2009年3月11日水曜日




ー制服の怖さー



 パパさんが本社に転勤して三年目の春、東京でどえらい事件が発生した。



 宗教団体(オーム真理教)の暴走による地下鉄の車内へのサリンを散布した事件だ。死傷者が大勢出た。想像もしない事件だった。



 その事件の余波で、各交通機関は自衛措置としてガードマンや社員による警備をはじめた。


パパさんのいるJRも実施した。最初は現場機関で実施していたが、本社部門も応援することになった。
 パパさんは警備割当ての担当者に「俺達クラスが暇なんだから、(警備当番を)割り当てろ」と言ったが無視された。しばらくして、パパさん達も警備の応援に行くことになった。



警備をした場所は東京駅である。一日のお客様が百万人を超える大ターミナルである。接客現場のため当然のこととして制服・制帽を着用する。



普段のスーツと違って制服を着ると気が引き締まるらしい。警備の腕章をつけて駅構内を巡回する。



 普段はスーツを着て、お客様のような振りで通り過ぎている駅が違うものに感じた。職業意識を意識させる制服の威力である。



 駅を利用するお客様もサリン警備で駅員が巡回していると思っているから、色々な質問を受ける。特に、外人の質問は大変だ。



 待合室を調べていると、人の良さそうなおばさんが近寄ってきて、声を落としながら「チョットチョット、あそこに居る男の人が怪しいのよ」と親切に教えてくれるが、パパさんも困ってしまう。まさか単刀直入に「あなたは怪しい」などとお客様に言える訳がない。しばらく遠くから様子を見ていると、親切なおばさんは安心したのか姿を消す。



 駅にいる何万人のお客様を怪しいと思ったら、際限がない。



 「女性のトイレに堂々と入ったのは初めてだよ」と言っていたが、駅内をくまなく巡回する。女性トイレの見回りは女性のお客様に怪訝な顔をされるらしいが「巡回警備です」というと納得して貰えるらしい。それだけサリン事件は脅威だった。



 その日(厳密には夜)警備場所を移動すると、コンコースの真ん中に液体が漏れて破れたビニール袋があった。



 お客様は迂回しながら通り過ぎている。パパさんと相棒はその袋を見てドキッとした。テレビに何度も映しだされた袋に似ている。



逃げる訳にはいかない。



次々と切れ目なく通るお客様をう回通行させながら、恐る恐る近寄ってみる。異臭はないし、水のようである。持参した棒でちょっと引っ張って見る。毒物ではなさそうだと、意を決してビニール袋を拾い上げる。



 安心はしたもののしばらく恐怖は去らない。



 その時、パパさんはサリン事件で殉職した地下鉄の助役さんのことを考えていた。制服を着てお客様に接していると、我が身をかえりみずに(お客様のために)行動する心理が良く理解できる。



職業意識とは言え、制服の怖さである。



 その点、猫族は何があっても危険を予感すると決して近寄らない。君子(猫)危うきに近寄らずである。人間に生まれなくて良かったとマリオは思った。


                     サリン事件地下鉄現場


2009年3月10日火曜日

壮年期



ー何じゃこれはー

 マリオの好物はいろいろあるが、海産物系で大好物が蟹とエビである。

 娘も心得て缶詰のペットフードでエビいりを買ってくる。高いらしくて10個のうち1個か2個ぐらいしか買ってこない。マリオが食欲のない時の切り札だ。ペットフードの缶詰で蟹入りはない。蟹は猫の健康に良くないらしい。それでもマリオは大好きだ。

 時々、パパさんの札幌に住んでいる友達から蟹が届く。

1年に1回、パパさんやママさんの実家からも蟹が送られてくる。

その時はマリオもご相伴できる。

 娘は「マリちゃん、あまり食べちゃ駄目よ」と注意するがマリオは馬(猫)耳東風である。


 たまに活きたままの蟹が届くこともある。
 ママさんは「マリちゃん、活きてるよ」と言って見せてくれるが、形が悪くて触る気にもならない。


これがあの美味い蟹であるとは想像もできない。
蟹はふっくらとして小さい桜色のバナナのような形が最高なのだ。


 エビは家庭料理でちょくちょく出てくる。
 ママさんはマリオ用に茹でただけのエビを三匹ぐらい特別に作ってくれる。この方が缶詰よりずっとずっと美味である。


 たまに、パパさんの四国の友達から車エビが送られてくる。おがくずの中に入っていて、全部生きている。

 ママさんと娘がキャッキャッしながら、箱から取り出す。マリオも何をしているんだろうとばかり、2人の足元で見ていると、娘が「マリちゃん、面白いよ」と言いながら、2匹つまんでマリオの目の前に置く。全然動かない。


 黒茶色の半分丸まったような形をしている。見ると輪の内側の列をなした小さな虫のようなもの(足)が微かに動いている。さらに、輪の太い先端にあるマリオのヒゲのようなものがゆらゆら動く。

マリオは気持ちが悪かったが、折角娘が置いてくれたのでちょっとだけ手を掛けてみた。
その途端、車エビは30センチぐらい飛び上がった。

マリオも瞬間的に1メーターくらい後ろに飛び跳ねた。腰が抜けるほどびっくりした。

 ママさんと娘はげらげら笑っている。

マリオはいつも美味にしているエビとは知らず、「何じゃ、これは」とばかり尻尾を太くして遠くから眺めていた。

 その日の夜マリオは、ママさんが茹でてくれた「何じゃこれは」を美味しそうに食べていた。






2009年3月9日月曜日

壮年期

―またたびー



盛岡時代からマリオが元気が無いと、ママさんがまたたびを預けてくれる。

マリオはまたたびが大好きだ。


最初の出会いは、小さい頃下痢が止まらなくて衰弱気味になった時、ママさんが手に入れてきたが、そのときは体調が悪くて見向きもしなかった。


下痢が治って数日経った頃、再びママさんが「マリちゃん、これ、どう?」と預けてくれた。


体調が完全に回復したマリオはまたたびの匂いに無我夢中になった。

かじって見たり、なめたり、寝そべってじゃれたり一時間ぐらい遊ぶ。


遊んだ後、気持ちがフォアンとする。どうも病みつきになりそうだ。

しばらくホンワカした気分が続く。

よくわからないが、体調も良くなったような気がしてならない。

パパさんが毎晩飲んでくるお酒と似たような雰囲気だが、マリオは猫の妙薬として時々ママさんにおねだりしている。




               ちょっと、酔っ払ったかな?

2009年3月8日日曜日



 パパさんの実家は岩手県の沿岸地方である。

 昔、陸奥の国と言われた時代に海産取引が盛んだった地方で、今でも黒潮と親潮のぶつかり合う魚群の豊富な三陸海岸の中心地だ。

 港町の宮古でパパさんは多感な高校生まで過ごした。

 古い時代から関西との交易が続き、方言や訛りも京都風な特徴がある。ひょっとして、宮古という地名も京の都をもじって付けられたのかも知れない。

 当然、パパさんのママさん、すなわちお祖母ちゃんは宮古に住んでいる。盛岡時代は時々泊まりに来たが、一週間ぐらい居るとそわそわして帰りたくなるらしい。

 娘が「お祖母ちゃんの部屋もあるのに」と言っても住み慣れたところが落ち着くのかもしれない。

 マリオも頼りになるパパさんのお祖母ちゃんだから親しくしてやりたいと思うけれども一緒に生活していないので気持ちと裏腹にどうしてもよそよそしくなる。

 お祖母ちゃんも動物好きでマリオがお気に入りなのだが、肝心のマリオが打ち解けられない。「マリちゃん、マリちゃん」と声をかけても、知らん振りである。

 そのお祖母ちゃんは仙台に引っ越してから孫である長男の結婚式で一度来ただけで、その後は来ていない。

 あるとき、パパさんの本家(お父さんの実家)から電話があって墓所を改装するという。

 そこにはパパさんが小さい頃亡くなったお父さんのお墓もあって、この際だからと独立した墓を建立することになった。

 宮古の菩提寺は華厳院と称して、史実によると東北の藤原三代の時代に源為朝のご落胤である息子の武将が父のため建立したという由緒ある名刹であったが、お祖母ちゃんとも相談して自宅のある盛岡のお寺に墓所を建てた。

 墓所選択にはママさんの「宮古に建てるとお祖母ちゃんや私達が亡くなったら誰も(子供達が)お参りに行かなくなるわ」という意見もあって、盛岡に決定した。

 パパさんは自分でデザインして洋風のお墓を建てた。

 墓の建立供養の時、和尚さんはお経をあげる準備をしながら「こんなお墓は始めてだなー」と言って感心していた。

 パパさんは一般的なジャパニーズスタイルの墓碑も悪くはないと考えていたが、寺の境内の墓所を見ているうちに考えが変わったらしい。

 同じ形の墓石が並んで個性が感じられない。

 墓とはいえ、死者の家である。墓にもデザイン的な主張があって、存在感が欲しいと考えた。そのため標準の和風の墓碑よりお金もかかったらしい。

 これから増えるかもしれない孫達が、英語に親しむようにと墓碑の中段に英文を刻んだ。

”BY THE FAMILY
   FOR THE FAMILY
     OF THE FAMILY“

 ママさんは「(孫達が)ハイカラなオジィちゃんだったと思うだろうな」とつぶやいていた。子供達の反応もまぁまぁで、とくに苦情はなかった。

 次男だけが「リンカーン(アメリカの大統領)の真似をしたな」と言っていた。

 その日は法事に出席した親戚全員を近くの温泉旅館に連れて行って、墓の建立とお祖父ちゃんの五〇回忌法要の慰労会をした。

 その頃、マリオは仙台の家でひとりぼっちで留守番をしていた。
            みんなどこへ行ったんだろう?