2008年2月20日水曜日

ペルシャ猫とファミリーの愛情物語“マリオのゆりかご”

                         

―改革を駆け抜けた技術者一家とペルシャ猫の愛情物語―
      「マリオのゆりかご」

-梗 概-



 国鉄職員だった自分の家族のペット(ペルシァ猫のマリオ)飼育に至るプロローグから、「マリオ」が死亡するまでの13年にわたる家族史と共に、鉄道民営化のエピソードをからめたドキュメントです。

 国鉄改革1年前に、妙ないきさつから家族の一員になったペルシァ猫「マリオ」を軸に、115年の歴史と40数万人の職員を擁する巨大組織だった国鉄民営化の渦中から、民営化された鉄道会社に職を転じた技術者一家を「マリオ」の視座から表現しています。

 3人の子育ての難しい時期を控えながら、父親は民営化の作業に没頭し家族を振り返る余裕がない状況の時に家族の一員として登場したのが、本作品の主人公「マリオ」です。

 マリオは生活の変革を迫られる子供達に、家族同然の存在感と逆境をくぐり抜ける「癒しと勇気」を与えました。

 思春期の多感で受験を控えた時期に生活環境の変化を強いられ、友人関係や受験対策などに苦戦したであろう子供達に心の安らぎと生きる勇気を与えた「マリオ」の生涯史であり、また改革の渦中にいた技術者一家と、ペットでありながら家族の一員であった「マリオ」と共生した13年間のクロスオーバーストーリィです。

 あらすじは、家族の生活の中で「マリオ」の成長と子供達との触れ合いと国鉄民営化のエピソードが綴られています。子供達の成長と「マリオ」の存在が、家庭をバラエティに富んだものにしました。ペットと言うより、一人格を持つ「マリオ」はコミカルだったりナーバスだったりして、子供達の成長過程で物言わぬ心の友としてふるまったのです。マリオには家族が、子供たちにはマリオが精神的なゆりかごだったのです。

 一見平穏な家庭にも、父親の定年と前後して成人した子供達に変化が出てきました。卒業、就職、結婚と独り立ちの時期が子供達に訪れると共に、その変化に戸惑う老境の「マリオ」がいました。

 飼主同然だった娘の結婚を理解できないまま、生れ育った故郷に帰り、子供達との別れの中でその天命を閉じたペルシァ猫「マリオ」と、昨今、声高に叫ばれている行政改革のさきがけを駆け抜けたささやかな技術者一家との13年間の愛情物語です。


ーはじめにー
 今、空前のペットブームです。
 国内だけで犬が約1,210万頭、猫が約960万頭(2006ペットフード工業会調)飼育されています。人口は2004・12の1億2,784万1千人(国勢調査)をピークに減少していますが、飼育ペット数は年々増加しています。
 全世帯のうち推定の飼育世帯率は犬が19・4%、猫が14・9%あるそうです。犬と猫以外のペットも相当数いることを想定すると、ほとんどの家庭で何らかの形でペットと触れ合う生活をしていると考えられます。
 これは戦後の高度成長のなかで、家族形態が変化してきた影響だと思います。大家族から核家族に進展していく過程で、少子・高齢化や晩婚・未婚化、さらには独居老人などと家族のかたちが人間同士の触れ合いの少ないものに変容した結果としての補完的な意味があるのかも知れません。
 動機はともあれ、多くの方が様々なかたちでペットと触れ合う生活を楽しんでいると思います。
 ペットを飼った人でないと理解できないかも知れませんが、ペットがいる生活といない時の精神的な落差は例えようがありません。
 ペットに興味のない方は「たかが…」と思うでしょうが、慈しみ触れ合ったペット愛好家にとっては「されど…」なのです。
 筆者は小学生の頃三毛猫を、高校生時代に秋田犬を、結婚して家族ができてからインコや兎を飼ったことがありますが、ペットの専門家ではありません。
 本書に書いたマリオという1匹のペルシァ猫と家族が過ごした13年間の話しは、折々のほんの一断面に過ぎません。天命であったと思いますが、家族の人生の節目を見届けるように死んでいったマリオのことを憶っているうちに、とぎれとぎれに想い出が浮かんできて、自然に筆を取っていました。
 思春期の多感な子供達が成長する過程で、折々に精神的な支えになったマリオに対する感謝と哀悼の気持ちなのかも知れません。そういう意味で、本書は純粋なペット書ではありません。13年間、子供たちにとってはマリオが、マリオには家族が心の「ゆりかご」だったのです。
 古い世代の一部の人達は家畜類を総称して「畜生」と呼んでいましたが、人間と区別するという意識なのでしょう。しかし、この世に命を受けたすべての生物が心を持っているということは疑う余地がありません。
 今までの研究の結果、猫の脳は高度に発達していることが解明されています。猫の脳の構造は人間のものと同じなそうです。
 人間は猫に比較して記憶と言語中枢が極度に発達していますが、運動神経や情緒中枢は猫と類似しているといわれています。このことから猫が人間と同じような感情を経験していると言っても大袈裟なことではないと思います。
 明治の文豪夏目漱石が猫の行動を観察してその人間的な擬態から、猫を主人公にした小説を書いたのも何となく理解できるような気がします。
 文中、マリオを擬人化し、マリオの視座で表現にしていますが、マリオの幼い頃から家の中で13年間も一緒に生活していると、猫とはいえ対等の同一人格のように錯覚してしまいました。
 さらに、今次叫ばれている行政改革の先駆けでもあった国鉄改革という巨大な国家レベルの大事業の渦中に居たささやかな技術者一家とペット共生のクロスオーバーストーリィでもあります。
 部分的に推測を交えながら、我が家族の愛してやまなかったペルシァ猫の物語をペット愛好家の皆様にご報告いたします。



                           


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