ってきた。バスケットの中で、おそるおそる鳴き声をあげた。
そばにつきっきりだった娘が気がついた。小さな声で「どうしたの、マリちゃん」と話しかけた。
娘は「お父さん、マリオが調子悪いみたい」とパパさんに訴えた。
パパさんは一瞬困ったが「よし、デッキに行こう」と言ってバスケットを持って席を外した。娘も一緒にいって「マリちゃん、もう少しだからね」と声をかけた。
一時間足らずであったが、マリオの生まれて初めての新幹線乗車は散々だった。
今までと違う匂いがする。部屋から部屋を匂い探訪したが、家族の匂いはどこにもない。
2008年9月15日月曜日
青年時代
ー恩返しー
パパさんは、仕事以外もいろいろしなければならないことがあって大変らしい。
JR
仕事のための仕事は有り得ない。
そんな状況の中でJR系の新電々会社が東北地域へ事業展開するという噂を聞いて、パパさんが仕事獲得に活動を開始した。新電々会社の友人のつてで、新幹線の線路敷に光ファイバーケーブル通信網を敷設する工事に付随した各地の中継施設をお手伝いすることになり、取りあえずやれやれになった。
パパさんは仕事がないために、数十人のスタッフがぶらぶらすることを一番恐れている。何としても国鉄時代の「余剰人員」という事態にならないようにと頭を悩ませている。改革時の雇用対策を思い出しただけで、ゾッとするらしい。
その後は、JR初の新幹線
山形新幹線“つばさ”
本来の職務のほかに、管理職にはやらなければならないことが多い。部外とのおつきあいだとか、技術部門といえども増収活動であるとか、国鉄時代もお盛んだったがJRになってからも選挙応援の依頼がくる。
特に東北は国鉄改革でお世話になった代議士先生が多い。恩返しの意味もあるのだろうが、パパさんにとって選挙応援はあまり気乗りしない活動のひとつだった。
しかし、総選挙ともなると東北には改革当時運輸大臣だったM先生、労働大臣だったH先生、自民党交通部会長のK先生と目白押しである。
パパさんも応援体制をとる。
パパさんはH先生の応援である。H先生は大臣時代「国鉄職員は一人も路頭に迷わせない」と言って、国鉄改革を側面から応援した古武士然とした老政治家である。パパさんは改革時に苦労した雇用対策を思い出し、恩返しの意味を込めて活動を開始した。
しかしH先生は本人が高齢なため支持者も高齢化していて、戦前より当落が厳しかった。
休日返上である。人を見ると頭を下げた。何人にお願いしたか見当もつかない。
投票当日、テレビの当落が中々出ない。選挙事務所で零時近くに当選確実が放送された時は、何回万歳したかわからないと言う。
その晩、選挙事務所の近くのホテルに泊まったパパさんは、同行した同僚と軽く祝杯を上げた後、ベッドでぼろぼろに痛む歯を夜通し冷やして一睡もできなかった。
マリオはたまに帰るパパさんに頭を撫でられながら、人間社会の複雑さに頭をかしげていた。
パパさん“ご苦労さん”
2008年9月6日土曜日
青年時代
―寒い夜―
盛岡は本州で一番冷え込む。真冬日と称する終日零度以下の日が一冬に10数回ある。日中でもマイナスだから、夜はドンドン気温が下がる。マイナス10度を超えて、最低気温がマイナス20度近い夜も何日か出現する。
マリオは幼い頃、一人寝の環境で育ったため家族に抱かれるのは苦手だ。コタツで膝に抱かれることもあるが、抱いている人間が動くのを見計らって本来の自由なスペースに移動する。
しかし、幾ら強がっても厳寒の夜は別だ。家族が寝た後の居間はしばらく暖房の余熱で暖かいが、夜が更けるに伴い室温が下がる。長毛とは言え、室内暮らしで耐寒訓練は皆無である。我慢の限界がきて、やおら二階の寝室に向かう。
娘の部屋に入り、ベットに上がり枕付近の隙間から布団にもぐりこむ。娘は寝ぼけながらマリオが寝やすいように布団の中にスペースを作ってくれる。娘の体温で温まった空間はまことに暖かい。娘の寝返りに合わせながら小一時間寝るが、そのうち暑くなる。
自分の体温に娘の体温が加わる密閉空間では、暑さと共に息苦しくなる。もぞもぞ這い出して枕の横に顔を出す。娘は枕元に隙間ができて冷えた空気が首あたりにしのび込むため、布団を引っ張る。
マリオは落ち着いて寝られない。抜け出して布団の上で寝るが娘の寝返りと寒さで安眠できない。
次なる手はママさんの部屋だ。パパさんが単身赴任のため広い部屋の真ん中に布団が一つ寂しく敷いてある。枕元から忍び込むと、ママさんは寝ぼけた声で「アレッ、マリちゃん」といってスペースを空けてくれる。
娘に比べると手ごろな暖かさだ。それでも布団に潜り込んでいると、息苦しくなる。ママさんの枕元に顔を出す。まことに快適な就寝環境になるが、うつ伏せで寝ていると息苦しい感じがしてならない。
単身赴任中のパパさんに叱られそうだが、ママさんの大き目の枕の端を拝借して仰向けに寝る。
厳寒の夜は寝不足になるので大嫌いだが、ママさんは湯たんぽ代わりになるので喜んでいる。
2008年8月31日日曜日
青年時代
ー靭帯切断ー
マリオの無愛想な相手だった長男は、仙台の大学に行ってパパさんのいる社宅から通学している。大学では高校時代と同じラグビー部に入った。実力のないクラブで、長男は入部と同時に準レギュラーだった。
娘は高校3年で大学受験を控えていた。
パパさんは長男で懲りているためか「浪人は駄目だぞ、どこでも良いからストレートだ」と言っていた。
娘は危機感ゼロで、推薦で入れるところを考えていたから気楽である。
ゴールデンウィークにパパさんと入れ違いで、兄貴のおさんどんを兼ねて仙台に遊びに行った。
連休の中日の夜に仙台に行っていた娘が泣きながら電話を掛けてきた。
「お兄ちゃんがケガをして入院したの」
パパさんが電話に出て様子を聞くと、ラグビーの試合で右足を靭帯切断したらしい。パパさんはその日のうちに急遽仙台に戻って病院に行った。
お医者さん曰く「巨人の吉村より、ひどいですよ」
手首は浪人時代にマリオが相当鍛えてやったが、足までは気が回らなかった。
もっとも足を鍛えるには、マリオの猫キックぐらいでは人間のやるラグビーのタックルに対抗できるわけがない。
2ケ月入院して無事退院した。膝の骨の回りに金の輪が入っているらしい。
心配した後遺障害もなく、けがをする前より真面目になって、元気に学校に行っているようだ。
2008年8月24日日曜日
青年時代
―ライセンスー
マリオが家族の一員になってもう少しで二年になろうとしていた。家族はマリオが居るのは当たり前で、家族構成の重要な位置を占めていた。子供たちは勿論、ママさんもマリオ抜きでは考えられない生活感覚になっていた。
一つだけママさんの気がかりはマリオがペット屋から連れて来た時、娘が「血統書付きなんだよ」と言っていたことだった。血統書は後から届くと思っていたが、二年近く経ってもその気配はない。
ママさんはパパさんに言った。
「お父さん、マリオの血統書は何時来るの?」
「あっ、そう言えば、ペット屋はすぐ届けると言ってたナー」
パパさんはその日に電話した。ペット屋も忘れていましたと言って一ヵ月後に、晴れてマリオの血統書が届いた。身体的な特徴から詳しく表現された血統書は額に入れられて娘の部屋に飾られた。
休日に帰ったパパさんが血統書をまじまじと見て気がついた。性別がFEMALE(雌)だった。パパさんはママさんと娘にそのことを言った。
(血統書を)「取り替えて貰うか」
ママさんと娘は「そんなこと、どっちでも良いわ」と言った。
ママさんと娘にすれば、マリオは去勢したから雄でも雌でもない存在だが、それ以前に家族としての存在感が強く性別はどうでも良かった。
ママさんと娘は性別よりマリオが紛れもなく正統なペルシャ猫であるというステイタスが大切だった。
翻って、パパさんは国鉄時代に比較すると一人六役の仕事をこなしながら、国家資格取得に熱心である。決してライセンスマニアでないが、訳があった。官は組織依存で仕事ができるが、民間は社員個々の能力が問われる。そのためパパさんは部下たちに資格取得を熱心に督励している。
督励するだけだとインパクトがないと思ったパパさんは自ら率先して受験する。その結果として合格する。
一級建築士は国鉄に入ってすぐに取ったらしいが、マリオが来てから技術系としては最難関の技術士も取った。国鉄時代は無視していたライセンスに次々とチャレンジして、部下たちへ模範を示す積りが両手で数え切れない資格保持者になった。
社外の人から「お忙しいのに?」と不思議がられるらしいが、パパさんはけろっとして「試験は集中力ですよ」とさりげなく応えている。
マリオは生まれついての正当ペルシャ猫であるが、猫社会ではあまり価値がない。
飼っている人間の満足感が優先するライセンスなのだ。
2008年8月14日木曜日
青年時代
ー木登りー
家の庭は結構広くて、パパさんが色んな木を植えていた。家を建ててから六年経過していたから、同時に植えた木は結構な大きさに成長していた。庭に出るのが好きだったマリオは、教わることもなく木に登ることを覚えた。
特に好きな木は、人間の背より高いライラック(リラの木)と普源桜だった。
普源桜には時々原色のきれいな毛虫がいて、足でからかうとピリッと刺される。刺されると足がピリピリとして、体の調子が悪くなる。時には一日中体調不良になってしまう。そういう時は、刺された足をせっせと舐めるが時間が経たないと治らない。
それでも懲りずに木登りをする。
猫は高い所に登るのを好むが、同類の豹も木登りが得意である。とにかく高い所に登ると世の中が良く見えるし、安全なのである。
いつも下から見ている家族も、木登りをすると見おろせる。
最初の頃は登ることしかできなかった。降りたくなると、鳴いて頼むしかなかった。その度、パパさんが脚立を持ってきて降ろしてくれた。
そんなことを繰り返している内に降り方も覚えてしまった。しかし、具合の悪いことに庭に出る時は首輪をつけられるので、登った通り下りないと紐が絡んで首吊り状態になる。
そんな経験を積んで木登りする時は、家族が近くにいる時に登るように心掛けている。
ベランダや屋上も高くて良いが、やっぱり木の上はちょっぴり野生の本能をくすぐられるし、庭の王者になったような優越感がなんとも言えない。
2008年8月9日土曜日
青年時代
ー語録ー
国鉄からJRになって、最大の課題は社員の意識改革だった。そのために各職場ではいろんな工夫をした。「官舎」は「社宅」になった。「…殿」は「…様」に変えた「業者」という表現は「会社」と変更した。一番大事な「お客さん」は「お客様」に統一した。「国鉄規格」は、一般的な規格にどんどん変えていった。
電話の応対もつっけんどんスタイルから、部署名・氏名を名乗る習慣に切り換えた。接客も国鉄時代の「乗せてやる」式を「お客様第一」主義にした。
パパさんの職場は建設技術部門だったため、ほとんど接客の機会はなかったが、それでも外部との接触には気を使った。
パパさんは職場全員のコミュニケーションのために朝礼をすることにした。
全員で「社是」を復唱してから、長であるパパさんがスピーチをして、当日のスケジュール等を連絡する。その後に社員が毎日交替で一人ずつ1分間スピーチを義務づけた。
当初は非常に不評だったらしい。ボスでない社員が全員の前でスピーチをすることは、国鉄時代にはほとんど機会がなかった。
それでも慣れてくると、それぞれ漫談調あり、説教調あり、反省調ありのバラェティに富んだ内容になり、結構楽しいものになった。
パパさんのスピーチは、意識改革調で口癖は「課内より課外、社内より社外」と「電話は3回以上鳴らすな」の二つである。「課内より…」は組織内志向ではなく、社会全般がどのように考えてどのように動いているかという外部志向の意識を持って欲しいという意味が込められている。
過去に「国鉄一家」と言われ、40万人の巨大組織が崩壊した苦い体験が、パパさんに言わしめている。
「電話は3回以上…」は当然だが、連接電話のためベルが鳴っても(誰かが取るだろう)というもたれ合い姿勢を戒めるものだ。社内外ともに電話になかなか出ない相手は好感の持てるものではない、というパパさんの意識が部下社員を督励している。
人間の気持ちはスタイルが変わったからといって、簡単に切り換えられるものではないが、諦めず繰り返し語ることによって少しずつでも社会から好感を得られる企業体質にしていきたいとパパさんは考えているらしい。
マリオは、子供達と生活しながら(子供達が)真っ直ぐスクスク育つことを無意識に望んでいる。
ー赤ちゃんー
マリオは赤ちゃんが嫌いだ。総じて幼い子供には恐怖を感じる。
これは、家出をした時に見知らぬ家に幽閉されて、小さな子供に虐待された(子供は子供なりの愛情表現だったかも知れないが)体験が尾を引いていた。
子供にいじめられるだけなら反抗すれば気が済むけれども、その行為をこっぴどく叱られ殴られるという理不尽なことが恐怖だった。
ママさんに抱かれて外に出ると近所の小母さんが赤ちゃんを抱いて「アーラ、可愛い猫ちゃん」と言って接近してくる時は、全身の毛が逆立ってくる。
威嚇するどころではなく、ただちに逃げ出したくなって、ママさんの肩に爪をミリミリと立てて背後に回ろうとする。
何もされなくても、ともかく小さな子供を見ると恐ろしくなる。
家族以外の人間には多少警戒心を抱くが、小さな子供はそれ以前の問題なのだ。
「マリちゃんは、赤ちゃんが嫌いだよねー」と言って、家族はマリオが小さな子供には絶対いたずらをしないと安心している。
いたずらどころかマリオにとってはこの世で一番恐ろしく、かつ近寄ってはいけない存在が、赤ちゃんなのである。
そんな気持ちも知らないで、パパさんは2週間にわたるマリオの家出の成果として(その内、マリオに似た子猫が出てくるかもしれないな)と期待していた。
2008年8月2日土曜日
青年時代
ー子供達が気になるー
避妊手術はお尻に注射をされて、スーっと意識がなくなって気がついたら終わっていた。 家に帰ってから患部が気になり、しょっちゅうなめていた。
傷が治り、普段の生活に戻ったが、どうも以前と違う。家出した後も外の仲間達が気になって仕方がなかったが、手術をしてからは「アー騒いでいるな」という程度の気掛りである。
頭の中のモヤモヤが無くなった。平穏な日々が続く。餌を食べて寝るの繰り返しである。夜もぐっすり。深夜のオペラは歌う気にもならない。恋を謳う歌手廃業である。
食っちゃ寝の結果、体重は六キロになった。白い長毛と首回りの毛がふさふさとして堂々たるペルシァ猫になった。
それにしてもこのままでは退屈だ。いつも一緒のママさんは家事で相手をしてくれない。パパさんは週末しか居ない。高校生の娘と中学生の次男は夕方でないと帰って来ない。
いつも家に居るのは大学浪人の長男だけだ。マリオが幼い頃は予備校に通っていたが、二年目から家で勉強している。勉強しているといっても、マリオがくぐり戸から入ると寝ているか、ステレオをボンボンかけている。
ママさんが外出したりすると、家に居るのは長男だけになる
仕方がないからママさんが帰るまでは長男の部屋にいることにした。
無愛想であるが、気が向くと相手をしてくれる。さらに気が乗ると本気になる。
最初は手でジャラシているが、はずみで爪を立てるので、手をシャツの中に入れてしつこくジャラシてくる。
必死に対抗しているうちに、噛みつきや後ろ足の猫キックでお返しをしてやる。マリオもいい運動になるが、長男の着ているシャツの袖口はボロボロになる。
長男はママさんにいつも「やめなさい」と叱られているが、部屋に行くと同じだ。
たまに勉強しているところに行くと見向きもしないが、かたわらに座っていると数分後には、手をシャツの袖口に引っ込めてじゃらしが始まる。
マリオは受験勉強のストレス解消なのかもしれないと思い、噛みつきや爪立て、猫キックでたっぷり応酬してやる。
2008年7月26日土曜日
青年時代
―猫の民営化―
パパさんの会社は親方日の丸(国営)から株式会社に変わった。単身赴任のパパさんは忙しそうだが、結構張り切っている。
人間社会の仕組みはよくわからないが、猫の社会は二つに分類される。ペットとしての飼い猫と飼い主の居ない野良猫だ。ひと昔前は飼い猫でありながら天下往来自由の猫も居た。
日本が貧しく、社会の施設が整備されていない時代は病害虫も多かった。一般家庭の天敵にねずみが居た。そしてねずみの天敵が猫だった。猫は人間の住む家にある食物を狙うねずみを退治する大事な役割を持っていた。さらに、捕まえたねずみは猫の食料になった。猫を飼っている人間にとって一石二鳥の存在だった。
豊かな国になった日本で現在、猫はペットとして犬に対抗するペットの代表選手になった。犬は狂犬病という人間に危害を与える病気があるため、完全に管理された形の存在になり、野良犬という存在は無くなった。
猫は体が小さいということと人間に危害を加える場面が少ないこともあり、野良猫という存在がある。天下往来を自由に行き来してうらやましい存在だ、反面、生きるための餌は自分で調達しなければならない。
これに飼い主に捨てられた捨て猫という種族が加わる。野良猫より捨て猫の方が生きる環境は厳しい。街では食べ物を手に入れるのは難しい。日本が貧しい頃、魚を食わえて逃げる猫の風景は見られなくなった。ごみ収集方法の徹底で生ごみを漁ることもできない。
野良猫同士の同士の闘争も激しい。猫には特有の猫エイズがある。野良猫のエイズ保菌率は七〇%を越えるといわれている。猫エイズは生殖行動の接触より闘争の際に感染する。ただし、人間には感染しないので無罪放免になっている。これが、人間に害を与えるとなると野良猫の現在の平和な環境は一変するに違いない。
飼い猫の寿命は十五年ぐらいだが、外猫の平均寿命は猫エイズのせいもあり五、六年だ。過酷な生存環境は望むところではないが、マリオも自由を求めて家出をした。しかし、半月間のひもじさは大変なものだった。
家に戻ってホッとした思いは今でも忘れないが、性懲りも無く自由に対する未練はまだ残っている。
マリオは親方日の丸と民営会社の違いはよく判らないが、野良猫的な生きる工夫がパパさんたちに求められているのは間違いない。
2008年7月19日土曜日
青年時代
ープライドー
家出から帰った翌日、早速ママさんと娘に獣医院へ連れて行かれた。前日シャンプーして貰ったとはいえ、体中傷だらけである。特に、首と尻尾の傷は相当深かった。
獣医はマリオを見るなり「オヤ、放し飼いにしているんですか」と聞いた。
ママさん「イエ、室内なんですが、二週間ほど逃げて昨日帰ったんです」
獣医「アー、人間と同じ年頃ですからね」
「それにしてもこの傷はひどいね」
そんな会話を聞きながら、マリオは慎重にしていた。
一通り治療が済んで、獣医がママさんに話しかけた。
「この猫ちゃんは血統書つきですか」
「はい」
「子猫を増やすんですか」
「イイエ」
「増やさないんっだったら、去勢した方が良いですよ」
ママさんはにわかに理解できず「はぁー?」と言った。
獣医「避妊手術ですよ、避妊!」
ママさん「……」
獣医「そうした方が、盛りになっても外へ出ようとしませんから」
ようやく意味が判ったママさんは「今日ですか?」と聞いた。
獣医は傷が治ってからが良いと答えたため、その日は無事に帰ることができた。
週末にパパさんが帰宅して、家族会議が始まった。ママさんと娘は避妊派である。長男と次男はノンポリを決め込んでいる。
パパさんは折角の血統書付きの種を放棄するには若干抵抗があったが、マリオの脱走中に娘の落ち込み様を見ているだけに、やむを得ずとの結論になった。
かくして「去勢裁判?」は実行の決定が下された。
半月が経過して、ママさんが朝から普段以上にてきぱきと家事をこなしてから、
「さてと、マリちゃん、病院に行くよ」と言った。バスケットに入れられて獣医院に向かった。傷も回復していたマリオは病院に行く意味を理解しかねていた。
獣医院の待合室で不安を感じたマリオは、何となく「フーっ」と威嚇した。
これから何が起こるか判らないが、避妊手術を受ける前、マリオのプライドが本能的に行動させたのかもしれない。
2008年7月11日金曜日
青年時代
ーWANTEDー
マリオが家出をしている間、家では家族総出(パパさんは単身赴任のため週末のみ)の捜索が続いていた。家族全員、日中でも外を歩くと白い猫が居ないか、と目を光らした。
二週目の週末、帰宅したパパさんが娘と捜索ポスターを作った。
ポスターを昼過ぎに自宅の前や公民館、近くのスーパーの掲示板などに貼り出して、夕食後、猫の夜行性を頼りにパパさんと娘は懐中電灯を持って徹底的な捜索行動にでかけた。捜索は深夜十二時まで続いた。
公園で一匹の猫にあった。娘が頭を撫でてやると気持ち良さそうに喉を鳴らした。
娘はその猫にお願いした。
「ねー、マリちゃんがいたら、帰るように言って」
翌日の日曜日も朝から捜索開始。家出をしてから二週間以上経っていた。家族全員なかば諦めながらの探索である。
一日中、町内を探しても見つからない。日が暮れたので家族全員、重い足を引きずって取りあえず家に戻る。
夕食を済まして、庭をぼんやり見ていた娘が悲鳴に近い声をあげた。
「アッ、マリオだ」
パパさんが「何を言っているんだよ」と言いながら娘の側に行った。
マリオは庭の木の根元にしゃがみ込んでいた。
「アッ、マリオだ」
「皆、来い」
「アッ、本当だ」
家族総出の捕獲作戦が開始された。
パパさんは裏庭、ママさんはテラス、長男、娘、次男の三人は庭に面する道路とマリオのいる庭を取り囲んで万全の体制がとられた。
パパさんは昆虫網まで取り出した。
ところが、マリオはいとも簡単に娘に捕まった。逃げる意思など、とんと無かったのだ。首や尾の傷の痛みに加えて、背に腹がつきそうな空腹の中で、幼い頃の我が家を思いだし必死の思いで辿り着いたばかりだった。
「マリちゃん、よく帰ってきたねー」と言って、ママさんと娘は涙を流した。
ママさんに体を拭かれながら、喉をコロコロ鳴らした。
娘が「マリちゃん、お腹が空いてんだろう、お食べ」
食べ慣れた懐かしい味のペットフードが腹中に漬みた。
満腹になったところで、次男が「お母さん、マリオが臭いよ」と言った。
「そうだ、シャンプーしなくちゃ」ママさんと娘に浴室に連れて行かれた。
嫌いなはずのシャンプーも心地良かった。 ドライヤーで乾かして、首と尾の傷に軟膏を塗って貰った。
ソファーに敷いて貰ったシャンプー専用の電気座布団の上に座ると、ポカーっと暖かくて満腹感と安心感と疲れがどっと出てきた。
ママさんと娘が「明日、病院に連れて行かなくちゃーね」と話している。会話を聞きながら、マリオは夢の世界に吸い込まれて行った。