2009年3月28日土曜日

老境




ー住宅問題ー

 当然だが会社を退職すると社宅には居られない。一般的には退職前に自宅があるのが普通である。ところがパパさんにはその準備がなかった。

 パパさんは退職したら自宅のある盛岡に戻る積もりだったが、系列会社に出向してそのまま転職したため、勤務地の仙台には(住宅を)考えていなかったのである。

 当然、受け入れ要請のあった出向先の会社で考えてくれると思っていたが、その会社は通常のOB社員と同じに考えていたため社宅は準備しなかった。パパさんは激怒した。

 会社の幹部を呼びつけて、「来て欲しいと言いながら、(住宅を)準備していないとは何事だ」と怒った。

 会社は慌てて自社保有のマンションを呈示したが、古い、汚い、狭いの三拍子揃ったもので、家族四人と一匹が住むにはほど遠い代物だった。

 パパさんは街を歩くと不動産屋をせっせとのぞいた。中々適当な場所、適当な家賃の物件が見つからない。たまに適当な物件が見つかってもペットお断りだ。

 家族にも危機感が出てきて、娘はアパマン情報を買ってきて色々物色していた。

 ゴールデンウィークはどこかに旅行でも考えていたが、レクレーションどころではなかった。娘の運転でパパさん、ママさんが不動産屋を回り、賃貸物件を見て歩く。しかし、いずれの物件もマリオの存在が問題だった

 散々なゴールデンウィークでパパさんは怒り心頭に達していた。

 「何でこんなことになるんだ」と思い、真剣に(今の会社を)辞めて盛岡に行こうと考えていた。


パパさんは自分が役職定年まで勤めたJRに社宅にいて(住宅が見つからず)迷惑を掛けていることを気にしていて、やりきれない思いでいた。


 ある朝、ママさんが「お父さん、これはどうかしら」と一枚の新聞のちらしを出した。中古マンションのオープンセールのちらしだった。


 パパさんは仙台には三年居たら盛岡に帰る予定だったので、住宅を買うことは眼中になかったが、マンションは社宅の近くだったので、日曜日の午後、家族全員で見に行った。

 都心にあったが周辺に緑が多く構造的にもしっかりしていて、共用部分の管理もいき届いていて感じの良いマンションだった。ママさんはレンガ調の外観が気に入っていた。

 オープンルームは綺麗に掃除されていて、三LDKの標準的な間取りだった。

 住宅探しに辟易していたパパさんは即刻決心した。

 「買おう」

 ママさんは一瞬びっくりしたが、ホッとしながらもどこをリフォームするか部屋から部屋を見て歩いた。

 そのマンションの管理規約も御他聞にもれず、(ペットお断り)だったが、室内犬の鳴き声が所々でしていて、そのことがパパさんの決断の最大原因であった。

                マンション




2009年3月27日金曜日

壮年期

ー退職ー


 国鉄20年、JR10年勤めたパパさんが55才の誕生日を迎えた月末に退職することになった。


 国鉄改革という激動を挟んでの鉄道勤務30年である。


 主に建設畑を歩んで、大きなプロジェクトにタッチしてきた。


 新幹線は東北に始まり、3本のフル新幹線と3本のミニ新幹線の建設に携わった。パパさんが手掛けた駅や駅ビル、ホテルも東北の各地にある。


 終盤、JR本社にいたため東京地区を始め全社のプロジェクトにも従事した。


 正に、地図に残る仕事をしてきた。


 技術者としては恵まれた会社人生だった。順調そのものと言える。

 国鉄・JRを通じて良い上司に恵まれ、高いハードルを乗り越えようと一体になって頑張ってくれたスタッフに支えられながら難関を乗り越えてきた。


 順調でなかったことが一つあるが、それもこれからの人生では滅多に経験できない貴重な体験と言える。国鉄改革だ。


 最近は大企業の倒産やリストラから構造改革と称する政府の特殊法人の民営化論議がかしましいが、昭和60年代前半、第二臨調による行政改革という御旗の元で実行された巨大国有企業の民営化は想像に絶するものがあった。特に国鉄は整理対象の人員、資産、債務処理等々大変な規模であった。


 組織の変更、余剰職員の転職、仲間との離別、創業時の経営的な不安と危機感、これらに遭遇し乗り越えて今の新生鉄道がある。


 10年経過した民営会社として安定してくると、8万人の巨大組織(JR東日本)なだけに意識的な面で官僚的な回帰現象が見られるが、昔の国鉄に戻りようがないとパパさんは考えている。


 長い技術者生活で腹の立つこともあったが今となれば小さなことで満足感が先行する鉄道人生だった。


 マリオも家族と一緒に「パパさん、ご苦労さん」と思っていた。


                 パパさん、本当にご苦労さん!

2009年3月26日木曜日

壮年期





ー始めての海外旅行ー


 パパさんは出張も含めて何度か外国を旅行しているが、ママさんは一度も行ったことがない。ママさんは海外より日本の温泉が良いなのタイプで、外国には行きたいと思っていない。国内派だ。




 国内は結構旅行している。九州、北海道、北陸等、京都は三回ぐらい行っている。




 「京都は何度行ってもいいわ」と国内派を自認している。




 JRが夏休みをかけてJALのジャンボをチャーターして、カナダツアーを企画した。パパさんの出向している会社もグループ企業として参加することになった。




 ママさんも一緒に行くという。ママさんは始めての海外旅行で何となく不安である。盛岡のお祖父ちゃんお祖母ちゃんに報告する。




 フライトは仙台空港からなので、こちらは気軽にいける。




 娘と次男に空港まで見送られてカナダはバンクーバーに向かった。




 空港に着いて、ママさんの第一声。




 「外人が多いわね」




 初日は夜のトロント空港に向かうまでの時間、市内観光になった。出発の前に添乗員が「カバンはあそこのコンベアーに乗せて下さい」と言ったので、パパさんはスーツケースとママさんの手回り鞄を乗せた。やたらと身軽な感じになった。




 市場を見たりしてママさんには結構楽しいコースだった。空港に戻ってトロントにフライトした。トロント空港で各人のカバンを取ったが、ママさんの手回り鞄がない。チケットが付いていなかったためバンクーバー空港で積み込まなかったらしい。




 添乗員が空港の係に照会しても出てこなかった。帰りもバンクーバーになるため空港に捜索をお願いして、次なる訪問地、ナイヤガラの滝に向かった。




                   
 ママさんは初日からパニックである。外国で身の回りの品物が無くなって心細かった。


 翌日、滝見物もそこそこに、ナイヤガラフォールズの街外れのスーパーまでショッピングに行った。歯ブラシ、櫛、化粧品などの日用品の効能をパパさんに翻訳させながらの買い物である。



 帰りのバンクーバー空港で奇跡的に携帯鞄が見つかった。



 日本からカナダへ飛んだだけの鞄だ。



 それでもママさんは「良くあったわねー」と感激していた。



 ママさんの海外旅行はトラブル続きである。



 パパさんの退職記念に家族でヨーロッパ旅行した時は、ユーロトンネルが火災事故で不通になり、急遽フランスのカレー海岸からドーバー海峡を巨大なホバークラフトに乗り、イギリスまで横断したらしい。



 その後ギリシァに行った時はエールフランスのストライキに遭って、急遽ロンドン経由の英国航空で帰国した。


                 エーゲ海の猫


 ママさんは「海外旅行はもういいわ」と言っているが、マリオは信じていない。









2009年3月25日水曜日

壮年期



ー出向ー

 パパさんの年来の夢は、独立だった。高校を卒業して国家公務員になりながら、その後二年も職業を転々として、独立の可能性がある建築を勉強したいという気持ちは捨て切れなかったらしい。


 国鉄に入社してからも、その夢の転機は二度あった。


 一度目は国家ライセンスの一級建築士を取った時だ。憧れの国鉄に入社して、三年目である。大卒のノンキャリアで入社したパパさんは、官僚的な人事システムに失望していた。その時はパパさんのママさんのお祖母ちゃんが病気になったため、あきらめた。


 二度目は国鉄が民営化される一年前のことである。民営化の説明をしながら虚しさを感じていたパパさんは、部下達の雇用に対する不安を痛切に受け止めていた。


 部下の一人はパパさんが「会社を作って皆を受け入れればいい」とまで言った。当時の昭和六〇年前後は不況期で新事業どころではなかったが、真剣に悩んだらしい。


 色々なことがあって、JRに落ちついたのである。惨々たる経営内容の国鉄から転じた民営鉄道会社が好転するとは予想もしなかったが、トップから現場までを巻き込んだ意識改革を重ねた経営努力の結果、初年度で数百億の利益が出た。驚異であった。


 その後JRで、仙台に六年、東京の本社に三年と勤務したパパさんは五四才になった。後一年弱を残し、後進に道を譲る名目で若年退職もしくは出向の選択に迫られた。


 パパさんは長年の夢であったデザイン事務所開設のチャンスと思ったが、周囲の状況が許さなかったらしい。


 パパさんは、相当頑固な一面があって、自分の意思を通すということでは人後に落ちないところがあるが、使命感みたいなものに弱かった。


 本社のミドルを勤めた立場で、自分の希望を通せなかった。退職後を含めて、グループ企業でしかるべき年数を勤めるという暗黙の人事慣行があり、パパさんの希望は先例のないことだった。国鉄改革から十年目を迎え、JRも経営安定期に入りつつある時期に、波紋を起こす道を避けて、出向の道を選んだ。


 そして、推薦されたグループ会社はパパさんが最も敬遠していたゼネコン(建設会社)であった。


 ゼネコンは国鉄・JRを通じて建設の職場にいた関係でおつきあいも多く、ある意味では仕事のパートナーであったが、一般の会社に比べゼネコンという企業の経営体質に常に疑問を持っていた。


 技術的には世界をリードするレベルにあるにも関わらず、コストを始めとする不透明さは何とも不可解であった。


 本来は男の職場なのであるが、陰にこもったゼネコンの経営スタイルがパパさんの遺棄する最大の理由だった。

               パパさん、大丈夫ですか!

2009年3月22日日曜日





 幼い頃からであるが、マリオは食事の場所が気にいらない。

 キッチンの流し台の横が食事場所と決まっている。家族の中ではただ一人、マリオを別格と考えているママさんの方針である。

 ママさんは来客の時、マリオが一緒にいるとお客様によっては猫嫌いの人もいるだろうし、(マリオの)躾がなってないと思われるのが嫌らしい。

 普段、マリオの食事時は空腹状態が定位なので、食べることを優先しているが、空腹感に余裕がある時は食事場所の不満を訴える。

 食器を前にして床に敷いてある新聞を爪でガリガリと引っ掻く。それでも通じない時は水を入れた大きな食器を手前に引き寄せる。

 ママさんは「あっ、ソォー、お腹がすいていないの、いいよ、後で食べなさい」と言って取りつく暇がない。

 家族の食事時間になって、誰よりも早く食卓のそばに行儀良く座って待機していると、「あなたのは向こうにあるでしょう」とくる。全然マリオの気持ちがわかっていない。

食事を待つマリオ マリオは孤独が嫌いである。家族と一緒に楽しく食事がしたい。猫は勝手気ままで、孤独好きというのは人間の誤解だ。

 娘がいると機転をきかして、マリオの食器を自分の横に持ってきてくれて、「サァ、マリちゃん、お食べ」と言ってくれる。

 ママさんが注意しても無視してくれる。娘は「今日だけだよ」と言って無視する。

 マリオは家族と一緒に食事できることが嬉しくて、突然食欲が沸いてくる。