2008年6月29日日曜日

育ち盛り



ー国鉄改革ー

 マリオが家族の一員になってから約一年が経過した。

 昭和六二年四月、日本の文明開化の担い手として一一五年続いた国有鉄道は官営の巨大組織から、民営の六つの旅客会社と一つの貨物会社として、スタートした。

 パパさんは百数十人の部下の再就職をすべて決めて、幸か不幸か「去るも地獄、残るも地獄」と風聞された旅客鉄道株式会社に移籍することになった。

 パパさんとしては、鉄道に志を持って職を求めた部下達、同じ屋根の下で同じ釜の飯を食った仲間の三分の二が鉄道の現場から、公的機関・民間会社へ去って行った状況を考えると、鉄道会社への再雇用は心情的に喜べるものではなかった。

 さらに、国鉄の財政悪化の原因として喧伝された3K(国会、組合、建設)の一角(建設)にいた立場としては、旅客会社の経営再建上、設備投資の抑制は当然予想された。

 技術者として、仕事のない苦痛は経験した者でなければ判らない。

管理職だったパパさんに選択の余地はなかったとはいえ、東北地方の建設機関の部門長の立場として、民営化といっても巨額の債務を抱えた鉄道会社へ残った部下達のこれからを考えると、非常に懐疑的だった。

 パパさん四五才、正に男盛りの春。

 民営会社としての旅客鉄道経営の成り行きを心配しながらの再スタートだった。


〈うわさの大工〉

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