2009年5月5日火曜日

あとがき

ーあとがきー

 ペット法(正確には、「動物の保護及び管理に関する法律」)が二六年振りに改正されました。過去のものはペット飼育に関して努力目標の規定になっており、実効性に乏しいものでした。

 改正法では、ペットを殺したり傷つけたりした場合に一年以下の懲役か百万円以下の罰金、餌を与えなかったり捨てた場合にも三〇万円以下の罰金となりました。従来は虐待や捨てた場合に三万円以下の罰金でしたから、大幅に厳しくなっています。

 法律の名称も「動物の愛護及び管理に関する法律」に変更されました。

 人間とペットの関係を法律で規制するのは不自然ですが、人間の勝手で不幸な末路をたどるペットも数多い中で法律に「保護」から「愛護」という精神を定義した意味は大きいと思います。

 ペットとして命あるものが、人間の庇護下に置かれた時にその依存性は限り無いものです。一時のきまぐれや衝動でペットを飼育しその煩わしさ故にペットを遺棄する人も少なくありません。

 ペットを飼う時は相当の覚悟が必要です。ひとつの命を預かるのですから、生易しいものではありません。
この世に生きるもの全てに(当然のこととしてペットにも)心があります。
 ひとつの例を紹介します。
 アメリカの獣医学者であるM・W・フォックス氏の著書に猫の喪中病のことが書いてあります。フリポーという猫の話です。

“この猫は飼い主であった女性の死をひどく悲しみ、彼女の寝室に閉じ込もった切りで何日も出てこようとしなかった。ベッドの横にうずくまり、誰かが近づくと逆上して飛びかかっていった。葬式の日には霊柩車について墓地まで行き、それから日曜日ごとに御主人といっしょに墓参りを続けた。そのうち毎日ひとりで墓に行くようになり、そこで物思いにふけるようになったのである。(原文のまま)

 フリポーという猫の行動は我々が認識しているペットとしての猫の能力をはるかに超えた行動ですが、人間の感情にも匹敵するような猫の(飼い主にたいする)愛情だと思います。

 命あるものは想像を超えた心を持っています。本書の主役であるマリオの死も飼い主同然だった娘が嫁いで居なくなったことが(体調が悪かったことと併せて)、精神的に起因しているような気がしてなりません。

 世の中のペット愛好家に訴えたいのは、愛玩対象としてペットではなく、人生のパートナーとしてペットの心を理解することに努力してほしいのです。

 そのことにより自分自身の気持ちを癒したり、心にゆとりを持てるようになって生きる勇気の支えにもなります。生活にも潤いが出て、気持ちが豊かになります。

 さらに、裏切ることのない真の友人としてペットを愛護してほしいのです。生あるものは何であれ、自分を大事にしてくれた人間にたいして、掛け値なしにその心を開いてくれるからです。


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