2009年3月3日火曜日

                パパさん、大丈夫かな?



 パパさんが又海外出張だという。家に帰っても、横文字がプリントされたペーパーを片手に何やらぶつぶつ読んでいる。

 出張先はフランス、ドイツ、イタリアの三か国なそうだが、主な目的はドイツのシュツットガルト市で開催されるワトフォード会議主催の交通デザインフォーラムで講演することらしい。

 鉄道車両と鉄道施設(主に駅)と運行システム等のデザインを競うフォーラムで、パパさんの講演は「山形新幹線システムと駅のデザイン」と題して二〇分のイングリッシュレクチャーをする。

 若手社員二人と成田から出発した。最初の訪問先はJRのパリ事務所である。パパさんの知り合いがいて、その夜はパリ事務所の社員全員とシャンゼリゼの裏通りにある日本料理屋で交歓会になった。積もる話しに深夜一時過ぎまで飲んでしまった。

 その後、夜のライトアップを見に行こうということになり、パリ市内を深夜のドライブに出かけた。

 凱旋門からシャンゼリゼ通り、コンコルド広場、エッフェル塔等一時間ほどのドライブコースをパパさんの知り合いが、酩酊運転で案内してくれた。パパさんは後で同行した二人に「びっくりしたよナー、日本じゃ一発だぞ(お巡りさんに捕まる)」と言った。

 ドイツのシュツットガルトのデザインセンターで講演会が無事開かれたが、前日パパさんは大変だったらしい。公式行事なので自宅から紺のスーツを持参したが、ハンガーに吊るして置こうと取り出したら白い毛が一面についていた。スーツケースに入れる時、ママさんがガムテープで取ったのだが、一緒に入れたセーターから伝染したものだ。

 一時間ほど指で毛を取ったが、本当に大変だったらしい。

 翌日、フォーラムで何とか講演を終えた後、レセプションパーティがメルスデスベンツの本社ショールームで行われた。ベンツの展示室を一回り見学した後にメインホールに世界各国からの参加者が一同に会した。

 ここがパパさんの最大目的の場所であった。JRで山形新幹線の駅舎群を同じワトフォード会議のブルネル賞(交通関係で世界レベルのデザイン賞)に応募していた。パーティにはその審査員も参加するという情報だったからアピールするには、絶好の機会と考えた。

 しかし、よくよく話を聞くとブルネル賞はアメリカで審査されていたらしくて、パパさんは目の前が暗くなった。忙しいのに何のために来たんだ、と後悔したが後の祭りだった。

 気を取り直して、日本の自動車メーカーの駐在員やドイツ人の新聞記者と片言英語で懇談した。話は半分も判らなかったが、会話はお酒も手伝ってくれた。

 後でパパさんの講演した駅がフランクフルトの新聞社の新聞に掲載された。

 帰国したパパさんは日本の国際的な後進性を嘆いていた。なぜなら、このフォーラムでは十二人の講演者がいて、その内四人が日本人だった。


 会場には同時通訳が英・独・仏・利の四カ国準備されていたが、日本語の通訳はなかった。
 「日本語(同時通訳)があれば、俺の流暢な東北ジャパニーズで堂々と講演できたのに」と言っていた。

 もっとも、日本からフォーラムでの講演者は、海外経験の豊富な日本でトップクラスのデザイナー二人と海外勤務の経験のあるJRの車両担当の部長と施設担当のパパさんの四人だったから、日本語の同時通訳が必要なのはパパさん一人だけだった。

 猫語は万国共通であるから、マリオは「人間って不便だな」と考えていた。


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