2009年4月30日木曜日

追悼



 我が家の場合はペットを飼う動機として犬でも猫でも良かった。

 国鉄改革という激動の中で一家をまとめるための手段として、マリオを飼った。

 子供たちが思春期から独り立ちするまでの十三年間、マリオは家族のよりどころとして生きてくれた。

 マリオは転校で色んなハンディを背負った子供達に、心の安らぎを与えてくれた。親は口やかましく色々要求するが、マリオは子供達に何も言わないで側にいた。

 子供達は外部で不愉快なことがあってもマリオに命令したり、じゃれたり、添い寝をしたりした。

そうすることにより心の安心を取り戻し、マリオに真の愛情を感じていた。マリオは子供達の物を言わない親友であり、誇り高い子育て猫だった。

 父親が「鉄道民営化」という改革を駆け抜けるために、生活の変革を共にした三人の子供たちと妻に「愛と勇気」を与えてくれた。

 さらに、生あるものへの命の愛しさも教えてくれた。一緒に過ごした情緒豊かな時間や折々に見せたしぐさの記憶を数え切れないほど残した。与えてもらったぬくもりの大きさは計り知れない。

 そのマリオが、娘の嫁入りや次男の大学院進学の一週間後、子供たちの新たな旅立ちを確かめたかのように、故郷の盛岡に戻った翌日に天国に旅立った。

 子供達は思春期の難しい時期を、父親の都合で転校し挫折しながらも屈折することもなく、いわば平凡であるけれども他人に迷惑をかけないで、成人してくれた。

 自慢するところは何もないが、親としては満足である。

 国鉄からJRへ、仕事に没頭して充分(家族を)フォローできなかった。

 ネコ派的な子供まかせ(マリオまかせ?)の子育てであった。

 気持ちはイヌ派なのであるが、こちらの方は新生の鉄道会社に向いてしまった。
 
人間と同じ生活のペットは、人間と同じ病いが多いという。糖尿病、虫歯等、生活習慣病そのものである。マリオも腎臓の不調をかこっていたが、通院しながらも日常生活で飼い主に手を患わせる事も無かった。

 老年になって動作が緩慢になるとか食が細いなどの若干の老化現象はあったが、いざと言う時の俊敏性は残っていた。

 犬や猫は最初の一年が20才に該当し、後の一年を4才にカウントする。マリオの年令は人間で言うと約70才にあたる。

 獣医の「まだ5年は生きますよ」という言葉を信じて飼い主として油断があったかもしれない。

 人間のように老化による介護もなしに、1時間ぐらい苦しんだだけで、末っ子である次男の膝のうえで息を引き取った。

 家族に迷惑を掛ける事もなく、穏やかな死だった。

 愛しいものの死は、残されたものに存在を厳しく問う。

 家族としては、あまりにも突然の別れに戸惑いを隠せない。JRを退職し第二の関連会社も辞した直後である。

 火葬の朝、ささやかなデザイン事務所の看板が立てられたが、マリオの旅立ちと決別を象徴しているようだった。



               晩年のマリオ





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