2008年9月15日月曜日

青年時代



ー恩返しー

 パパさんは、仕事以外もいろいろしなければならないことがあって大変らしい。

 JRになってホテルと駅ビルを建設していたが、完成した後の仕事の予定が立たなくて悩んでいた。このままだと国鉄末期のような仕事がない状態の再現になる恐れがあった。民営会社として当然だが、各部門の採算性を自己チェックするムードが強く、仕事がないということは建設技術部門にとって存亡を問われかねない。

 仕事のための仕事は有り得ない。

 そんな状況の中でJR系の新電々会社が東北地域へ事業展開するという噂を聞いて、パパさんが仕事獲得に活動を開始した。新電々会社の友人のつてで、新幹線の線路敷に光ファイバーケーブル通信網を敷設する工事に付随した各地の中継施設をお手伝いすることになり、取りあえずやれやれになった。

 パパさんは仕事がないために、数十人のスタッフがぶらぶらすることを一番恐れている。何としても国鉄時代の「余剰人員」という事態にならないようにと頭を悩ませている。改革時の雇用対策を思い出しただけで、ゾッとするらしい。

 その後は、JR初の新幹線新駅の建設や日本で初めての試みである在来線に新幹線を走らせる山形新幹線が着工になり、逆に技術者が足りず猫の手も借りたい状態になったらしいが、初期の人員で乗り切った。

                      山形新幹線“つばさ”

 本来の職務のほかに、管理職にはやらなければならないことが多い。部外とのおつきあいだとか、技術部門といえども増収活動であるとか、国鉄時代もお盛んだったがJRになってからも選挙応援の依頼がくる。

 特に東北は国鉄改革でお世話になった代議士先生が多い。恩返しの意味もあるのだろうが、パパさんにとって選挙応援はあまり気乗りしない活動のひとつだった。

 しかし、総選挙ともなると東北には改革当時運輸大臣だったM先生、労働大臣だったH先生、自民党交通部会長のK先生と目白押しである。

 パパさんも応援体制をとる。

 パパさんはH先生の応援である。H先生は大臣時代「国鉄職員は一人も路頭に迷わせない」と言って、国鉄改革を側面から応援した古武士然とした老政治家である。パパさんは改革時に苦労した雇用対策を思い出し、恩返しの意味を込めて活動を開始した。

 しかしH先生は本人が高齢なため支持者も高齢化していて、戦前より当落が厳しかった。

 休日返上である。人を見ると頭を下げた。何人にお願いしたか見当もつかない。

 投票当日、テレビの当落が中々出ない。選挙事務所で零時近くに当選確実が放送された時は、何回万歳したかわからないと言う。

 その晩、選挙事務所の近くのホテルに泊まったパパさんは、同行した同僚と軽く祝杯を上げた後、ベッドでぼろぼろに痛む歯を夜通し冷やして一睡もできなかった。

 マリオはたまに帰るパパさんに頭を撫でられながら、人間社会の複雑さに頭をかしげていた。


                     パパさん“ご苦労さん”

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