2009年4月2日木曜日

老境

―社会人大学院ー


 パパさんが論文らしきものを一生懸命書いている。


 娘がそれをワープロで清書するお手伝いをしている。


 どうやら、地元の大学院の社会人募集に応募する気らしい。


 再就職した会社ではルーチンワーク(決まった仕事)があるわけでなく、JRでバリバリやってきたパパさんには日々が物足りない。


JR時代に従事した「プロジェクト・マネジメント」を経営学の論文にまとめるという目的らしい。


 春先に、技術士の経営工学の国家試験に合格し、その上会社の仕事が暇すぎて当面の目標がないのも原因している。


 ママさんも子供達も冗談だろうと思っていたが、パパさんは本気だった。


 面接試験から帰ってきてママさんに話していた。


 「(受験者の中に)俺より年配の人もいたよ」


 四月から、56才の大学院生になった。


 「教授がほとんど年下でやりにくいよ」と言いながら、結構楽しそうだ。


 毎日行くわけでなく、選んだ講座のある時間だけ行けば良いらしくて、閑職同然のパパさんとしては全然負担にならない。


 隔週の土曜日に特別研究の講座もあるが、この日は娘に車で送られていく。


 大学院は学部からの進学組や留学生の若い院生が多く、時々留学生に教授と間違えられるらしい。


 マリオはその時のパパさんの様子を想像して、楽しくなった。


 オヤジ院生のパパさんも慣れてくると、学生気分になるのか、今日はゼミの連中と飲んできたとか教授と国分町でカラオケをしたとか結構楽しそうである。


 「トルコから来た○○ちゃん可愛いぞ」と言ってママさんのひんしゅくを買っている。


 研究室では院生に親分と呼ばれて慕われているらしいが、ママさんには「真面目に勉強しなくちゃ駄目よ」と言われていた。



                   東北大学



2009年3月30日月曜日

老境

ーライバル登場ー

 札幌から神戸に転勤していた長男が仙台に転勤してきた。

仙台の家から札幌に転勤した時は独身であったが、今度は嫁さんと神戸で生まれたジュニアと三人で戻ってきた。

 パパさん、ママさんにとっては初孫である。

 パパさん五十五才、ママさん五十四才である。おじいちゃん、おばあちゃんと呼ぶには若干抵抗のある年齢である。

 それでも二人はニコニコしている。目に入れても痛くないとはこのことだろう。

 家庭の主役だったマリオにとってはライバル登場で、マリオのステイタスの危機でもある。

年をとっても、我が家のアイドルを自認しているマリオは家族の愛情を横取りされるような危機感を感じていた。その上何よりも嫌いな赤ちゃんである。

益々、憂鬱になる。

 ジュニアはよちよち歩きであるが、まだはいはいが楽らしくて歩くことは少ない。

 幸いなことに、長男は会社の社宅に住むので嫁さんがジュニア同伴で訪問した時だけのストレスになる。

 それにしても、家に来ると大変である。

ママさんはジュニアを抱っこして「ほら、マリちゃんだよ」とくる。逃げ出したいのをじっと我慢している。

 そのうちジュニアも慣れてきて、「ニャーニャ、ニャーニャ」と近寄ってくる。

 マリオには恐怖の連続である。

 救いは娘がいる時だけである。

 「ねー、マリちゃん、ジュニアなんて」とマリオをかばってくれるが、気持ちは少しずつジュニアに傾いている。

 ジュニア用語。ジィジィ=パパさん、バァバァ=ママさん、ネェネェ=娘、ニィニィ=次男、ニャーニャ=マリオである。

マリオには何のことか判らない。

 ジュニアは来る度に大きくなっている感じで言葉もしっかりしてくる。マリオの呼び方も「ニャーニャ」から「マリちゃん」に変わった。

 マリオは時々ジュニアにジェラシーを感じる時もあったが、餌を運んでくれたり、優しい一面のあるジュニアが少しずつ憎めなくなっていった。

 それに同性という親しみもあったかもしれない。


2009年3月29日日曜日

老境

ーマリオの憂鬱ー



 慌ただしく引っ越しをした。今まで住んでいた社宅から距離にして三百メーターくらいなので、ほとんど梱包もしない。次男に大学の友達数人を集めさせて、アルバイトを兼ねた引っ越しで運送屋にも頼まないユニークな引っ越しである。


 トラックをレンタルしたため、結果的には運送屋に頼むより高くついた。パパさんは次男の友達のミニ奨学金だと割り切っている。


 ともかく、新しい出発である。マリオは二度目の転居で、猫にしては移転が激しい方だ。猫は生活環境が変わることが一番こたえるが、家族全員一緒なのでマリオは気にならない。とはいうもののひとつだけ欠点があった。


 今度の家は四階にあって、土がないのが大変である。幼い頃から、庭付きで育って前の社宅も一階だったから首輪をして前庭に放してもらった。今度のマンションではそのようなことは期待できない。

ベランダがあるが、今まで上ったことのない高さである。目の前の竹藪にいろんな鳥が飛んで来ることくらいが、日々の変化になる。


 家の広さも前の社宅より一回り小さい。どうやら引っ越しする度に家が狭くなる。


 パパさんはマンション購入で思わぬ大出費になり苦虫顔だが、ママさんはあこがれのマンション生活でルンルンである。


 住んで一か月ほど過ぎて、マリオは体調不良をかこっていた。

やっぱり土に接しないのは具合が悪い。

盛岡の家でも、JRの社宅でも庭があってマリオの好きな青草があった。マンションにはそれがない。


 長毛の猫は毛並みを揃えると、どうしても毛が口に入る。

それが胃の中で毛玉になる。

そうなると吐き出さなければならないが、青草を食べないと吐き出しにくい。

そのためもあってか、体の調子がよくない。


 一度、開いていた玄関から外に出てみたが無表情な通路があるだけで、どこからか人が突然現れそうで、慌てて家に引き返した。


 ママさんが気づいて、前に住んでいた社宅の庭から青草を取ってきてくれた。マリオは新鮮な青草がこんなに美味いものかと改めて感じた。


 娘もペット屋から猫の好きな草の種を買ってきてくれるが、プランターに植えて食べられるまでには二週間ぐらいかかる。


 このままマンション生活が続くかと思うとマリオは憂鬱だった。


                新聞を眺めるマリオ

2009年3月28日土曜日

老境




ー住宅問題ー

 当然だが会社を退職すると社宅には居られない。一般的には退職前に自宅があるのが普通である。ところがパパさんにはその準備がなかった。

 パパさんは退職したら自宅のある盛岡に戻る積もりだったが、系列会社に出向してそのまま転職したため、勤務地の仙台には(住宅を)考えていなかったのである。

 当然、受け入れ要請のあった出向先の会社で考えてくれると思っていたが、その会社は通常のOB社員と同じに考えていたため社宅は準備しなかった。パパさんは激怒した。

 会社の幹部を呼びつけて、「来て欲しいと言いながら、(住宅を)準備していないとは何事だ」と怒った。

 会社は慌てて自社保有のマンションを呈示したが、古い、汚い、狭いの三拍子揃ったもので、家族四人と一匹が住むにはほど遠い代物だった。

 パパさんは街を歩くと不動産屋をせっせとのぞいた。中々適当な場所、適当な家賃の物件が見つからない。たまに適当な物件が見つかってもペットお断りだ。

 家族にも危機感が出てきて、娘はアパマン情報を買ってきて色々物色していた。

 ゴールデンウィークはどこかに旅行でも考えていたが、レクレーションどころではなかった。娘の運転でパパさん、ママさんが不動産屋を回り、賃貸物件を見て歩く。しかし、いずれの物件もマリオの存在が問題だった

 散々なゴールデンウィークでパパさんは怒り心頭に達していた。

 「何でこんなことになるんだ」と思い、真剣に(今の会社を)辞めて盛岡に行こうと考えていた。


パパさんは自分が役職定年まで勤めたJRに社宅にいて(住宅が見つからず)迷惑を掛けていることを気にしていて、やりきれない思いでいた。


 ある朝、ママさんが「お父さん、これはどうかしら」と一枚の新聞のちらしを出した。中古マンションのオープンセールのちらしだった。


 パパさんは仙台には三年居たら盛岡に帰る予定だったので、住宅を買うことは眼中になかったが、マンションは社宅の近くだったので、日曜日の午後、家族全員で見に行った。

 都心にあったが周辺に緑が多く構造的にもしっかりしていて、共用部分の管理もいき届いていて感じの良いマンションだった。ママさんはレンガ調の外観が気に入っていた。

 オープンルームは綺麗に掃除されていて、三LDKの標準的な間取りだった。

 住宅探しに辟易していたパパさんは即刻決心した。

 「買おう」

 ママさんは一瞬びっくりしたが、ホッとしながらもどこをリフォームするか部屋から部屋を見て歩いた。

 そのマンションの管理規約も御他聞にもれず、(ペットお断り)だったが、室内犬の鳴き声が所々でしていて、そのことがパパさんの決断の最大原因であった。

                マンション




2009年3月27日金曜日

壮年期

ー退職ー


 国鉄20年、JR10年勤めたパパさんが55才の誕生日を迎えた月末に退職することになった。


 国鉄改革という激動を挟んでの鉄道勤務30年である。


 主に建設畑を歩んで、大きなプロジェクトにタッチしてきた。


 新幹線は東北に始まり、3本のフル新幹線と3本のミニ新幹線の建設に携わった。パパさんが手掛けた駅や駅ビル、ホテルも東北の各地にある。


 終盤、JR本社にいたため東京地区を始め全社のプロジェクトにも従事した。


 正に、地図に残る仕事をしてきた。


 技術者としては恵まれた会社人生だった。順調そのものと言える。

 国鉄・JRを通じて良い上司に恵まれ、高いハードルを乗り越えようと一体になって頑張ってくれたスタッフに支えられながら難関を乗り越えてきた。


 順調でなかったことが一つあるが、それもこれからの人生では滅多に経験できない貴重な体験と言える。国鉄改革だ。


 最近は大企業の倒産やリストラから構造改革と称する政府の特殊法人の民営化論議がかしましいが、昭和60年代前半、第二臨調による行政改革という御旗の元で実行された巨大国有企業の民営化は想像に絶するものがあった。特に国鉄は整理対象の人員、資産、債務処理等々大変な規模であった。


 組織の変更、余剰職員の転職、仲間との離別、創業時の経営的な不安と危機感、これらに遭遇し乗り越えて今の新生鉄道がある。


 10年経過した民営会社として安定してくると、8万人の巨大組織(JR東日本)なだけに意識的な面で官僚的な回帰現象が見られるが、昔の国鉄に戻りようがないとパパさんは考えている。


 長い技術者生活で腹の立つこともあったが今となれば小さなことで満足感が先行する鉄道人生だった。


 マリオも家族と一緒に「パパさん、ご苦労さん」と思っていた。


                 パパさん、本当にご苦労さん!

2009年3月26日木曜日

壮年期





ー始めての海外旅行ー


 パパさんは出張も含めて何度か外国を旅行しているが、ママさんは一度も行ったことがない。ママさんは海外より日本の温泉が良いなのタイプで、外国には行きたいと思っていない。国内派だ。




 国内は結構旅行している。九州、北海道、北陸等、京都は三回ぐらい行っている。




 「京都は何度行ってもいいわ」と国内派を自認している。




 JRが夏休みをかけてJALのジャンボをチャーターして、カナダツアーを企画した。パパさんの出向している会社もグループ企業として参加することになった。




 ママさんも一緒に行くという。ママさんは始めての海外旅行で何となく不安である。盛岡のお祖父ちゃんお祖母ちゃんに報告する。




 フライトは仙台空港からなので、こちらは気軽にいける。




 娘と次男に空港まで見送られてカナダはバンクーバーに向かった。




 空港に着いて、ママさんの第一声。




 「外人が多いわね」




 初日は夜のトロント空港に向かうまでの時間、市内観光になった。出発の前に添乗員が「カバンはあそこのコンベアーに乗せて下さい」と言ったので、パパさんはスーツケースとママさんの手回り鞄を乗せた。やたらと身軽な感じになった。




 市場を見たりしてママさんには結構楽しいコースだった。空港に戻ってトロントにフライトした。トロント空港で各人のカバンを取ったが、ママさんの手回り鞄がない。チケットが付いていなかったためバンクーバー空港で積み込まなかったらしい。




 添乗員が空港の係に照会しても出てこなかった。帰りもバンクーバーになるため空港に捜索をお願いして、次なる訪問地、ナイヤガラの滝に向かった。




                   
 ママさんは初日からパニックである。外国で身の回りの品物が無くなって心細かった。


 翌日、滝見物もそこそこに、ナイヤガラフォールズの街外れのスーパーまでショッピングに行った。歯ブラシ、櫛、化粧品などの日用品の効能をパパさんに翻訳させながらの買い物である。



 帰りのバンクーバー空港で奇跡的に携帯鞄が見つかった。



 日本からカナダへ飛んだだけの鞄だ。



 それでもママさんは「良くあったわねー」と感激していた。



 ママさんの海外旅行はトラブル続きである。



 パパさんの退職記念に家族でヨーロッパ旅行した時は、ユーロトンネルが火災事故で不通になり、急遽フランスのカレー海岸からドーバー海峡を巨大なホバークラフトに乗り、イギリスまで横断したらしい。



 その後ギリシァに行った時はエールフランスのストライキに遭って、急遽ロンドン経由の英国航空で帰国した。


                 エーゲ海の猫


 ママさんは「海外旅行はもういいわ」と言っているが、マリオは信じていない。









2009年3月25日水曜日

壮年期



ー出向ー

 パパさんの年来の夢は、独立だった。高校を卒業して国家公務員になりながら、その後二年も職業を転々として、独立の可能性がある建築を勉強したいという気持ちは捨て切れなかったらしい。


 国鉄に入社してからも、その夢の転機は二度あった。


 一度目は国家ライセンスの一級建築士を取った時だ。憧れの国鉄に入社して、三年目である。大卒のノンキャリアで入社したパパさんは、官僚的な人事システムに失望していた。その時はパパさんのママさんのお祖母ちゃんが病気になったため、あきらめた。


 二度目は国鉄が民営化される一年前のことである。民営化の説明をしながら虚しさを感じていたパパさんは、部下達の雇用に対する不安を痛切に受け止めていた。


 部下の一人はパパさんが「会社を作って皆を受け入れればいい」とまで言った。当時の昭和六〇年前後は不況期で新事業どころではなかったが、真剣に悩んだらしい。


 色々なことがあって、JRに落ちついたのである。惨々たる経営内容の国鉄から転じた民営鉄道会社が好転するとは予想もしなかったが、トップから現場までを巻き込んだ意識改革を重ねた経営努力の結果、初年度で数百億の利益が出た。驚異であった。


 その後JRで、仙台に六年、東京の本社に三年と勤務したパパさんは五四才になった。後一年弱を残し、後進に道を譲る名目で若年退職もしくは出向の選択に迫られた。


 パパさんは長年の夢であったデザイン事務所開設のチャンスと思ったが、周囲の状況が許さなかったらしい。


 パパさんは、相当頑固な一面があって、自分の意思を通すということでは人後に落ちないところがあるが、使命感みたいなものに弱かった。


 本社のミドルを勤めた立場で、自分の希望を通せなかった。退職後を含めて、グループ企業でしかるべき年数を勤めるという暗黙の人事慣行があり、パパさんの希望は先例のないことだった。国鉄改革から十年目を迎え、JRも経営安定期に入りつつある時期に、波紋を起こす道を避けて、出向の道を選んだ。


 そして、推薦されたグループ会社はパパさんが最も敬遠していたゼネコン(建設会社)であった。


 ゼネコンは国鉄・JRを通じて建設の職場にいた関係でおつきあいも多く、ある意味では仕事のパートナーであったが、一般の会社に比べゼネコンという企業の経営体質に常に疑問を持っていた。


 技術的には世界をリードするレベルにあるにも関わらず、コストを始めとする不透明さは何とも不可解であった。


 本来は男の職場なのであるが、陰にこもったゼネコンの経営スタイルがパパさんの遺棄する最大の理由だった。

               パパさん、大丈夫ですか!

2009年3月22日日曜日





 幼い頃からであるが、マリオは食事の場所が気にいらない。

 キッチンの流し台の横が食事場所と決まっている。家族の中ではただ一人、マリオを別格と考えているママさんの方針である。

 ママさんは来客の時、マリオが一緒にいるとお客様によっては猫嫌いの人もいるだろうし、(マリオの)躾がなってないと思われるのが嫌らしい。

 普段、マリオの食事時は空腹状態が定位なので、食べることを優先しているが、空腹感に余裕がある時は食事場所の不満を訴える。

 食器を前にして床に敷いてある新聞を爪でガリガリと引っ掻く。それでも通じない時は水を入れた大きな食器を手前に引き寄せる。

 ママさんは「あっ、ソォー、お腹がすいていないの、いいよ、後で食べなさい」と言って取りつく暇がない。

 家族の食事時間になって、誰よりも早く食卓のそばに行儀良く座って待機していると、「あなたのは向こうにあるでしょう」とくる。全然マリオの気持ちがわかっていない。

食事を待つマリオ マリオは孤独が嫌いである。家族と一緒に楽しく食事がしたい。猫は勝手気ままで、孤独好きというのは人間の誤解だ。

 娘がいると機転をきかして、マリオの食器を自分の横に持ってきてくれて、「サァ、マリちゃん、お食べ」と言ってくれる。

 ママさんが注意しても無視してくれる。娘は「今日だけだよ」と言って無視する。

 マリオは家族と一緒に食事できることが嬉しくて、突然食欲が沸いてくる。







2009年3月21日土曜日

猫に小判

ー猫に小判ー

 パパさんの趣味はあまりパッとしたものがない。国鉄に入社して最初の職場の歓迎会で、趣味はと聞かれて悩んだ揚げ句、「酒と喧嘩かなー」といって度肝を抜いたらしい。

 高校の時、ラグビー部に入ったが進学のためと称してクラブ活動は熱中しなかった。

 読書は大好きであるが、それ以外これといって自慢できるレベルのものはない。やれることは何でもやるが深く追及しない。特に勝負がかったのは駄目だ。
 向上心がないと言えばそれまでであるが、夢中にならない。囲碁・将棋、俳句・短歌、写真・絵画、日曜大工等と一見幅広いが、いずれもたしなみの範囲を超えることはない。

 そんなパパさんがゴルフをやる。非常に意外であるが、パパさんがゴルフをやる理由は二つある。
 
ひとつはつき合いである。
もうひとつが振るっている。ハーフタイムに飲むビールが天下一の美味だという理由で、朝早くから出かける。

 ちなみにパパさんのゴルフの腕前は二十年前に始めた時と同じスコアーなそうだ。道具は三回ほど買い換えているが、腕は変らない。

 パパさんは「ゴルフは自己嫌悪のスポーツ」だといっているが、自己嫌悪に陥らない程度まで努力すれば良いと思うけれども、その気はとんとない。

 ゴルフから帰ってきても、道具の手入れはしない。出かける前日に、球の数を確認するぐらいだ。
 ゴルフバッグのポケットから白い球を出して布巾で一個一個ふく。
 マリオも手伝いたくなる。手でヒョイとするとコロコロっと転がる。次々とヒョイをする。パパさんは「おい、おい」と言うが、かまいはしない。
 部屋中に球が転がって面白い。散々遊んで、飽きたところでお昼寝タイムになる。

 「しょうがないな」と言って球を集めながら、マリオの真似をしてヒョイと球を転がしている。ひょっとしてパターの感じのヒントを掴んでいるのかもしれない。

 そんなパパさんが、所属部署のゴルフ大会で優勝した。二十数年来のゴルフキャリアで生まれて初めての快挙?である。

 ママさんは(そんなことがあるわけないと思っているから)全然信用していない。

 「賞品は何なの?」

 「ブロンズの像だよ」

 「なぁーんだ、つまんない」

 家庭用品を期待しているので、ママさんにとってブロンズ像は猫に小判である。

 パパさんも何故優勝したかわからない。

 強いて原因をあげれば、上野駅から始発の特急電車の中で部下にご馳走された銘酒が効いたかなと思っている。

 他の部署の社員が「○○部はゴマすりゴルフをしている」と酷評したらしいが、パパさんは生涯に一度だけの栄光に酔いしれていた。

                    優勝のブロンズ像


2009年3月11日水曜日




ー制服の怖さー



 パパさんが本社に転勤して三年目の春、東京でどえらい事件が発生した。



 宗教団体(オーム真理教)の暴走による地下鉄の車内へのサリンを散布した事件だ。死傷者が大勢出た。想像もしない事件だった。



 その事件の余波で、各交通機関は自衛措置としてガードマンや社員による警備をはじめた。


パパさんのいるJRも実施した。最初は現場機関で実施していたが、本社部門も応援することになった。
 パパさんは警備割当ての担当者に「俺達クラスが暇なんだから、(警備当番を)割り当てろ」と言ったが無視された。しばらくして、パパさん達も警備の応援に行くことになった。



警備をした場所は東京駅である。一日のお客様が百万人を超える大ターミナルである。接客現場のため当然のこととして制服・制帽を着用する。



普段のスーツと違って制服を着ると気が引き締まるらしい。警備の腕章をつけて駅構内を巡回する。



 普段はスーツを着て、お客様のような振りで通り過ぎている駅が違うものに感じた。職業意識を意識させる制服の威力である。



 駅を利用するお客様もサリン警備で駅員が巡回していると思っているから、色々な質問を受ける。特に、外人の質問は大変だ。



 待合室を調べていると、人の良さそうなおばさんが近寄ってきて、声を落としながら「チョットチョット、あそこに居る男の人が怪しいのよ」と親切に教えてくれるが、パパさんも困ってしまう。まさか単刀直入に「あなたは怪しい」などとお客様に言える訳がない。しばらく遠くから様子を見ていると、親切なおばさんは安心したのか姿を消す。



 駅にいる何万人のお客様を怪しいと思ったら、際限がない。



 「女性のトイレに堂々と入ったのは初めてだよ」と言っていたが、駅内をくまなく巡回する。女性トイレの見回りは女性のお客様に怪訝な顔をされるらしいが「巡回警備です」というと納得して貰えるらしい。それだけサリン事件は脅威だった。



 その日(厳密には夜)警備場所を移動すると、コンコースの真ん中に液体が漏れて破れたビニール袋があった。



 お客様は迂回しながら通り過ぎている。パパさんと相棒はその袋を見てドキッとした。テレビに何度も映しだされた袋に似ている。



逃げる訳にはいかない。



次々と切れ目なく通るお客様をう回通行させながら、恐る恐る近寄ってみる。異臭はないし、水のようである。持参した棒でちょっと引っ張って見る。毒物ではなさそうだと、意を決してビニール袋を拾い上げる。



 安心はしたもののしばらく恐怖は去らない。



 その時、パパさんはサリン事件で殉職した地下鉄の助役さんのことを考えていた。制服を着てお客様に接していると、我が身をかえりみずに(お客様のために)行動する心理が良く理解できる。



職業意識とは言え、制服の怖さである。



 その点、猫族は何があっても危険を予感すると決して近寄らない。君子(猫)危うきに近寄らずである。人間に生まれなくて良かったとマリオは思った。


                     サリン事件地下鉄現場


2009年3月10日火曜日

壮年期



ー何じゃこれはー

 マリオの好物はいろいろあるが、海産物系で大好物が蟹とエビである。

 娘も心得て缶詰のペットフードでエビいりを買ってくる。高いらしくて10個のうち1個か2個ぐらいしか買ってこない。マリオが食欲のない時の切り札だ。ペットフードの缶詰で蟹入りはない。蟹は猫の健康に良くないらしい。それでもマリオは大好きだ。

 時々、パパさんの札幌に住んでいる友達から蟹が届く。

1年に1回、パパさんやママさんの実家からも蟹が送られてくる。

その時はマリオもご相伴できる。

 娘は「マリちゃん、あまり食べちゃ駄目よ」と注意するがマリオは馬(猫)耳東風である。


 たまに活きたままの蟹が届くこともある。
 ママさんは「マリちゃん、活きてるよ」と言って見せてくれるが、形が悪くて触る気にもならない。


これがあの美味い蟹であるとは想像もできない。
蟹はふっくらとして小さい桜色のバナナのような形が最高なのだ。


 エビは家庭料理でちょくちょく出てくる。
 ママさんはマリオ用に茹でただけのエビを三匹ぐらい特別に作ってくれる。この方が缶詰よりずっとずっと美味である。


 たまに、パパさんの四国の友達から車エビが送られてくる。おがくずの中に入っていて、全部生きている。

 ママさんと娘がキャッキャッしながら、箱から取り出す。マリオも何をしているんだろうとばかり、2人の足元で見ていると、娘が「マリちゃん、面白いよ」と言いながら、2匹つまんでマリオの目の前に置く。全然動かない。


 黒茶色の半分丸まったような形をしている。見ると輪の内側の列をなした小さな虫のようなもの(足)が微かに動いている。さらに、輪の太い先端にあるマリオのヒゲのようなものがゆらゆら動く。

マリオは気持ちが悪かったが、折角娘が置いてくれたのでちょっとだけ手を掛けてみた。
その途端、車エビは30センチぐらい飛び上がった。

マリオも瞬間的に1メーターくらい後ろに飛び跳ねた。腰が抜けるほどびっくりした。

 ママさんと娘はげらげら笑っている。

マリオはいつも美味にしているエビとは知らず、「何じゃ、これは」とばかり尻尾を太くして遠くから眺めていた。

 その日の夜マリオは、ママさんが茹でてくれた「何じゃこれは」を美味しそうに食べていた。






2009年3月9日月曜日

壮年期

―またたびー



盛岡時代からマリオが元気が無いと、ママさんがまたたびを預けてくれる。

マリオはまたたびが大好きだ。


最初の出会いは、小さい頃下痢が止まらなくて衰弱気味になった時、ママさんが手に入れてきたが、そのときは体調が悪くて見向きもしなかった。


下痢が治って数日経った頃、再びママさんが「マリちゃん、これ、どう?」と預けてくれた。


体調が完全に回復したマリオはまたたびの匂いに無我夢中になった。

かじって見たり、なめたり、寝そべってじゃれたり一時間ぐらい遊ぶ。


遊んだ後、気持ちがフォアンとする。どうも病みつきになりそうだ。

しばらくホンワカした気分が続く。

よくわからないが、体調も良くなったような気がしてならない。

パパさんが毎晩飲んでくるお酒と似たような雰囲気だが、マリオは猫の妙薬として時々ママさんにおねだりしている。




               ちょっと、酔っ払ったかな?

2009年3月8日日曜日



 パパさんの実家は岩手県の沿岸地方である。

 昔、陸奥の国と言われた時代に海産取引が盛んだった地方で、今でも黒潮と親潮のぶつかり合う魚群の豊富な三陸海岸の中心地だ。

 港町の宮古でパパさんは多感な高校生まで過ごした。

 古い時代から関西との交易が続き、方言や訛りも京都風な特徴がある。ひょっとして、宮古という地名も京の都をもじって付けられたのかも知れない。

 当然、パパさんのママさん、すなわちお祖母ちゃんは宮古に住んでいる。盛岡時代は時々泊まりに来たが、一週間ぐらい居るとそわそわして帰りたくなるらしい。

 娘が「お祖母ちゃんの部屋もあるのに」と言っても住み慣れたところが落ち着くのかもしれない。

 マリオも頼りになるパパさんのお祖母ちゃんだから親しくしてやりたいと思うけれども一緒に生活していないので気持ちと裏腹にどうしてもよそよそしくなる。

 お祖母ちゃんも動物好きでマリオがお気に入りなのだが、肝心のマリオが打ち解けられない。「マリちゃん、マリちゃん」と声をかけても、知らん振りである。

 そのお祖母ちゃんは仙台に引っ越してから孫である長男の結婚式で一度来ただけで、その後は来ていない。

 あるとき、パパさんの本家(お父さんの実家)から電話があって墓所を改装するという。

 そこにはパパさんが小さい頃亡くなったお父さんのお墓もあって、この際だからと独立した墓を建立することになった。

 宮古の菩提寺は華厳院と称して、史実によると東北の藤原三代の時代に源為朝のご落胤である息子の武将が父のため建立したという由緒ある名刹であったが、お祖母ちゃんとも相談して自宅のある盛岡のお寺に墓所を建てた。

 墓所選択にはママさんの「宮古に建てるとお祖母ちゃんや私達が亡くなったら誰も(子供達が)お参りに行かなくなるわ」という意見もあって、盛岡に決定した。

 パパさんは自分でデザインして洋風のお墓を建てた。

 墓の建立供養の時、和尚さんはお経をあげる準備をしながら「こんなお墓は始めてだなー」と言って感心していた。

 パパさんは一般的なジャパニーズスタイルの墓碑も悪くはないと考えていたが、寺の境内の墓所を見ているうちに考えが変わったらしい。

 同じ形の墓石が並んで個性が感じられない。

 墓とはいえ、死者の家である。墓にもデザイン的な主張があって、存在感が欲しいと考えた。そのため標準の和風の墓碑よりお金もかかったらしい。

 これから増えるかもしれない孫達が、英語に親しむようにと墓碑の中段に英文を刻んだ。

”BY THE FAMILY
   FOR THE FAMILY
     OF THE FAMILY“

 ママさんは「(孫達が)ハイカラなオジィちゃんだったと思うだろうな」とつぶやいていた。子供達の反応もまぁまぁで、とくに苦情はなかった。

 次男だけが「リンカーン(アメリカの大統領)の真似をしたな」と言っていた。

 その日は法事に出席した親戚全員を近くの温泉旅館に連れて行って、墓の建立とお祖父ちゃんの五〇回忌法要の慰労会をした。

 その頃、マリオは仙台の家でひとりぼっちで留守番をしていた。
            みんなどこへ行ったんだろう?

2009年3月7日土曜日

壮年期




 正月の松の内があけて、お屠蘇気分も薄れつつあるときに未曾有の大地震が発生した。火曜の早朝である。

 マリオは地震の起こる直前に、地面が低く唸るような微かな振動を感じて起きていた。家族は皆寝静まっていて不安で堪らなかった。 パパさんは月曜に仙台に出張で翌日の朝一番の新幹線で単身赴任先の東京に行くことになっていた。

 早いパパさんの朝食準備のため、ママさんが起きたのマリオはホッとした。

 珍しくママさんに朝の挨拶をした。

 「ニャーお」

 「あら、マリちゃんどうしたの、もう起きていたの」と声を掛けられた。

 普段は子供達と、びり争いで起きるマリオだったからママさんは意外だった。

 ママさんは朝起きると最初に居間のテレビのスイッチを入れる。スイッチを押してキッチンに向かおうとしたママさんの耳にアナウンサーの絶叫調の声が飛び込んだ。

 テレビの画面で顔が引きつったようにアナウンサーが絶叫している。

 ママさんはすぐパパさんを起こした

 前夜遅く帰宅してまだ眠いパパさんは「何だよ」と言いながら起きてきたが、テレビを見るなり顔色が変わった。

 呆然としてしばらく画面を見ていたが、パジャマを脱いで着替えだした。いつもはパジャマのままで朝食をとるパパさんだ。

 「おい、早くしろよ」と言いながら電気剃刀でひげを剃っている。

 パパさんを駅まで送る役目の娘も起きてきた。

 玄関でオーバーを着ながら、「来週は帰れないかもしれないな」と言って出かけた。

 ママさんも心配げに「気をつけてね」と言って送り出した。マリオも珍しくママさんと一緒に玄関までパパさんを見送りに行った。 東京に行ったパパさんは二、三日テレビ漬けだったらしい。凄まじい被災画面が次々と放映された。神戸という大都市が壊滅したような大災害だった。初期の報道では死亡者数が二千人弱だったが、時間が経つにつれどんどん増えている。

 パパさんは胸が痛くなるぐらい心配していた。関西には国鉄時代の友人が多くいて情報がとれずにイライラしていた。幸いにJRの情報網では、社員の死亡のニュースがないことが唯一の慰めだった。

 震災発生から五日目に、いてもたってもいられなかったパパさんは決断した。取りあえず現地の状況を調査しようと思い立った。土木技術陣はすでに第一陣が出発していた。

 構造設計のベテラン技術者と若手社員の三名で出かけた。

 出かける前夜の日曜日、東京駅近くのホテルに泊まり大阪までは朝一番の新幹線で行き、大阪からバスを乗り継いで神戸まで行った。

 震災の凄まじさはテレビの画面以上だった。パパさんは焼け焦げた被災現場を見て鳥肌が立った。折悪しく雪がちらついて被災地全体に追い討ちをかける寒さになった。
 鉄道施設の被災状況を中心に神戸の街を端から端まで歩いた。テレビで予備知識があったとは言え、技術者として打ちのめされるような状態だった。
 高速道路のドミノ状の倒壊に代表されるように構造物の被害は凄かったが、よく観察すると理論的に合っても無理な設計をしたものと施工不良だったものが被害を大きくしていた。自然の力を甘く見てはいけない。壊滅的だった芦屋の古い高級住宅は、開放的な間取りに加え、瓦葺きの屋根には十センチ以上の粘土が乗せて頭が重くなる工法が災いした。

 甘い技術に対する憤りを感じながら街を歩いていると、新開地の街角で喫茶店が営業していた。砂漠でオアシスに巡り合ったような感動だった。

 熱いコーヒーをすすりながら、ミニ調査団の三人の技術者は寡黙だった。

 炊き出しボランティアが所々にあって、被災者が大勢並んでいた。パパさん達も間違われて「どうぞ」と声をかけられたらしい。

 そんな被災した人達の中に犬もいて、パパさんはホッとしていた。公園はテントが無数にあって犬もつながれていて悲しそうな風情だった。人間の被災は同情してもし過ぎることはないが、ペットも被害者である。

 パパさんはマリオを飼っていることもあって、猫が見当たらないことを気にしていた。猫は家につくと言われているが、飼い主がいない倒壊した家のあたりで途方に暮れている猫を想像しながら、マリオを思い出していた。

 バスを乗りついて大阪に戻ったのは九時過ぎだった。神戸中を歩いてお腹がペコペコだったパパさん達は梅田の高架下の居酒屋で一杯飲んで暖を取った。十一時過ぎに京都の宿に向かった。大阪市内は震災の関係者で満室状態のため宿を取れなかった。

 その夜、京都は黒い空から雪がしんしんと降って、寂寞とした底冷えがした。

 地震発生から十日目に、JR西日本へ技術支援をすることになりパパさんが団長で震災のお見舞いがてら大阪に行った。相談の結果、三名の構造技術者を派遣することになったが、明石市にある被害の少なかった社宅に滞在しながら自炊をしながら列車で通うという状態で、パパさんが心配しながらの支援が約三ケ月続いた。パパさんが所属するJR東日本の社長は(支援に行く技術者は)「一番良いホテルに泊めてやれ」と言ったが、神戸市内とその周辺でホテルらしいホテルは一つも営業していなかった。
 
 

 災害とペットの関係はどうしても人命優先になるため、ペットは後回しになる。

 世の中が平和な時は、矢が刺さった鴨とか穴にはまった犬とか、凧糸がからんだ烏とかを必死に救出して人の心をほのぼのとさせる。しかし、災害になると人間優先は致し方ないところで、飼い主としても断腸の思いだ。

 犬と猫二頭飼っている知人宅の会話を聞いて、パパさんは感心していた。

 知人の娘「もし、地震があったらお母ちゃんは、マメ(中型犬であるが、子犬の頃「豆太郎」と命名された)の首輪を外してやってね、猫達はひとりで逃げられるからいいけど」

 知人のママさん「そうだね、マメは繋いだままでは下敷きになるからね」

 普段から、災害時にペットをどうするかを考えて飼うことは飼い主の基本的な責任であるが、得てしてなおざりになりがちになる。災害国日本のペット飼育の心得として必要なことかもしれない。

 その点マリオは恵まれている。クラクラと弱く揺れる震度二程度の地震でも、娘は「マリちゃん、マリちゃん」と言ってすぐ抱き上げる。

 マリオは家族より機敏に動けるから抱かれるとかえって危ないと考えているが、娘は自分より弱いものだと決めつけている。
 
 神戸の大地震の後日談であるが、パパさんが先年にドイツに出張して講演した「交通デザインフォーラム」をその年日本で開催する計画があった。 
 

 パパさんと一緒に出張した車両担当の部長が窓口になって「ワトフォード会議」の事務局と相談していたが、ジャパンの震災ニュースを見た英国の担当者から日本開催の見送りの連絡が入った。


 車両部長は「日本がつぶれたとでも思ったのかナァー」と言ったが、世界レベルのイベント開催を見送らせるだけの凄まじい震災の映像が世界中を駆け巡ったのだろうと、パパさんは考えていた。




2009年3月6日金曜日

壮年期

                 車は苦手なんだよ
ーTHE VOLVOー

最初に買ったサニーが二回目の車検を受けなければならない。娘は車検を受ける気はサラサラない。
 パパさんは「まだ乗れる」と頑張っている。

 娘はパパさんに憧れの新車を買って貰いたくて「あの手この手」で説得した。

 口説き文句は、「お父さんが国分町(仙台・東北一の飲食店街)で飲んだら何時でも迎えに行ってあげるよ」と言った。

 パパさんは「その手には乗らないよ、タクシーで充分、銀座なら話は別だがな」と素っ気ない。

 娘の決め手の台詞は、「マリオが盛岡に行く時、車酔いするのは(車が)小さいからよ」

 これにはパパさんもちょっと心が動いたらしいが、それでも「新幹線で行けば大丈夫だ」 娘は説得をあきらめて、自力で買うことにした。なけなしの貯金をはたいて、頭金にする計画でディラー(自動車販売店)のセールスマンと相談していた。

 単身赴任列車で東京から帰仙したパパさんが、寄り道をして飲んで帰ると、ママさんが起きていてテーブルの片隅に車のパンフレットがあった。

 「(娘が)買おうとしている車はこれか」と言って、しばらく眺めていたが、そのうち「寝よう、寝よう」と言って蒲団に潜り込んですぐ寝てしまった。

 翌朝は土曜日、パパさんも娘も休日である。

 朝食を済ませた後、「おい、車を見に行くか」とパパさんが言った。

 娘は何を今更、と思いながら「なんで?」と聞いた。

 「マー、いいから」と言って、ママさんと三人で出かけた。

 行った先は外車の販売代理店だった。娘は「ボルボじゃない!」とびっくり。ママさんは呆気に取られていた。お店のセールスマンの下にも置かない説明を受けながら、娘はパパさんの真意を計りかねていた。

 パパさん「これでいいんじゃないか」

 娘「エーッ!」

 ボルボの最新型で、その年Gマーク(グッドデザイン)の最優秀賞を受賞した車だった。パパさん「これをお願いしますよ、支払いはどうすればいいのかな」

 ママさんも只々、唖然としていた。

 帰りの喫茶店で、娘は「お父さん、本当にいいの」と聞いた。

 パパさんは「だって、お前は(車が狭くて)マリオがかわいそうだと言ったろう」と答えた。

 「ふーん」と言った娘は、マリオに感謝していた。

 これには訳があって、当時JR東日本はグループ企業の支援と全体の収入アップを目指して「バイ・ジェーアール」運動(JR社員はJRグループの店から買おうというキャンペーン)を展開していた。本社勤務のパパさんは、何らかの形で協力しなければと考えていた矢先に、車の買い替え問題が持ち上がった。グループ企業で新規の事業としてボルボのディラーをやっていて「どうせ(車を)買うならボルボ」と決めていたらしい。

 グッドデザイン賞も関係あった。ボルボのGマーク受賞と同時に、パパさんの手掛けた駅がグッドデザインの施設第一号に認定され表彰式に出席した時、ボルボの関係者と懇談したことも購入動機の大きな理由でもあった。

 言うまでもなく、マリオの存在が影響していたことも大きな理由だったかもしれない。

 ちなみに、パパさんは運転免許がない。

2009年3月3日火曜日

                パパさん、大丈夫かな?



 パパさんが又海外出張だという。家に帰っても、横文字がプリントされたペーパーを片手に何やらぶつぶつ読んでいる。

 出張先はフランス、ドイツ、イタリアの三か国なそうだが、主な目的はドイツのシュツットガルト市で開催されるワトフォード会議主催の交通デザインフォーラムで講演することらしい。

 鉄道車両と鉄道施設(主に駅)と運行システム等のデザインを競うフォーラムで、パパさんの講演は「山形新幹線システムと駅のデザイン」と題して二〇分のイングリッシュレクチャーをする。

 若手社員二人と成田から出発した。最初の訪問先はJRのパリ事務所である。パパさんの知り合いがいて、その夜はパリ事務所の社員全員とシャンゼリゼの裏通りにある日本料理屋で交歓会になった。積もる話しに深夜一時過ぎまで飲んでしまった。

 その後、夜のライトアップを見に行こうということになり、パリ市内を深夜のドライブに出かけた。

 凱旋門からシャンゼリゼ通り、コンコルド広場、エッフェル塔等一時間ほどのドライブコースをパパさんの知り合いが、酩酊運転で案内してくれた。パパさんは後で同行した二人に「びっくりしたよナー、日本じゃ一発だぞ(お巡りさんに捕まる)」と言った。

 ドイツのシュツットガルトのデザインセンターで講演会が無事開かれたが、前日パパさんは大変だったらしい。公式行事なので自宅から紺のスーツを持参したが、ハンガーに吊るして置こうと取り出したら白い毛が一面についていた。スーツケースに入れる時、ママさんがガムテープで取ったのだが、一緒に入れたセーターから伝染したものだ。

 一時間ほど指で毛を取ったが、本当に大変だったらしい。

 翌日、フォーラムで何とか講演を終えた後、レセプションパーティがメルスデスベンツの本社ショールームで行われた。ベンツの展示室を一回り見学した後にメインホールに世界各国からの参加者が一同に会した。

 ここがパパさんの最大目的の場所であった。JRで山形新幹線の駅舎群を同じワトフォード会議のブルネル賞(交通関係で世界レベルのデザイン賞)に応募していた。パーティにはその審査員も参加するという情報だったからアピールするには、絶好の機会と考えた。

 しかし、よくよく話を聞くとブルネル賞はアメリカで審査されていたらしくて、パパさんは目の前が暗くなった。忙しいのに何のために来たんだ、と後悔したが後の祭りだった。

 気を取り直して、日本の自動車メーカーの駐在員やドイツ人の新聞記者と片言英語で懇談した。話は半分も判らなかったが、会話はお酒も手伝ってくれた。

 後でパパさんの講演した駅がフランクフルトの新聞社の新聞に掲載された。

 帰国したパパさんは日本の国際的な後進性を嘆いていた。なぜなら、このフォーラムでは十二人の講演者がいて、その内四人が日本人だった。


 会場には同時通訳が英・独・仏・利の四カ国準備されていたが、日本語の通訳はなかった。
 「日本語(同時通訳)があれば、俺の流暢な東北ジャパニーズで堂々と講演できたのに」と言っていた。

 もっとも、日本からフォーラムでの講演者は、海外経験の豊富な日本でトップクラスのデザイナー二人と海外勤務の経験のあるJRの車両担当の部長と施設担当のパパさんの四人だったから、日本語の同時通訳が必要なのはパパさん一人だけだった。

 猫語は万国共通であるから、マリオは「人間って不便だな」と考えていた。


2009年2月11日水曜日

壮年期

ー結婚ー

 日曜日、札幌で働いている長男が女性を連れてくるという。

 パパさんは朝からそわそわしている。ママさんは落ち着いたものである。

 「マリちゃんはここに居てね」と次男の部屋に閉じ込められる。

 正午前にやって来た。ママさんが玄関に出て「どうぞ、どうぞ」と言っている。

 女性は長男の後から「お邪魔します」と言って居間に入ってきた。長男も緊張気味である。

 パパさんは女性の両親のことや、兄弟のことを聞いた。

 女性は「一人っ子です」と答えた。
 パパさんは「そりゃ、大変だ」と言った。

 何が大変か良く判らないが、色々話をして女性は帰っていった。

 パパさんが後で長男に聞いた。
 「どこで結婚式をするんだ」

 長男は「うーん」とうなって答えない。パパさんは長男の働いている札幌だと大変だと考えていた。相手の女性は東京だと言う。

 状況を分析すると南は名古屋から、北は札幌の範囲が出席者の分布になる。新潟、岩手もある。

 パパさんが気にしているのは岩手にいるお祖父ちゃん、お祖母ちゃんだ。特にパパさんのお祖母ちゃんは病気勝ちなので、遠出は無理だと思っていた。初孫の結婚である。全員に出席して欲しい。

 パパさんの決断。「よし、(結婚式は)仙台でやれ」

 長男は納得して札幌に帰っていった。

 式場はパパさんがJRになって最初に手掛けた、仙台駅前のJR系列のホテルに決めた。

 結婚式前日、家はパパさん一族、ママさん一族でいっぱいになった。

 当日も朝からてんやわんやだ。マリオは何が何だか判らない。家の中をうろうろしていた。

 結婚式は大盛会で、パパさんもママさんもご機嫌で帰ってきた。

 娘が「お兄ちゃんのために」と演奏したお琴がご招待したお客様に大評判だったらしい。

 マリオも娘を見直していた。
                お兄ちゃん、おめでとう!

2009年2月2日月曜日

壮年期

ー単身赴任列車ー

本社に転勤して、半年過ぎた。パパさんも懸案に目途がついて普段のペースに戻ってきた。東北からの単身赴任社員も少なからず居て、本社勤務者で「みちのく会」という同好会を作り、パパさんが会長におさまった。さらに、パパさんは有楽町に「みちのく」という酒場を見つけて定例のノミニケーション会場にした


 本社は東京地区の機関出身者が多く、東北出身者は少数勢力で何となく心細い。そんなことを解消したり、悩み事相談を兼ねて結成したらしい。


 金曜日の夜、上野発の臨時新幹線、これが東北方面の単身赴任族の帰宅専用列車である。会社の勤務時間終了後の帰省には便利な時間設定の列車だが、あまりお客様にPRが行き届いていないため自由に座席構成できるのが魅力だった。


 誰ともなく幹事役が出て同乗者一同から千円ずつ集めて、売店からビールやつまみを買ってくる。


 時々パパさんは残ったつまみの裂きイカをポケットに入れて、マリオのお土産に持ってきてくれる。



 列車が走りだして数分。パパさんの「ヤー、一週間ご苦労さん」の掛け声で帰省列車の車内パーティを開始する。



 一週間の出来事や社内の情報交換をしながら、単身赴任列車は夜のみちのく路を家族の待つ仙台を目指して二七〇キロでひた走る。


 仙台に着いて寄り道するかどうかは、下車してから相談しているらしい。


                あまり無茶しないでよ!




2009年1月28日水曜日

壮年期

ー本社転勤ー

 パパさんが本社に転勤になるらしい。仙台には六年いてトップである上司も三人目だったから潮時だったかもしれない。

 ちょうど、次男が高校三年で大学受験を控えていたこともあり、引っ越しは面倒だから単身赴任だとパパさんは言った。

 「最后のお勤めだな」と言って本社に転勤した。

 バブルがはじけつつある時期で、当時のJR本社にはバブル時代に策定された案件がどっさりあったらしい。その中に国鉄改革の総仕上げのシンボル的なプロジェクトとして本社ビルの移転計画があった。

 そのプロジェクトはJR発足直後から計画が継続されていて、パパさんが乗り込んだ時期は方向づけが出来ていた。残された問題は1,000億円近い高額な建設費だった。

 パパさんはそのプロジェクトの全容に一通り目を通して心の中で叫んだ。
「何じゃー、これは!」

 建設費もさることながら、赤字のどん底から立ち上がった民営会社の(いくら業績がよいとは言え)本社ビルとしてはレベルの高い設計だった。パパさんはこのままプロジェクトを進めると、建設技術陣に再び汚点が残るような予感がして気を引き締めた。

 パパさんは二、三ケ月、家に帰る毎に疲れた感じだった。転勤する時、前の勤務箇所のトップに「あそこは激職だよ」と言われていた。

 パパさんは常々「仕事はゲームだ」だと割り切っていたが、その時だけは往生したらしい。

 投資財務の担当部署と相談したり、設計を見直したり大変だったらしいが、当初の総事業費を半減した。会社の常務会で大筋の了解が出て、やれやれとなった。

 次々とプロジェクトのコストダウンをして、計画案件を進めた。

 本社に転勤したパパさんの口癖。

 「何のことはない、バブルの後始末担当だよ」

 猫族は自分以外の猫がしたことを引き継ぐという行為はしない。たまに優しい雌猫が捨てられた子猫を育てることもあるが、これも滅多にあることではない。基本的に自立実行が猫の生活信念である。

 飼い猫稼業をしていると、どうしても飼い主に手をかけてもらうことが多くなるが、マリオも自立志向が信条でありプライドである。



2009年1月7日水曜日

壮年期



 長毛の動物は保温というメリットを除くとあまり良いことがない。猫族はほとんど短毛種が多い。古来、野山で過ごしていた時代は短毛だった。柄は自然色に近い色と周辺環境に馴染んで、狩りに便利なようにデザインされていた。

 猫の長毛種は人間と住むようになってから、人間の趣向に合わせて品種改良されたものだ。
 ペルシァ種のマリオも長毛のため、少なからずのハンディを背負っている。第一に毛並みの手入れが大変だ。

 短毛ならさっさっと済むけれども長毛は時間が倍以上かかし、舐めた毛が舌から腹に入る。繰り返していると胃袋で毛玉になる。時々吐きださないと体調を崩す。

 その上、季節の変わり目は抜け毛が激しい。激しいと言うより、白い毛は目立って仕方がない。ブラッシングやシャンプーが嫌いと言える身分ではないが、嫌いなものはやっぱり嫌いだ。

 

 さらに長毛の不便な点は排便の時である。お尻を専用トイレの砂にきっちり押しつけて所用を済ませるが、たまに体制が良くない時にお尻の回りの毛に排泄物が付着する。

 マリオとしても、用便後の手入れはするが、白いところに黒っぽい物がつくから目立つ。匂いもするから、家族にくんくんされる。

 娘に「マリオだな」と原因をキャッチされて、ティッシュペーパーで拭いて貰う。その後、さらにママさんと娘の二人掛りでお尻回りの毛のトリミングが始まる。

 痛くはないが、娘におしっこスタイルで抱かれてママさんがピカピカ光るステンレスの鋏で、お尻の回りをチョキチョキやられるから恐ろしさが先に立ち反抗したくなる。

 トリミングの後はお尻の回りが軽くなったようですっきりする。

 もう一つの難点は、外出禁止の状態で飼われると足の裏の毛が生える。特に長毛種は伸びるのが早いから、放っておくと毛のスリッパを履いたようになる。

 外に出ると土の上を歩いたり、運動も激しくなるから自然に擦り切れて毛が生えることはないが、箱入り生活ではどうしょうもない。

 足の裏は猫の行動する時の生命線だ。ヒゲと同じくらいの性能を持っている。歩行面の状態を確認しないで歩くことは、誠に不用心だ。地面の状態を足の裏で感知して周辺の状況に注意しながら行動することが、野生の本能なのだ。

 家の中のフローリングは、毛のスリッパ状になった足では誠に具合が悪い。急ぎ足になると滑って自由に歩けない。爪を立てながらゆっくり歩かなければならない。機敏さをもって良しとする猫にとって、まことに不便きわまりない。

 飛び移る時などは、滑って落ちたりする。猫としてはあるまじき光景で、娘はケラケラ笑っている。
 みかねたパパさんが足の裏の毛を切ろうとするが、トリミングと同じステンレスの鋏なので恐ろしくて切らせない。パパさんは暴れた状態で無理に切ると、足裏を傷つけそうになるので、マリオが寝込んだ時を狙って切る。

 パパさんのマリオに対する唯一の役目が足裏の調毛である。

 目が醒めて歩くと、まるで若返って裸足で歩いているような野性的軽快感が蘇ってくる。
                仕方がないんだよ!