2009年4月22日水曜日

ペットロスの衝撃

ー喪失感ー

 大きな犬を飼うつもりが、猫になり、マリオという名前で十三年間家族同然に生活を共にしてきた。

 言い方を変えれば、マリオの死は人間ではないだけに存在感は大きかったといえる。

 次男に抱かれたマリオの遺体が獣医院から帰るタクシーの車内で、家族全員一言も口を聞かなかった。

 マリオが死んだという事実が重くのしかかり、壮大な喪失感が家族全員の心を支配していた。

 家に着いて、玄関を入ったところでママさんが始めて涙混じりの声で言った。

 「マリちゃん、おうちに帰ったよ」

 引っ越しの始末も中途で、マリオの仏壇づくりをする。

 近所に住んでいる祖父が花をもって来た。

 写真や血統書を飾り、線香・ローソクを備えて、パパさん、ママさん、次男が拝んだ。

 祖父も手を合わせた。マリオの冥福を祈る。

 育った家で、老後を悠々と過ごす筈だったマリオは静かに横たわっている。

 子供達とマリオが育った広い家が益々ガランとした空間に感じる。

 家族のシンボルだったマリオが死んだという事実だけが、家の中を支配していた。



               幼かった頃のマリオ


2009年4月19日日曜日

老境





ーわかれの日ー


 その日の朝、二階和室の釣り押し入れの下に毛布を敷いて貰い寝ていた。二日間食欲がなくて何も食べていない。

 体調が悪い挙げ句に、引っ越しで見知らぬ人間がひっきりなしに出入りして落ち着く間がない。水を少しずつ飲んでいるので、尿意は催してくる。

 起きてトイレに行こうとするが力が出ない。隣の部屋には次男が寝ているが引っ越し疲れで起きる気配はない。力をふり絞って階段までいったが、トントンとは降りられない。

 一段一段ようやく降りて、降りきったところで我慢できなくなった。
 その場で催そうと思ったが、リフォームしたばかりの床にするのはまずいなと思い、タイルを貼った玄関に降りて何とか用を足した。 居間のドアの前に行って声をあげようとしたが、声にならない。

 しばらく座って待っていると、朝御飯を済ましたパパさんが中々降りてこないマリオを迎えに行こうとドアを開けた。ドアの前にちょこんと座っているマリオを見つけた。

 「オヤ、マリオ、降りてきたのか、入れ」と声をかけた。ドアを開けたままパパさんはテーブルに戻って読み掛けの新聞を見ていた。

 パパさんの後をついて腰をあげて歩こうとするが、後ろ足がふらついて歩くことがままならない。それでも頑張ってキッチンのママさんのところまで行った。

 「あら、マリちゃん起きてきたの、ゴハンをあげるね」

 餌と水をたっぷり貰ったが、においを嗅いただけで食欲は湧いてこない。

 流しで食器洗いをしているママさんの横に座っていたが、ますます苦しくなってきたので、居間つづきの茶の間に積んである段ボールの間で横になった。

 マリオの後ろ姿を見たママさんが、「アレ!、マリの歩き方が変だわ」と叫んだ。

 まずパパさんがきた。「マリオ、どうした大丈夫か?」

 ママさんがきた。「マリちゃん、マリ、マリ、大丈夫?」

 「あっ、駄目、病院に行かなくちゃ」
 「マリちゃん、頑張るのよ」

 マリオの状態は最悪だった。

 苦しさを訴えたいが、呼吸をするのが、精一杯である。

 ママさんは完全にパニック状態で、仙台の獣医院で紹介されてきた盛岡の獣医院の電話番号をメモした手帳を探している。

 パパさんもおろおろしている。

 「今日は日曜だな、参ったな」とつぶやいている。

 とりあえず、次男が起こされた。タクシーを頼んで、バスケットを準備して底にバスタオルを敷いて病院にいく用意をする。

 その間ママさんは、ようやく見つけた手帳の獣医院に電話をして、救急状況を説明して診療予約を取りつけた。

 タクシーが来ないのでイライラしながら待って、乗り込んだ車内が大変だった。

 次男の膝に抱えられたバスケットを覗きこんだママさんの励ましが必死だった。

 「マリちゃん、しっかりして、ガンバるんだよ」

 「ハイ、お水を飲んで」とガーゼに浸した水を口に当てる。
 
 飲みたいと思っている水が口に入るが、飲み込めない。

 ママさんの「マリちゃん、マリちゃん、しっかりして、頑張るのよ」の励ましが耳元に響く。

 頑張ろうと思うが頑張れない。

 心の中で「ママ、助けて」と叫ぶ。

 頭上からの「マリちゃん、マリちゃん」という悲鳴に近いママさんの呼び声が、段々かすんでいった。

 意識が段々薄れていく。

 パパさんと次男はタクシーのスピードにイライラしている。

 苦痛が少しずつ和らいで、突然スゥーっと意識が消えていった。


獣医院…。

 獣医「ああ、瞳孔も開いて、心臓も止まっていますね」

 ママさん「やっぱり、駄目ですか」次の句が出ない。

 次男、只々無言。

 パパさん「先生、どうにか手を打てませんか」

 獣医「心臓ショックをやってみますか」

 「お願いします」「何とか助けてください」「頼みます!」

 治療室…。

 助手の女性が診察台の前で、マリオの心臓をマッサージしていた。
 獣医が電極盤らしいものを両手に持って、マリオの心臓の左右に押しつけている。何度か繰り返している。
 
 電圧を上げたのか、微かにマリオの体が揺れる。

 奇跡を祈って待合室から、じーっと見詰める家族。

 (パパさん、ママさん、次男)「生きてくれ」という無言の絶叫も空しく、獣医が診察台から離れた。
 
マリオは診察台に横たわったままだ。

「やっぱり、駄目か」パパさんがとつぶやいた。


 獣医が説明にきた。

 助手の女性が大事そうにマリオを抱いてきて、ママさんに渡した。

 ママさんは無言で頭を下げながら、愛しそうにマリオを受け取った。


まだ、命の温もりがかすかに残っていた。