2008年10月11日土曜日

青年時代


ーネバーギブアップー

 仙台にきて2年目の夏。例年にない猛暑になった。毎日真夏日の続く熱暑だった。長毛のマリオには地獄の沙汰である。日光浴は大好きだが、そんな暑さでない。家の中で涼しいところを見つけて歩く。

 取りあえず玄関のコンクリート。やや快適だけれども、家族が出入りしたり、来客があると落ち着かない。次は浴室。ヒャッとしてマァマァ快適だが、湿っぽいのが玉に傷である。

家族も我慢の限界にきていた。特にママさんは「あなた達は外で涼しいところに居るから良いわね」と言っていた。

 強烈なのは娘である。家に帰ると「何、この家は、今ごろクーラーのない家なんてないよ」である。

 ママさんはパパさんに訴えた。

 「あなたは会社で涼しいから良いだろうけど、(クーラーのない)家に居る人は堪らないわよ」

 「何言っているんだ、東京でも我慢したんだから、我慢、我慢、そのうち東北は涼しくなるよ」

 ムッときたママさんは「あんたは良いわよ、お酒を飲んで寝る時しか帰って来ないんだから」と言った。マリオもうなずいた。

 パパさんはこの言葉にはグラッときた。

 猛暑は涼しくなるどころか、8月に入っても治まる気配がない。ママさんとマリオは唯々、耐えていた。

お盆近くのある土曜日、娘の堪忍袋の尾が切れた。

 「お父さん、マリオが死んだらどうするの」とパパさんに迫った。

 パパさんはお盆が過ぎると涼しくなる、もう少しの辛抱だと考えていたが、長毛のマリオを引き合いにされると弱かった。

 「あした買いに行くか」

 家族とマリオはしめしめである。

 ところが、市内の電器屋は在庫ゼロで、ディスカウントショップをはじめ行く店がことごとくクーラーは売り切れだった。それぐらい凄い夏だった。

 パパさんとママさんは諦めかけたが、娘は「ネバーギブアップ」精神を発揮した。

 郊外の大型スーパーでとうとう展示品のエァコンを見つけた。取り付けは手が回らずお盆過ぎになったが、念願のクーラーがついた。

 ママさんは「マリちゃん、涼しくなって良かったねー」とマリオの頭をなでた。

 猛暑は10月半ばまで続いた。


                            涼しいよん!


2008年10月4日土曜日

青年時代

ー留守番ー

 車を買ってから、やたらと外出することが多くなった。

 特にママさんは娘の運転で重宝しているようだ。車を買う時、娘がパパさんに約束したことを、自分への約束にすり替えて「あそこに乗せてって」とか、出先のデパートから「迎えにきて頂戴」とフルに利用していた。

 夏休みを前に、ママさんの実家に行く相談をしていた。娘は「皆で行こう」と提案している。マリオは(勘弁して欲しいナー)と思っている。パパさんが夜遅く帰ってきて娘が聞いた。

 「お父さん、今度の金曜日盛岡に行かない」

 「駄目だよ、仕事があるから」

 「フーン」

 娘は翌日ママさんと相談して、パパさんとマリオを留守番にすることにした。

 かくして、マリオはパパさんと2人(一人と一匹)で留守番することになった。

 留守番の初日、パパさんは朝御飯をそそくさと食べたり、マリオに餌を食べさしたりして出勤していった。残されたマリオは自由に廷内探訪をする。部屋の戸は全てマリオが出入りできるように開けていった。家中好き勝手に歩き回り、寝たい時に寝て自由気ままな一日を過ごしていたのである。

 夕方になって腹が空いても、朝にたっぷり入れた餌が半分以上残っていて、別に不都合はなかった。さすが夜になると、いつもなら家族が居るのに誰も居ないというのは寂しくて仕方がない。

 頼りのパパさんも帰ってくる気配はない。

 12時近くに、玄関の鍵がガチャッと音がした。マリオは寝ていたが玄関に出てみると酔っ払ったパパさんがふらつきながら靴を脱いでいた。マリオは(遅いぞ、何していたんだ)という態度で寝ていたところに踵を返した。

 パパさんは「おい、マリオ」と呼んだ、ふり向きもしない。

 「そうか、寝るか」といって歯を磨いてパジャマの着替えもそこそこに蒲団に潜りこんだ。

 翌日の朝も前日同様、パパさんはバタバタと出て行った。マリオの食器には山盛りに餌が盛り上がっている。

 その日はどういう訳か、訪問者が多くてひっきりなしにチャイムが鳴った。のんびり寝る暇がないくらい多かった。

 ひとりで留守番のマリオは心細くなった。夕方にはママさん達も帰るだろうと心待ちにした。夕方になっても誰も帰ってこない。

 さすが夜には訪問者はなくなったが、ひとりぽっちのマリオには寂しさがつのる。

 頼りのパパさんは相変わらず帰って来る気配がない。食欲も湧かない。

 深夜12時をちょっと回った時刻に、玄関の鍵がカチャカチャなった。

(あっ、パパさんだ)マリオは嬉しくなって玄関に飛んでいった。

 ふらふらとしたパパさんが入ってきた。

 酔眼朦朧としたパパさんに「おっ、マリオ」と声をかけられた。

 「ニャーお」と返事をしたマリオは、本当に嬉しくて、嬉しくて、家中を全速力で走り回りながらお腹が空いていることを思い出していた。

 


                             遅いよ

2008年9月28日日曜日

青年時代

ー運転免許と車ー

 大学生になったばかりの娘が自動車学校に行きたくて、ママさんに催促している。

 「お兄ちゃんの時は、高校を終わって直ぐに(運転免許を)取らしたのに」

 ママさん「そんなこと言ったって、お父さんに言いなさい」

 「(免許と車が)あれば便利よ、買い物も楽だし、マリオの病院だってタクシーを使わなくて良いし、(盛岡の)お祖母ちゃんのとこだって車で行けるし」

 パパさんは夏のボーナスが出たら、自動車学校に通わせる積もりでいたが、そんなことはお構いなしの要求である。

 娘は大学の友達のパパさんが自動車の販売会社にいて、頼むと(中古の)車を安く買える話を聞いて、夏までには運転免許を取りたかった。

 パパさんにすれば、娘の私立大学の入学金を払った直後で、とんでもない話しだった。

 しかし、娘はくじけなかった。

 「お父さん、分割で良いから、学校に通っていい?」

 パパさん「しようがないな、幾らかかるんだ」

 とうとう、自動車学校に通い始めた。

大学の合間にせっせと通い、2か月も掛からないで運転免許を取ってしまった。

 免許を取ると、次はマイカーである。娘は山の上にある大学は通学に不便なことをパパさんに訴え始めた。

マリオはパパさんに同情しながら聞いていた。

 パパさんは財布が休む暇がないとこぼしている。

 娘は「お父さん、中古だけど安くて良い車があるから」と迫っている。

 「見るだけで良いから」と日曜日にママさんも一緒に連れ出して、販売店に出かけた。

 パパさんは娘の友達のパパさんと話をしている内に、何となく買う気になっていた。

 真っ白いサニーが社宅前の駐車場に鎮座した。

 娘は意気揚々と自動車通学を開始した。

 長男は「お父さんは、○子に弱いんだから」とひがんでいたが、共有感覚でちゃっかり乗り回していた。

 マリオも時々乗せて貰った。

 幼い頃に乗ってないので乗り心地は良くなかったが、窓越しに見える街の風景が珍しくて、車の窓にへばりついて乗っていた

                  家にいるほうが良いんだけどな

2008年9月23日火曜日

青年時代

ー全国大会ー

 日本に学会と名のつく団体が幾つあるか判らないが、パパさんも幾つかの学会に所属している。その中で最大規模のものは日本建築学会である。会員数は3万数千人で日本でもトップクラスのメジャー学会でもある。

 パパさんはJRになった年から、仙台にある建築学会支部の役員になった。忙しい仕事の合間を縫って、月に1回の常議員会、担当部会の事業執行やら結構大変だった。

 学会活動は学者先生の実績づくりみたいなところで、パパさんがせっせと真面目にしなくても良かった。しかし、パパさんはせっせとやった。これには訳があって、役員会の最初の顔合わせを兼ねた新年会で、同じ役員の大学教授に(国鉄出身の役員は)「国鉄時代は名前ばかりでほとんど出席してくれませんでした」と言われた。

 これにはパパさんも恐縮するやら、役員だった国鉄の先輩を恨むやらで、汚名返上の決心をしたのである。

 支部役員は好評のうちに2年の任期満了をむかえた。

 翌年に学会の全国大会が仙台で開催されることに決定していたため、支部長先生から全国大会お手伝いの要請がかかった。パパさんは無役で手伝うのは立場が弱いという理由で学会本部の役員に立候補して当選した。そして全国大会実行委員会の事業部会を手伝うことになった。

 JRは発足と同時に旅行業の登録をしており、学会の全国大会は絶好のビジネスチャンスであった。パパさんは新設された旅行業の担当部所を督励して、社業と学会活動の二足の草鞋をはいた。

全国から数千人が集まるため、切符の手配、ホテルの予約とてんやわんやだった。ホテルは市内でまかないきれず、近傍の温泉・観光地の宿を手配したが、それでも足りず隣県のホテルまではみ出した。

 全国大会の初日、恒例のレセプションパーティが開催される。それの実行責任者にパパさんがなった。

パパさんは自分が建設したJRのホテルを会場に選定して、パーティの骨格を作った。参考にしたのが、前年広島で開催された大会だった。

 広島では、会場の大学食堂でパーティがあり、あまり華やかな印象は受けなかった。参加者も300人程度だった。

 パーティの企画で一番大切なことは、出席者数の予測だ。前年の例から、会場の立地条件を考慮して500人の出席を見込んだ。立食パーティという条件を加味して、ホテルには参加予定者数の0.7掛けで料理を頼んだ。

 ここまでは非常に堅実なパーティプランだったが、当日ハプニングが生じた。

 会場が駅に隣接して都心という好条件を反映して、パーティ参加者は予想を遥かに上回って、700人強になったのである。受付の指揮を取っていたパパさんもびっくりした。準備した料理の2倍以上の参加者だ。懸命に受付をさばきながら宴会場をのぞくと、熱気むんむんの状態だった。

 会費の整理を終えたパパさんが、パーティに参加した時、料理はほとんど無くなっていた。パーティは2時間で終わり、参加者達は談笑しながら三々五々に街へ散った。

 会場に残された無数の食器はことごとくきれいになっていた。ホテルのパーティというと料理の半分以上が残っていつもは勿体ない思いをしていたパパさんだが、(料理が足りなかったのではと)ちょっぴり罪悪感にとらわれた。

 全国大会は3日間のスケジュールを全てこなして、無事終了した。週末、くたびれたパパさんはマリオと一緒に1日中寝転んでいた。

                        パパちゃん、疲れたね


 大会後の役員慰労を兼ねた会合で、パパさんは実行委員長にパーティの不手際を謝った。

 委員長先生からは「いえいえ、(料理が無駄にならなくて)最近にない気持ちの良いパーティでした」と逆に感謝されたそうだ。

 

2008年9月21日日曜日

ペット愛好家の皆さんに緊急警告!

中国産ペットフード

中国の食に対する危機感は餃子問題に始まり、現在、同国内のミルク問題で世界各国の信用を失墜させています。今度は人間ではなく、ペットにもその広がりを見せています。言うまでもなく、ペットは自分に与えられるフードが何国産か判りませんから無防備です。飼い主が注意するしかありません。

中国産ペットフード米で犬猫急死(読売新聞2008.09.21)
メラミンを巡っては、米国で昨年3月、中国産の小麦グルテンを使ったペットフードを食べた十数匹の犬や猫が急死し、米食品医薬品局(FDA)はグルテンや死んだ猫からメラミンを検出したと発表。

ペットフードを製造したカナダのメーカーが6000万食を回収する騒ぎに発展した。中国の製造会社は、グルテンのたんぱく質を多く見せるためメラミンをぜたという。

FDAは、グルテンなど中国産植物性たんぱく質について輸入時に検査を行い、安全が確認できない場合は輸入を禁止した。

ただ、日本ではペットフ-ドの安全確保についての法規制はなく、昨年6月、問題が発覚した米国でリコール対象となったペットフードが販売されていた例が確認されていた。

青年時代

ー新幹線初乗車ー

 娘が高校を卒業して仙台の大学に入ったので、仙台に家族全員引っ越しすることになった。

 仙台にはパパさんと2年前大学生になった長男と先に行っていたが、家族全員揃うと狭いので、パパさんは今までの狭い社宅から広い社宅に移った。

 荷物は10トントラックで行くが、家族は新幹線で移動する。問題はマリオである。

 動物は新幹線に乗せられるかという疑問が生じたが、パパさんの一言で解決した。

 「ペット用のバスケットに入れて、犬でも猫でも乗ってるよ」という既成事実が、家族の心配を打ち消した。

 厳密に考えると駄目だったかも知れないとパパさんは今でも気にしているようだ。

 何はともあれ、トラックを追いかけるように翌日の早朝、新幹線に乗り込んだ。最初のうちは、マリオは人込みの中で慎重にしていたが、初めて乗る新幹線に酔ってきた。バスケットの中で、おそるおそる鳴き声をあげた。

 そばにつきっきりだった娘が気がついた。小さな声で「どうしたの、マリちゃん」と話しかけた。

マリオはもう一度小さく「ニャーォ」と鳴いた。

 娘は「お父さん、マリオが調子悪いみたい」とパパさんに訴えた。

 パパさんは一瞬困ったが「よし、デッキに行こう」と言ってバスケットを持って席を外した。娘も一緒にいって「マリちゃん、もう少しだからね」と声をかけた。

 一時間足らずであったが、マリオの生まれて初めての新幹線乗車は散々だった。

 仙台に着いてタクシーでパパさんの社宅に向かった。

 「マリちゃん、ここが新しいおうちだよ」と言われて中に入る。

 今までと違う匂いがする。部屋から部屋を匂い探訪したが、家族の匂いはどこにもない。

 救われたのは同族の匂いがなく、これからはこのスペースがマリオの縄張りになるということだった。

 昼過ぎに荷物が着いて、会社から若い社員が大勢手伝いにきた。パパさんは来なくて良いと断ったらしいが、帰すわけにいかず手伝って貰って一〇トントラックいっぱいの荷物はあっと言う間に片付いてしまった。夜になって簡単な夕飯になり、マリオも何となく落ち着いた。

 四年振りに家族全員が揃ったという安心感があった。

                                邸内探索

2008年9月15日月曜日

青年時代



ー恩返しー

 パパさんは、仕事以外もいろいろしなければならないことがあって大変らしい。

 JRになってホテルと駅ビルを建設していたが、完成した後の仕事の予定が立たなくて悩んでいた。このままだと国鉄末期のような仕事がない状態の再現になる恐れがあった。民営会社として当然だが、各部門の採算性を自己チェックするムードが強く、仕事がないということは建設技術部門にとって存亡を問われかねない。

 仕事のための仕事は有り得ない。

 そんな状況の中でJR系の新電々会社が東北地域へ事業展開するという噂を聞いて、パパさんが仕事獲得に活動を開始した。新電々会社の友人のつてで、新幹線の線路敷に光ファイバーケーブル通信網を敷設する工事に付随した各地の中継施設をお手伝いすることになり、取りあえずやれやれになった。

 パパさんは仕事がないために、数十人のスタッフがぶらぶらすることを一番恐れている。何としても国鉄時代の「余剰人員」という事態にならないようにと頭を悩ませている。改革時の雇用対策を思い出しただけで、ゾッとするらしい。

 その後は、JR初の新幹線新駅の建設や日本で初めての試みである在来線に新幹線を走らせる山形新幹線が着工になり、逆に技術者が足りず猫の手も借りたい状態になったらしいが、初期の人員で乗り切った。

                      山形新幹線“つばさ”

 本来の職務のほかに、管理職にはやらなければならないことが多い。部外とのおつきあいだとか、技術部門といえども増収活動であるとか、国鉄時代もお盛んだったがJRになってからも選挙応援の依頼がくる。

 特に東北は国鉄改革でお世話になった代議士先生が多い。恩返しの意味もあるのだろうが、パパさんにとって選挙応援はあまり気乗りしない活動のひとつだった。

 しかし、総選挙ともなると東北には改革当時運輸大臣だったM先生、労働大臣だったH先生、自民党交通部会長のK先生と目白押しである。

 パパさんも応援体制をとる。

 パパさんはH先生の応援である。H先生は大臣時代「国鉄職員は一人も路頭に迷わせない」と言って、国鉄改革を側面から応援した古武士然とした老政治家である。パパさんは改革時に苦労した雇用対策を思い出し、恩返しの意味を込めて活動を開始した。

 しかしH先生は本人が高齢なため支持者も高齢化していて、戦前より当落が厳しかった。

 休日返上である。人を見ると頭を下げた。何人にお願いしたか見当もつかない。

 投票当日、テレビの当落が中々出ない。選挙事務所で零時近くに当選確実が放送された時は、何回万歳したかわからないと言う。

 その晩、選挙事務所の近くのホテルに泊まったパパさんは、同行した同僚と軽く祝杯を上げた後、ベッドでぼろぼろに痛む歯を夜通し冷やして一睡もできなかった。

 マリオはたまに帰るパパさんに頭を撫でられながら、人間社会の複雑さに頭をかしげていた。


                     パパさん“ご苦労さん”

2008年9月6日土曜日

青年時代

                                                      熟睡中

―寒い夜―

盛岡は本州で一番冷え込む。真冬日と称する終日零度以下の日が一冬に10数回ある。日中でもマイナスだから、夜はドンドン気温が下がる。マイナス10度を超えて、最低気温がマイナス20度近い夜も何日か出現する。

マリオは幼い頃、一人寝の環境で育ったため家族に抱かれるのは苦手だ。コタツで膝に抱かれることもあるが、抱いている人間が動くのを見計らって本来の自由なスペースに移動する。

しかし、幾ら強がっても厳寒の夜は別だ。家族が寝た後の居間はしばらく暖房の余熱で暖かいが、夜が更けるに伴い室温が下がる。長毛とは言え、室内暮らしで耐寒訓練は皆無である。我慢の限界がきて、やおら二階の寝室に向かう。

娘の部屋に入り、ベットに上がり枕付近の隙間から布団にもぐりこむ。娘は寝ぼけながらマリオが寝やすいように布団の中にスペースを作ってくれる。娘の体温で温まった空間はまことに暖かい。娘の寝返りに合わせながら小一時間寝るが、そのうち暑くなる。

自分の体温に娘の体温が加わる密閉空間では、暑さと共に息苦しくなる。もぞもぞ這い出して枕の横に顔を出す。娘は枕元に隙間ができて冷えた空気が首あたりにしのび込むため、布団を引っ張る。

マリオは落ち着いて寝られない。抜け出して布団の上で寝るが娘の寝返りと寒さで安眠できない。

次なる手はママさんの部屋だ。パパさんが単身赴任のため広い部屋の真ん中に布団が一つ寂しく敷いてある。枕元から忍び込むと、ママさんは寝ぼけた声で「アレッ、マリちゃん」といってスペースを空けてくれる。

娘に比べると手ごろな暖かさだ。それでも布団に潜り込んでいると、息苦しくなる。ママさんの枕元に顔を出す。まことに快適な就寝環境になるが、うつ伏せで寝ていると息苦しい感じがしてならない。

単身赴任中のパパさんに叱られそうだが、ママさんの大き目の枕の端を拝借して仰向けに寝る。

厳寒の夜は寝不足になるので大嫌いだが、ママさんは湯たんぽ代わりになるので喜んでいる。


〈うわさの大工〉 


2008年8月31日日曜日

青年時代


ー靭帯切断ー

 マリオの無愛想な相手だった長男は、仙台の大学に行ってパパさんのいる社宅から通学している。大学では高校時代と同じラグビー部に入った。実力のないクラブで、長男は入部と同時に準レギュラーだった。

 娘は高校3年で大学受験を控えていた。

 パパさんは長男で懲りているためか「浪人は駄目だぞ、どこでも良いからストレートだ」と言っていた。

 娘は危機感ゼロで、推薦で入れるところを考えていたから気楽である。

 ゴールデンウィークにパパさんと入れ違いで、兄貴のおさんどんを兼ねて仙台に遊びに行った。

 連休の中日の夜に仙台に行っていた娘が泣きながら電話を掛けてきた。

 「お兄ちゃんがケガをして入院したの」

 パパさんが電話に出て様子を聞くと、ラグビーの試合で右足を靭帯切断したらしい。パパさんはその日のうちに急遽仙台に戻って病院に行った。

 お医者さん曰く「巨人の吉村より、ひどいですよ」

 手首は浪人時代にマリオが相当鍛えてやったが、足までは気が回らなかった。

 もっとも足を鍛えるには、マリオの猫キックぐらいでは人間のやるラグビーのタックルに対抗できるわけがない。

 2ケ月入院して無事退院した。膝の骨の回りに金の輪が入っているらしい。

 心配した後遺障害もなく、けがをする前より真面目になって、元気に学校に行っているようだ。

 〈うわさの大工〉

2008年8月24日日曜日

青年時代


―ライセンスー

マリオが家族の一員になってもう少しで二年になろうとしていた。家族はマリオが居るのは当たり前で、家族構成の重要な位置を占めていた。子供たちは勿論、ママさんもマリオ抜きでは考えられない生活感覚になっていた。

一つだけママさんの気がかりはマリオがペット屋から連れて来た時、娘が「血統書付きなんだよ」と言っていたことだった。血統書は後から届くと思っていたが、二年近く経ってもその気配はない。

ママさんはパパさんに言った。

「お父さん、マリオの血統書は何時来るの?」

「あっ、そう言えば、ペット屋はすぐ届けると言ってたナー」

パパさんはその日に電話した。ペット屋も忘れていましたと言って一ヵ月後に、晴れてマリオの血統書が届いた。身体的な特徴から詳しく表現された血統書は額に入れられて娘の部屋に飾られた。

休日に帰ったパパさんが血統書をまじまじと見て気がついた。性別がFEMALE(雌)だった。パパさんはママさんと娘にそのことを言った。

(血統書を)「取り替えて貰うか」

ママさんと娘は「そんなこと、どっちでも良いわ」と言った。

ママさんと娘にすれば、マリオは去勢したから雄でも雌でもない存在だが、それ以前に家族としての存在感が強く性別はどうでも良かった。

ママさんと娘は性別よりマリオが紛れもなく正統なペルシャ猫であるというステイタスが大切だった。

翻って、パパさんは国鉄時代に比較すると一人六役の仕事をこなしながら、国家資格取得に熱心である。決してライセンスマニアでないが、訳があった。官は組織依存で仕事ができるが、民間は社員個々の能力が問われる。そのためパパさんは部下たちに資格取得を熱心に督励している。

督励するだけだとインパクトがないと思ったパパさんは自ら率先して受験する。その結果として合格する。

一級建築士は国鉄に入ってすぐに取ったらしいが、マリオが来てから技術系としては最難関の技術士も取った。国鉄時代は無視していたライセンスに次々とチャレンジして、部下たちへ模範を示す積りが両手で数え切れない資格保持者になった。

社外の人から「お忙しいのに?」と不思議がられるらしいが、パパさんはけろっとして「試験は集中力ですよ」とさりげなく応えている。

マリオは生まれついての正当ペルシャ猫であるが、猫社会ではあまり価値がない。

飼っている人間の満足感が優先するライセンスなのだ。


〈うわさの大工〉


2008年8月14日木曜日

青年時代




ー木登りー

 家の庭は結構広くて、パパさんが色んな木を植えていた。家を建ててから六年経過していたから、同時に植えた木は結構な大きさに成長していた。庭に出るのが好きだったマリオは、教わることもなく木に登ることを覚えた。

 特に好きな木は、人間の背より高いライラック(リラの木)と普源桜だった。

 普源桜には時々原色のきれいな毛虫がいて、足でからかうとピリッと刺される。刺されると足がピリピリとして、体の調子が悪くなる。時には一日中体調不良になってしまう。そういう時は、刺された足をせっせと舐めるが時間が経たないと治らない。

 それでも懲りずに木登りをする。

 猫は高い所に登るのを好むが、同類の豹も木登りが得意である。とにかく高い所に登ると世の中が良く見えるし、安全なのである。

 いつも下から見ている家族も、木登りをすると見おろせる。

 最初の頃は登ることしかできなかった。降りたくなると、鳴いて頼むしかなかった。その度、パパさんが脚立を持ってきて降ろしてくれた。

 そんなことを繰り返している内に降り方も覚えてしまった。しかし、具合の悪いことに庭に出る時は首輪をつけられるので、登った通り下りないと紐が絡んで首吊り状態になる。

 そんな経験を積んで木登りする時は、家族が近くにいる時に登るように心掛けている。 

ベランダや屋上も高くて良いが、やっぱり木の上はちょっぴり野生の本能をくすぐられるし、庭の王者になったような優越感がなんとも言えない。



〈うわさの大工〉

2008年8月9日土曜日

青年時代


語録

 国鉄からJRになって、最大の課題は社員の意識改革だった。そのために各職場ではいろんな工夫をした。「官舎」は「社宅」になった。「…殿」は「…様」に変えた「業者」という表現は「会社」と変更した。一番大事な「お客さん」は「お客様」に統一した。「国鉄規格」は、一般的な規格にどんどん変えていった。

 電話の応対もつっけんどんスタイルから、部署名・氏名を名乗る習慣に切り換えた。接客も国鉄時代の「乗せてやる」式を「お客様第一」主義にした。

 パパさんの職場は建設技術部門だったため、ほとんど接客の機会はなかったが、それでも外部との接触には気を使った。

 パパさんは職場全員のコミュニケーションのために朝礼をすることにした。

 全員で「社是」を復唱してから、長であるパパさんがスピーチをして、当日のスケジュール等を連絡する。その後に社員が毎日交替で一人ずつ1分間スピーチを義務づけた。

 当初は非常に不評だったらしい。ボスでない社員が全員の前でスピーチをすることは、国鉄時代にはほとんど機会がなかった。

 それでも慣れてくると、それぞれ漫談調あり、説教調あり、反省調ありのバラェティに富んだ内容になり、結構楽しいものになった。

 パパさんのスピーチは、意識改革調で口癖は「課内より課外、社内より社外」と「電話は3回以上鳴らすな」の二つである。「課内より…」は組織内志向ではなく、社会全般がどのように考えてどのように動いているかという外部志向の意識を持って欲しいという意味が込められている。

過去に「国鉄一家」と言われ、40万人の巨大組織が崩壊した苦い体験が、パパさんに言わしめている。

 「電話は3回以上…」は当然だが、連接電話のためベルが鳴っても(誰かが取るだろう)というもたれ合い姿勢を戒めるものだ。社内外ともに電話になかなか出ない相手は好感の持てるものではない、というパパさんの意識が部下社員を督励している。

 人間の気持ちはスタイルが変わったからといって、簡単に切り換えられるものではないが、諦めず繰り返し語ることによって少しずつでも社会から好感を得られる企業体質にしていきたいとパパさんは考えているらしい。

 マリオは、子供達と生活しながら(子供達が)真っ直ぐスクスク育つことを無意識に望んでいる。

 

ー赤ちゃんー

 マリオは赤ちゃんが嫌いだ。総じて幼い子供には恐怖を感じる。

 これは、家出をした時に見知らぬ家に幽閉されて、小さな子供に虐待された(子供は子供なりの愛情表現だったかも知れないが)体験が尾を引いていた。

子供にいじめられるだけなら反抗すれば気が済むけれども、その行為をこっぴどく叱られ殴られるという理不尽なことが恐怖だった。

 ママさんに抱かれて外に出ると近所の小母さんが赤ちゃんを抱いて「アーラ、可愛い猫ちゃん」と言って接近してくる時は、全身の毛が逆立ってくる。

 威嚇するどころではなく、ただちに逃げ出したくなって、ママさんの肩に爪をミリミリと立てて背後に回ろうとする。

 何もされなくても、ともかく小さな子供を見ると恐ろしくなる。

 家族以外の人間には多少警戒心を抱くが、小さな子供はそれ以前の問題なのだ。

 「マリちゃんは、赤ちゃんが嫌いだよねー」と言って、家族はマリオが小さな子供には絶対いたずらをしないと安心している。

 いたずらどころかマリオにとってはこの世で一番恐ろしく、かつ近寄ってはいけない存在が、赤ちゃんなのである。

 そんな気持ちも知らないで、パパさんは2週間にわたるマリオの家出の成果として(その内、マリオに似た子猫が出てくるかもしれないな)と期待していた。


 〈うわさの大工〉

2008年8月2日土曜日

青年時代

ー子供達が気になるー

 避妊手術はお尻に注射をされて、スーっと意識がなくなって気がついたら終わっていた。 家に帰ってから患部が気になり、しょっちゅうなめていた。

 傷が治り、普段の生活に戻ったが、どうも以前と違う。家出した後も外の仲間達が気になって仕方がなかったが、手術をしてからは「アー騒いでいるな」という程度の気掛りである。

 頭の中のモヤモヤが無くなった。平穏な日々が続く。餌を食べて寝るの繰り返しである。夜もぐっすり。深夜のオペラは歌う気にもならない。恋を謳う歌手廃業である。

 食っちゃ寝の結果、体重は六キロになった。白い長毛と首回りの毛がふさふさとして堂々たるペルシァ猫になった。

 それにしてもこのままでは退屈だ。いつも一緒のママさんは家事で相手をしてくれない。パパさんは週末しか居ない。高校生の娘と中学生の次男は夕方でないと帰って来ない。

いつも家に居るのは大学浪人の長男だけだ。マリオが幼い頃は予備校に通っていたが、二年目から家で勉強している。勉強しているといっても、マリオがくぐり戸から入ると寝ているか、ステレオをボンボンかけている。

ママさんが外出したりすると、家に居るのは長男だけになる

仕方がないからママさんが帰るまでは長男の部屋にいることにした。

無愛想であるが、気が向くと相手をしてくれる。さらに気が乗ると本気になる。

最初は手でジャラシているが、はずみで爪を立てるので、手をシャツの中に入れてしつこくジャラシてくる。

 必死に対抗しているうちに、噛みつきや後ろ足の猫キックでお返しをしてやる。マリオもいい運動になるが、長男の着ているシャツの袖口はボロボロになる。

 長男はママさんにいつも「やめなさい」と叱られているが、部屋に行くと同じだ。

 たまに勉強しているところに行くと見向きもしないが、かたわらに座っていると数分後には、手をシャツの袖口に引っ込めてじゃらしが始まる。

 マリオは受験勉強のストレス解消なのかもしれないと思い、噛みつきや爪立て、猫キックでたっぷり応酬してやる。

 

〈うわさの大工〉

2008年7月26日土曜日

青年時代

―猫の民営化―

パパさんの会社は親方日の丸(国営)から株式会社に変わった。単身赴任のパパさんは忙しそうだが、結構張り切っている。

人間社会の仕組みはよくわからないが、猫の社会は二つに分類される。ペットとしての飼い猫と飼い主の居ない野良猫だ。ひと昔前は飼い猫でありながら天下往来自由の猫も居た。

日本が貧しく、社会の施設が整備されていない時代は病害虫も多かった。一般家庭の天敵にねずみが居た。そしてねずみの天敵が猫だった。猫は人間の住む家にある食物を狙うねずみを退治する大事な役割を持っていた。さらに、捕まえたねずみは猫の食料になった。猫を飼っている人間にとって一石二鳥の存在だった。

豊かな国になった日本で現在、猫はペットとして犬に対抗するペットの代表選手になった。犬は狂犬病という人間に危害を与える病気があるため、完全に管理された形の存在になり、野良犬という存在は無くなった。

猫は体が小さいということと人間に危害を加える場面が少ないこともあり、野良猫という存在がある。天下往来を自由に行き来してうらやましい存在だ、反面、生きるための餌は自分で調達しなければならない。

これに飼い主に捨てられた捨て猫という種族が加わる。野良猫より捨て猫の方が生きる環境は厳しい。街では食べ物を手に入れるのは難しい。日本が貧しい頃、魚を食わえて逃げる猫の風景は見られなくなった。ごみ収集方法の徹底で生ごみを漁ることもできない。

野良猫同士の同士の闘争も激しい。猫には特有の猫エイズがある。野良猫のエイズ保菌率は七〇%を越えるといわれている。猫エイズは生殖行動の接触より闘争の際に感染する。ただし、人間には感染しないので無罪放免になっている。これが、人間に害を与えるとなると野良猫の現在の平和な環境は一変するに違いない。

飼い猫の寿命は十五年ぐらいだが、外猫の平均寿命は猫エイズのせいもあり五、六年だ。過酷な生存環境は望むところではないが、マリオも自由を求めて家出をした。しかし、半月間のひもじさは大変なものだった。

家に戻ってホッとした思いは今でも忘れないが、性懲りも無く自由に対する未練はまだ残っている。

マリオは親方日の丸と民営会社の違いはよく判らないが、野良猫的な生きる工夫がパパさんたちに求められているのは間違いない。

 〈うわさの大工〉

2008年7月19日土曜日

青年時代


ープライドー

 家出から帰った翌日、早速ママさんと娘に獣医院へ連れて行かれた。前日シャンプーして貰ったとはいえ、体中傷だらけである。特に、首と尻尾の傷は相当深かった。

 獣医はマリオを見るなり「オヤ、放し飼いにしているんですか」と聞いた。

 ママさん「イエ、室内なんですが、二週間ほど逃げて昨日帰ったんです」

 獣医「アー、人間と同じ年頃ですからね」

 「それにしてもこの傷はひどいね」

 そんな会話を聞きながら、マリオは慎重にしていた。

 一通り治療が済んで、獣医がママさんに話しかけた。

 「この猫ちゃんは血統書つきですか」

 「はい」

 「子猫を増やすんですか」

 「イイエ」

 「増やさないんっだったら、去勢した方が良いですよ」

 ママさんはにわかに理解できず「はぁー?」と言った。

 獣医「避妊手術ですよ、避妊!」

 ママさん「……」

 獣医「そうした方が、盛りになっても外へ出ようとしませんから」

 ようやく意味が判ったママさんは「今日ですか?」と聞いた。

 獣医は傷が治ってからが良いと答えたため、その日は無事に帰ることができた。

 週末にパパさんが帰宅して、家族会議が始まった。ママさんと娘は避妊派である。長男と次男はノンポリを決め込んでいる。

 パパさんは折角の血統書付きの種を放棄するには若干抵抗があったが、マリオの脱走中に娘の落ち込み様を見ているだけに、やむを得ずとの結論になった。

 かくして「去勢裁判?」は実行の決定が下された。

 半月が経過して、ママさんが朝から普段以上にてきぱきと家事をこなしてから、

 「さてと、マリちゃん、病院に行くよ」と言った。バスケットに入れられて獣医院に向かった。傷も回復していたマリオは病院に行く意味を理解しかねていた。


 獣医院の待合室で不安を感じたマリオは、何となく「フーっ」と威嚇した。

 これから何が起こるか判らないが、避妊手術を受ける前、マリオのプライドが本能的に行動させたのかもしれない。


〈うわさの大工〉

2008年7月11日金曜日

青年時代



ーWANTEDー

 マリオが家出をしている間、家では家族総出(パパさんは単身赴任のため週末のみ)の捜索が続いていた。家族全員、日中でも外を歩くと白い猫が居ないか、と目を光らした。

 二週目の週末、帰宅したパパさんが娘と捜索ポスターを作った。

 ポスターを昼過ぎに自宅の前や公民館、近くのスーパーの掲示板などに貼り出して、夕食後、猫の夜行性を頼りにパパさんと娘は懐中電灯を持って徹底的な捜索行動にでかけた。捜索は深夜十二時まで続いた。

 公園で一匹の猫にあった。娘が頭を撫でてやると気持ち良さそうに喉を鳴らした。

 娘はその猫にお願いした。

 「ねー、マリちゃんがいたら、帰るように言って」

 翌日の日曜日も朝から捜索開始。家出をしてから二週間以上経っていた。家族全員なかば諦めながらの探索である。

 一日中、町内を探しても見つからない。日が暮れたので家族全員、重い足を引きずって取りあえず家に戻る。

 夕食を済まして、庭をぼんやり見ていた娘が悲鳴に近い声をあげた。

 「アッ、マリオだ」

 パパさんが「何を言っているんだよ」と言いながら娘の側に行った。

 マリオは庭の木の根元にしゃがみ込んでいた。

 「アッ、マリオだ」

「皆、来い」

 「アッ、本当だ」

 家族総出の捕獲作戦が開始された。

 パパさんは裏庭、ママさんはテラス、長男、娘、次男の三人は庭に面する道路とマリオのいる庭を取り囲んで万全の体制がとられた。

 パパさんは昆虫網まで取り出した。

 ところが、マリオはいとも簡単に娘に捕まった。逃げる意思など、とんと無かったのだ。首や尾の傷の痛みに加えて、背に腹がつきそうな空腹の中で、幼い頃の我が家を思いだし必死の思いで辿り着いたばかりだった。

 「マリちゃん、よく帰ってきたねー」と言って、ママさんと娘は涙を流した。

 ママさんに体を拭かれながら、喉をコロコロ鳴らした。

 娘が「マリちゃん、お腹が空いてんだろう、お食べ」

 食べ慣れた懐かしい味のペットフードが腹中に漬みた。

 満腹になったところで、次男が「お母さん、マリオが臭いよ」と言った。

 「そうだ、シャンプーしなくちゃ」ママさんと娘に浴室に連れて行かれた。

 嫌いなはずのシャンプーも心地良かった。 ドライヤーで乾かして、首と尾の傷に軟膏を塗って貰った。

 ソファーに敷いて貰ったシャンプー専用の電気座布団の上に座ると、ポカーっと暖かくて満腹感と安心感と疲れがどっと出てきた。

 ママさんと娘が「明日、病院に連れて行かなくちゃーね」と話している。会話を聞きながら、マリオは夢の世界に吸い込まれて行った。

2008年7月5日土曜日

青年時代


ー家出ー

 国鉄時代からだが、JRも社宅でペット飼育は原則禁止である。それとは別に子供たちの学校、家庭の事情これありで、パパさんは仙台の新職場へは単身赴任だった。

 盛岡から仙台へ単身赴任して、一ケ月位過ぎたある日、マリオが家出をして帰ってこなくなった。

 一歳になったばかりのマリオは幼さを残しつつも、人間に例えると二〇歳そこそこの恋の季節を迎えていた。

 マリオは真っ白な長毛のため、外に出すと汚れるという理由で出入り口の戸という戸はピチッと閉められ室内監禁状態だった。

 しかし、このことは飼っている人間の勝手な理屈で、マリオには猫の人権(猫権?)としても生理的にもはなはだ迷惑なことだった。

 押さえがたい恋情を訴えて夜通し泣き明かして、家族全員に「ウルサイ!」と怒鳴られる。誰一人として、マリオの生理的要求を理解して外出させる気配は全然なかった。

 家族も毎夜毎夜、マリオの恋狂いの泣き声で寝不足気味である。

 しかし、マリオは誇り高きペルシァ猫族のDNAによる種の保存命令と相まって、ますますつのる本能的な問題解決のため、家族の罵倒に耐えながら真夜中のオペラ歌手さながらに恋情を訴え続けた。

 通常、猫には年二回の恋の解禁期間がある。夜な夜な、家の回りはいうに及ばず、風に乗ってくる猫族(特に雌猫)の恋の呼び声や囁きを聞きながら、悶々とした日々を過ごさなければならない焦りは気が狂わんばかりだった。

 チャンスはさりげなく訪れた。居間から庭に出るテラス戸がほんの少し開いていた。開いていたといっても、実際は閉まっているに等しい状態で五ミリ位締め残しがあった。ママさんが庭の菜園から夕食のアスパラを調達した後のことである。

 この戸はアルミ製の引き戸で、床から天井までの一枚ガラスの数十キロの重い戸で人間でも開け応えのあるものだったが、そこは本能の馬鹿力を発揮して五ミリの隙間に爪を差し込んで渾身の力で戸を開けた。脱出には五センチも開けば充分だった。

 庭の木々の匂い。土の心地好い感触。

それに増して黄昏どきの甘ったるい自由な外気の雰囲気がなんともいえなかった。

 そのころ、家はてんやわんや。

 「アレ! マリオがいない」

 「アッ! 外にでたな」

 「戸が開いてる」

 「お母さんでしょう?」

 「私、キチンと閉めたよ!」

 そんなやりとりが数分あった後、夕食そっちのけで家族全員による大捜索隊が繰りだされた。

 「マリオ!」「マリちゃん」「マーリ」「マリ、マリ」あらゆる呼び方で捜し求める家族一同の声を尻目にして、恋の予感の逃避行に胸躍らせて踏みだした。

 ところが、現実は厳しく逃亡初日、家から数十メートルの公園で深夜行われた猫集会で、その洗礼を受けた。

 集会に集まった猫は野良猫を筆頭に、普段は自宅と世間を自由に往来している猫族で、箱入り状態で育ったマリオの感覚と異なるものだった。

 それでも夢にまで見ていた自由な雰囲気に誘われて、同族の集まりに親愛の情をこめて近づいた。その瞬間、考えられない罵倒を浴びたのである。

 「なんだ、お前は」

 「どこから来た」

 「猫なら、猫らしい格好をしろ」

 「誰か、こいつを見たことがあるか」

 「何だ、お前の顔は」

 「ふん、無視しろ」

 そこにひときわ威風のある片方の目が黒い斑状の猫がやってきた。戦国武将伊達政宗のような風貌のボスである。

 「おい、おい、そんなのを相手に何を騒いでいるんだ」

 散々、雑言を浴びていたマリオのまわりがシーンとなった。

 マリオはそのボス猫の威圧感に対し、恐怖を感じて幼いながら威嚇を発した。途端、顔面に強烈な衝撃を受けた。

 「ニャン!」と悲鳴をあげて、顔をあげたら先程まで周りにいた仲間達は居なくなっていた。

 仲間に無視されたマリオは途方に暮れていた。(どうも家の中で考えていたようにいかないようだ)

 その夜は、よその家の床下に潜り込んで過ごした。朝になると空腹で堪らない。「何か食べなくては」と思うが、何もない。空腹を抱えて、人目を避けながらうろうろしているうちにまた夜になった。あちらこちらで恋の叫び声がする。

 空腹を忘れて声の方向に向かう。相手は雄だった。知らぬふりをして別な声に向かう。今度は幸運に雌猫である。マリオは声にならない声をあげて近づいた。

 通常、猫社会の恋愛成立の条件は雌に雄猫の選択権があり、嫌いな雄は相手にしない。

 特に、マリオのようなようやく成猫になったばかりの雄は対象外である。三~六才ぐらいの逞しく闘争心のある雄が好まれる。

 これは動物の世界では当然のことであり、丈夫な子を生むための本能的な選択である。人間社会の顔の善し悪しは問題外だ。

 当然のことながら、マリオは一蹴された。それでも懲りずに近づくと、物凄い形相で攻撃された。痛いというより、びっくりして逃げ出した。そんなことが二~三日続いた。

 空腹はゴミあさりをしたり、飼い犬が散歩している隙を見て、食べ残しの餌を失敬したりしてしのいだ。

 家の朝昼晩と三食付きだった生活に比べると、食うや食わずの家出生活は過酷なものだった。それでもマリオは監禁同然の生活より満足していた。

 家出して一週間過ぎた頃、マリオの自由を謳歌している気持ちとは関わりなく、そんな放浪生活がヒョンなことで解消した。

 夕方ある家の庭先をうろついていると、その家のパパさんらしい人間が声をかけて餌を置いてくれた。空腹だったマリオは警戒心を忘れてガツガツと食べ出した。その途端、首をヒョイと捕まれた。

 「おい、捕まえたよ」と言ってその家に連れこまれた。

 それから、他家での幽閉生活が始まった。

 育った家とは雰囲気も家族構成も段違いで、若いパパさん、ママさんに、三才位の女の子とようやく歩き始めた一才の男の子がいた。女の子は縫いぐるみと勘違いしたのか、荒っぽい動作でマリオを扱った。

 さらにひどいのは男の子で、マリオにとっては理不尽そのものだった。殴る、蹴る、玩具で叩く、尻尾をつかんで振り回すで、反抗するとパパさんかママさんに叩かれた。食事は有り難かったが、まことに居心地の悪いものだった。

 幽閉のおかげで体力も回復し、消える事のない本能もあって、再び脱走をうかがう日々が続いた。

 三日目にチャンスは訪れた。外にいたパパさんと室内の女の子の話しに行き違いがあった。「パパ、嫌い」と言われたパパさんはそれを解消するために戸を開けた。それがチャンスだった。戸の横に寝そべっていたマリオは瞬間的に飛び出した。

 「アッ、白」という言葉を後に、再び自由と満たされる筈のない恋の可能性に向けて一目散に走った。

 放浪は相変わらず厳しかった。雌猫には相手にされず、雄猫には威嚇され、恋の収穫ゼロの毎日である。勿論、まともな餌はない。

十日を過ぎたある夜、雌猫と雄猫が二匹いる場面に出会った。

 マリオは意を決した。雄猫を無視して、雌猫に近づいて愛をささやいた。途端、隣にいた雄猫が「シャーッ」と威嚇を発した。マリオも負けずに「シャーッ」と返した。喉の奥から唸り声を絞りだしながら睨み合いが続く。

 尻尾を後ろ足の間にはさんで、前足と後ろ足を踏ん張って睨んでいると、相手が横に動いた。その瞬間、飛び掛かった。

 お互い首筋を狙った噛み合いが始まる。組んずほぐれつの格闘は何秒か続いたが、マリオには弱点があった。太く長い尾である。

 三度目の格闘の時、尾を噛まれた。万事休すだった。激痛に悲鳴をあげた。痛みを引きずって敗退せざるをえない。

 それから、何日か知らない家の縁の下で尾の傷を舐めながら過ごした。

 マリオの恋の状況は一向に好転しなかった。空腹を抱えて、途方にくれながら家族を思い出していた。

 放浪は一度も恋が成就することのない失恋物語で幕を閉じようとしていた。


2008年6月29日日曜日

育ち盛り



ー国鉄改革ー

 マリオが家族の一員になってから約一年が経過した。

 昭和六二年四月、日本の文明開化の担い手として一一五年続いた国有鉄道は官営の巨大組織から、民営の六つの旅客会社と一つの貨物会社として、スタートした。

 パパさんは百数十人の部下の再就職をすべて決めて、幸か不幸か「去るも地獄、残るも地獄」と風聞された旅客鉄道株式会社に移籍することになった。

 パパさんとしては、鉄道に志を持って職を求めた部下達、同じ屋根の下で同じ釜の飯を食った仲間の三分の二が鉄道の現場から、公的機関・民間会社へ去って行った状況を考えると、鉄道会社への再雇用は心情的に喜べるものではなかった。

 さらに、国鉄の財政悪化の原因として喧伝された3K(国会、組合、建設)の一角(建設)にいた立場としては、旅客会社の経営再建上、設備投資の抑制は当然予想された。

 技術者として、仕事のない苦痛は経験した者でなければ判らない。

管理職だったパパさんに選択の余地はなかったとはいえ、東北地方の建設機関の部門長の立場として、民営化といっても巨額の債務を抱えた鉄道会社へ残った部下達のこれからを考えると、非常に懐疑的だった。

 パパさん四五才、正に男盛りの春。

 民営会社としての旅客鉄道経営の成り行きを心配しながらの再スタートだった。


〈うわさの大工〉

2008年6月27日金曜日

ー進学問題ー

 娘の高校受験と同時並行で、長男も大学受験の勉強中だった。高校三年の現役受験は全て失敗したため、盛岡で再挑戦を期していた。

 幼いマリオにとって、あちらもこちらもという訳には行かず専ら娘の勉強を見守った。

それでも、家に誰も居なくなると、長男の部屋も訪問した。本が広げてあって部屋中に紙屑や脱ぎ捨てたシャツ、靴下の類いが散乱していた。正に居場所もないという状態である。

そんな雑然とした雰囲気がマリオは気にいっていた。空いた場所がなくても本の上だろうが、シャツの上だろうが寝そべる。長男も心得て、何も言わないで無視した振りをする。

 たまに「マリオ、邪魔だよ」と言って、足元の本を引き抜かれることもあったが、お互い気にしない。次はシャツか別な本の上に座れば良い。

 長男は、当時、国鉄で新幹線の駅とかホテルの建設に携わっていたパパさんと同じ技術者を目指していた。

 東京の高校の頃はまじめに学校に行かなかったらしく、理系の大学を目指すにはハードルが高すぎた。“後悔先に立たず”だった。

 正月明けになって、東京、仙台と四校ぐらい受験した。結果は仙台の大学だけが合格で東京の大学は全敗。

 ママさんは(一校だけでも受かって)「アー、良かった、良かった」と喜んでいた。

 ところが、長男は東京の大学が諦め切れず、仙台にはサラサラ行く気はなかった。

 「お母さん、来年もう一度東京の大学を受けたいんだけど」

 ママさんは仰天した。

 「黙って、受かった所に行きなさい」と必死に説得する。

 「いや、やっぱり東京の○大に入りたい」ママさんはお手上げである。「それじゃ、お父さんに相談しなさい」

 週末、パパさんと長男の会話。

 パパさん「仙台に行くのか?」

 長男「あのー、来年もう一度東京の大学を受けたいんだけど」

 パパさん、無言。しばらく、間を置いてから、

「よし、もう一回やって見るか。その代り、来年だけだぞ」

 「ウン、いいよ」

 かくして、また一年間、長男の勉強しない大学浪人二年目が始まった。

 訪問相手が減って寂しくなるはずだったマリオは、素直に喜んでいいやら複雑な心境だった。

〈うわさの大工〉

2008年6月22日日曜日

育ち盛り


ー予知能力ー

 雨が降る時は猫が顔を洗うと言われている。特に天気予報の能力があるわけでもないが大体当たる。どうしてかと言われると回答に困るが、雨が降る与兆として空気が湿っぽくなってくる。

そうなるとヒゲを整えないと何となく感度が鈍るようで気持ちが悪い。顔を洗っている訳ではないが、ヒゲをきれいにしていると顔を洗っているような動作に見えて、雨予報になる。

 ヒゲは猫にとって大切な探知機能を持っている。幼い子供に無神経にいたずらされることは致命的なので、やむを得ず防御しなければならなくなる。

 いろいろな研究で、猫は予知能力に優れた動物とされている。例えば地震の予知ができる。地震の前の微かな振動を感知できる。さらに火災などの前兆を感知できる。

 人間の能力では感じることのできない、微細な空気の揺れとか匂いの変化を事前に感知できるために、猫に予知能力があるとされている。 

世に言う予言者とか占い師とかいう類いではない。ましてや超能力でもない。猫が野生だったころ、孤立して生活する自分の身を守るための能力として神様が与えてくれたものかもしれない。

 ペットとして人間に飼われるようになってからその能力は低下しているが、それでも異常事態になると深層にある潜在能力として発揮される。

 猫が人にあまりなつかない野性的な面があるのは、孤独なサバイバル意識があるためなのかもしれない。

 それでも予測出来ないものとして人間の行動がある。猫といえども、猫の目のように変わる人間は理解しにくい動物だ。

 家族には人間並みか、それ以上の待遇を受けているマリオであるが、猫族の基本的な能力は(人間との)差別化のために大事にしている。

2008年6月19日木曜日

育ち盛り



―最後の御用始めー

国鉄一家と呼ばれるぐらいパパさんの職場は団結力?があるらしい。それ故、お酒を飲む機会が多い。酒が飲めないと変人扱いをされかねないと言う。国鉄の民営化作業も終盤にきて正月を迎えた。

パパさんも久し振りに休みが続いている。マリオも久し振りに家族全員揃っているので、浮き浮きした気分になる。

ママさんは正月の準備で大わらわだ。

「マリちゃん、邪魔だからあっちに行ってなさい」と叱られるが、荷物がわんさとあるキッチンが気になって仕方がない。

ママさんはマリオの大好物な鳥のささみを煮てくれた。

大晦日、家族全員と年越しの夕食を済まして紅白歌合戦が終わると、除夜の鐘が鳴る。

「明けましておめでとう」と声を掛け合う。マリオは始めての正月で意味が判らないが、家族と一緒にめでたい気分になってくる。

ママさんは「皆、頑張ってね」と気合を掛けている。

パパさんは国鉄民営化。長男は大学受験、娘は高校受験とチャレンジ揃い踏みだ。

年越し蕎麦を食べて三々五々夫々の部屋に入り初夢を見る。

翌朝は初詣に神社へ出かけた。長男と娘は眠たくて「行きたくない」と言って、ママさんに叱られていた。

「何を言ってんのよ、あんた達のために行くんでしょう」

穏やかな正月三が日もあっという間に過ぎて、パパさんは国鉄最後の御用始めに出勤した。民営化になると「仕事始め」と言うらしい。

 ママさんは朝から大忙しだ。猫の手も借りたいのか「マリちゃんも手伝ってね」と言われた。

実家からお祖母ちゃんが手伝いに来た。ママさんの忙しい訳は今夜パパさんの職場は新年の御用始めということで大飲み会になり、その後のはしご会場に我が家がなるための準備に気合が入っている。

 事務所で飲むだけでなく、係長、課長、次長と最終の局長宅をはしご飲みして御用始めのお開きになるそうだ。パパさんの課は同僚の管理職が単身赴任のため、パパさんがはしご会場を引き受けた。

 ママさんの大奮闘。

 「あんた達も手伝ってよ」と子供たちに言う。

 「テーブルを出して頂戴」子供たちが渋々動き出す。二階の納戸や地下室からありったけのテーブルを引っ張り出す。マリオも子供たちと一緒にうろうろするが、「マリ、邪魔だ」と長男に怒鳴られる。娘は「マリちゃん、こっちにおいで」と言ってくれる。

 日が暮れるころになると、並べたテーブルの上にお祖母ちゃんとママさんの親子合作料理が所狭しと鎮座する。

 お役目御免のお祖母ちゃんと一緒に、子供たちとマリオはママさんの実家に臨時疎開する。

 パパさんは本務の課に加え、兼務している課があるため来訪する飲んベー諸君は倍になる。その数は五〇人を超える。広い積りの居間と和室で足りず、二階の和室まではみ出す。

 パパさんはママさんに感謝しながら飲んベー達の輪に入る。部屋のあちらこちらに持参した酒やおつまみが散乱している。何故かケーキも二、三個ある。

 この頃になると、大方の職員の転身先は決まっていて、国鉄最後の御用始めの最終会場は、万感の思いを込めて深夜まで盛り上がっていた。

2008年6月17日火曜日

育ち盛り



ーお琴と三味線ー

 娘は東京にいる時、お琴を習っていた。

 引っ越した社宅にパパさんと職場が同じ人がいて、すぐに家族ぐるみのお付合いになったそうだ。北海道出身で、今でも盛岡・札幌間でお付合いをしている。

 そこのママさんはお琴の先生で、娘より一つ年下の女の子がいた。女の子はお琴教室に通っていた。その女の子と友達になった娘は、ある日、女の子についてお琴教室に行った。

 お琴のおさらいを見ているうちに、娘は自分も習いたくなった。

 帰ってきて、ママさんに言った。ママさんは即座にOKした。娘は盛岡時代にピアノを習っていたが、東京に引っ越したため中座していた。

 娘はピアノよりお琴が向いていたのか、トントンとクラスをあげてお免状を貰った。

 東京に居た五年間に色々なところで発表会をしたらしい。

 盛岡に引っ越しするということになり、東京のお師匠さんは残念がった。盛岡に行っても続ける事を勧め、お師匠さんの後輩であるの芸大出身の先生を紹介してくれた。

 娘は、マリオがこの家に来るちょっと前から紹介された盛岡のお琴教室に通っていた。教室は週に一回であるが、高校の受験勉強と掛け持ちで結構忙しそうである。

 特に、発表会が近くなるとあわだだしい。一か月前から家でも練習する。普段もママさんは「家でも練習しなさい」と言っているが、ほとんどしない。

 何か切羽詰まらないと、その気にならないという人間の悪い癖だ。それでもお琴の練習をママさんと一緒に聞いていると、ホワンとしてマリオも落ち着いた気分になる。

 東京時代同様、発表会当日はパパさんも駆り出される。道具を運んだり、カメラマンになったり、録音をとったりで大変そうだ。

 「仕事より大変だよ」と言いながら、結構ハッスルしている。

 話は変わるが、お琴と三味線はセットになっているらしい。お琴も相当の上級になると三味線を習うことになる。

 ママさんは自分の好みもあって「三味線も習いなさい」と娘に薦めている。

 三味線の音響部は猫の皮を張ってあるため、マリオとしては止めて欲しいと思っている。同族の悲しい泣き声みたいな音色は聞きたくない。

 娘は「あんなお婆さんみたいなのは嫌」と言って習う気はないらしい。

 マリオは内心ホッとしていた。


2008年6月12日木曜日

育ち盛り

ーメロン大好きー

 マリオの食事は、ペット屋さんに教えられた乾式のペットフードだったが、娘がスーパーで「こっちが美味しそう」と言って缶詰を買ってきてから変わった。買い置きの乾式フードはたまに貰ったがすぐに品切れになった。

 定食は缶詰であったが、家族の夕食の時は娘の横に座って、おかずを分けて貰った。

 ママさんに「行儀が悪くなるからやめなさい」と叱られながらも、娘は必ず何かをマリオにあげた。

 特に、デザートやおやつタイムは楽しみだった。娘は何でも食べさしてくれた。メロン・イチゴ・カボチャ・栗・サツマ芋・トマト・トウモロコシ、アンコ、ケーキ、蟹、エビetc…。

 ママさんはたまにレバー、ささみを煮てくれた。大好物である。

 パパさんは「あまり、美食させると病気になるぞ」と注意したが、無視された。

 そのパパさんも推奨したのがメロンである。たまにママさんと買い物にいくと何はともあれメロンをバスケットに入れて、「高いのよ」と言うママさんの苦情を無視した。

 そんなこともあって好きな食べ物の中でメロンは大好物だ。

 家族が「マリオが寝ているうちに食べよう」と言って食べていても、メロンの甘酸っぱい匂いで目が覚める。

 「クンクン」と鼻をピクピクさせて居間にいくと案の定、大好きなメロンがある。

 最初は実を貰って、それから皮を貰う。ヤスリ舌でメロンの皮を舐めると至福の味がする。

2008年6月10日火曜日

育ち盛り

                   どこをさがしてんだよ!


ーかくれんぼー

 家族の一員になって、すこぶる居心地がよいと思っているが、マリオには不満が一つある。それは外出禁止である。人間にも門限とかいろいろ制約があるらしいが、猫に野外活動をさせないということは、子供に遊ぶことを禁じることと同じ以上の意味をもつ。

 隣のシャム系のミューちゃんという短毛猫は、外出自由の身分でいつも羨ましいと思っている。

 首輪をつけられないと外に出られない我が家の庭まで、ミューちゃんは自由に闊歩している。それもテラス戸越しのマリオの目前で堂々とやられる。

 ミューちゃんだけなら許せるが、見知らぬ同族諸君も時々庭に入り込む。

 その度マリオはささやかな縄張りである庭にマーキングしなければならないと居間のガラス越しに地団太を踏む。マリオに自由外出のチャンスが全然ない訳ではないが、一日十四時間の睡眠が妨げになっている。

 ママさんをはじめ家族は出入り自由なので、出入りのための戸の開閉は頻繁に行われるが、ほとんどマリオの睡眠中を狙って出入りしている。

 たまたまマリオが起きていると、首輪をつけて庭に放す。そして家族は戸を開けっ放しにして自由に出入りする。

 住んでいる町内のわずか五百メーター程度であるマリオの行動半径は完全に制約されている。

 マリオは猫が猫らしく生きられる環境を求めて、自由に外出できる機会を狙っているが実現はなかなか難しい。

 そんなマリオにも唯一猫らしい本能を満足できる空間があった。二〇帖の広さの地下室である。そこは雑然とした倉庫で、色々なガラクタが置いてある。

 次男が幼かった頃、夏の暑い時は近所の友達と三輪車遊びをしたという広い地下室がマリオのお気に入りの空間である。

 漬物の樽や段ボール、パパさんの日曜大工の道具、シーズンオフで使わない電気器具や道具、古くなった家具やとにかく混沌としているのが大好きだ。高窓から外を観察すると実に面白い。地面すれすれなので、誰もマリオが見ていることに気がつかない。

 退屈な時は地下室に遊ぶ。

 棚もあって物陰に隠れていると、マリオの所在が分からなくなる。娘は慌てて家の回りを探したりしているが、頃合を見て姿を見せてやる。

 「どこに行っていたの、あっ、地下室だな」と言いながら、「さっき見たんだけどな」とつぶやいている。

 別にいじわるする気はないが、「ここに居るよ」と知らせる必要はないと思っている。

〈うわさの大工〉

2008年6月8日日曜日

育ち盛り

                   心配だな、がんばって!

ー受験勉強ー

 日中と夜寝るまでの時間はほとんど娘の部屋で過した。娘は中学三年の新学期に転校したため、学校の友達やカリキュラムの違いもあって高校の受験勉強には悪戦を強いられていた。ママさんは、そんな状態であるためペット(犬でも猫でも)飼育は反対だった。

 そこにマリオ登場である。

 学校でトラブルがあった時や東京の友達など思い出す時は、マリオが娘の慰め役だったが、それ以上に娘は念願のペット実現で(マリオに)夢中になっていた。勉強も手につかず、マリオにつききっきりである。

 マリオがベッドに寝ていると、一緒に横になってあどけないマリオの寝顔を見続けていた。そしてそのまま一緒に寝込むことも度々あった。

 東京の中学時代はマァマァの成績で心配なかったらしいが、盛岡の受験事情は東京と異なるため、早い機会にペースを取り戻して欲しい、というのがママさんの切実な願いだった。

パパさんに週末になると、ママさんから苦情が呈される。

 「お父さん、(娘が)マリオにべったりで勉強してないのよ、何とか言って頂戴!」

 「………」無言のパパさん。

 学期末の進学相談の結果はかんばしくなかった。担任教員に志望校が難しいと言われた。 又々、ママさんの心配がつのる。

 「お父さん、どうにかしなくちゃ」

 「よし、判った」と言ったパパさんの打った手は、家庭教師の手配だった。女子大生のアルバイトがやってきた。週に二回の受験勉強の指導時間は立ち入り禁止である。

 マリオは性格的に、家族以外はあまり親しみを持てなかったので、知らないお姉さんが来ている娘の部屋は敬遠した。

 その時は居間にいくか、長男の部屋で訳の判らない賑やかな音楽を聞くか、次男のところに行ってファミコンの伴奏を聞きながら寝そべっていることにした。

 パパさんも、中学の中途半端な時期に転校させた娘が心配で、週末になると勉強を応援した。時間を決めた模擬試験みたいな勉強だった。その時はマリオも娘の部屋を覗くことがあった。そろそろと入ってベッドに上がって見ていると、「マリちゃん、難しいよ、教えて」と言われる。返答に困ってしまう。

 色々いきさつがあって第一志望は無理だったが、市内の女子高校に入学した。パパさんも、四月から転任予定の仙台の高校を打診したらしいが、娘の希望で盛岡に落ち着くことになった。

 娘は高校生になってからは元気を取り戻して、通学している。

 マリオのせいではないのだが、第一志望を逃したのが残念だったらしいパパさんは、

「マッ、大学の時頑張れば良いか」と納得していた。

 〈うわさの大工〉