2009年5月2日土曜日

追悼



ー余談ー



 マリオが死んだ日、引っ越しの手伝いに来ていた次男が、マリオの死に顔をしみじみと見て慈しむように頭をなでて遺体に線香をあげてから、仙台へ出発した。


 仙台に到着して、電話を受けた母親に言った。


高速道路を時速130キロで飛ばしながらボロボロと涙が止まらなかったという。


 一見、無愛想な関係であったが、小学生時代から大学院生になるまでの13年間、存在感の強いきずなに結ばれていたのだろう。




2009年5月1日金曜日

追悼



 マリオが居なくなってからは夫婦二人の生活になった。

 常々、「二人と一匹で盛岡暮らしだな」と言ったが、その前提が崩れてしまった。

 夫婦二人(亀は健在)の生活はまことに単調である。

 とりあえず、自宅の書斎を事務所に始めたSOHO型のビジネスで、すぐに仕事があるわけでない。

 今までのサラリーマン生活と異なり、二四時間夫婦一緒に居ると些細なことで時々衝突する。

 どちらにも緩衝機能がないから、会話も途絶える。

 そんな時、「マリオが居てくれたらな」と思う。妻も同じである。

 さらに家をリフォームする時に外装から、内装の床、壁、天井を全てリニュアルしたがドアだけはマリオ専用のくぐり戸があるため再利用した。

使い主の居ない小さな戸が、余計不在感を煽っている。

 地方の設計会社の技術顧問がまともな仕事で、本来のデザイン事務所は稼働していない。
 なんとなく気合いが入らない。

 事務所を法人化して、技術士と一級建築士の事務所登録をしなければならないのだが、緊迫感が湧いてこない。

 盛岡へ戻って、生涯現役スタイルで頑張ろうと思った意欲が薄くなっている。

 これをペットロス症候群と言うのかもしれないが、空虚感が先にあってその実感はない。

 マリオの一回忌までには形ばかりでもステイタスを整えたいと考える。


それが天国のマリオの供養になるだろうと、日々の無気力を慰めている。



              ボクもそういう時ってあったな!








2009年4月30日木曜日

追悼



 我が家の場合はペットを飼う動機として犬でも猫でも良かった。

 国鉄改革という激動の中で一家をまとめるための手段として、マリオを飼った。

 子供たちが思春期から独り立ちするまでの十三年間、マリオは家族のよりどころとして生きてくれた。

 マリオは転校で色んなハンディを背負った子供達に、心の安らぎを与えてくれた。親は口やかましく色々要求するが、マリオは子供達に何も言わないで側にいた。

 子供達は外部で不愉快なことがあってもマリオに命令したり、じゃれたり、添い寝をしたりした。

そうすることにより心の安心を取り戻し、マリオに真の愛情を感じていた。マリオは子供達の物を言わない親友であり、誇り高い子育て猫だった。

 父親が「鉄道民営化」という改革を駆け抜けるために、生活の変革を共にした三人の子供たちと妻に「愛と勇気」を与えてくれた。

 さらに、生あるものへの命の愛しさも教えてくれた。一緒に過ごした情緒豊かな時間や折々に見せたしぐさの記憶を数え切れないほど残した。与えてもらったぬくもりの大きさは計り知れない。

 そのマリオが、娘の嫁入りや次男の大学院進学の一週間後、子供たちの新たな旅立ちを確かめたかのように、故郷の盛岡に戻った翌日に天国に旅立った。

 子供達は思春期の難しい時期を、父親の都合で転校し挫折しながらも屈折することもなく、いわば平凡であるけれども他人に迷惑をかけないで、成人してくれた。

 自慢するところは何もないが、親としては満足である。

 国鉄からJRへ、仕事に没頭して充分(家族を)フォローできなかった。

 ネコ派的な子供まかせ(マリオまかせ?)の子育てであった。

 気持ちはイヌ派なのであるが、こちらの方は新生の鉄道会社に向いてしまった。
 
人間と同じ生活のペットは、人間と同じ病いが多いという。糖尿病、虫歯等、生活習慣病そのものである。マリオも腎臓の不調をかこっていたが、通院しながらも日常生活で飼い主に手を患わせる事も無かった。

 老年になって動作が緩慢になるとか食が細いなどの若干の老化現象はあったが、いざと言う時の俊敏性は残っていた。

 犬や猫は最初の一年が20才に該当し、後の一年を4才にカウントする。マリオの年令は人間で言うと約70才にあたる。

 獣医の「まだ5年は生きますよ」という言葉を信じて飼い主として油断があったかもしれない。

 人間のように老化による介護もなしに、1時間ぐらい苦しんだだけで、末っ子である次男の膝のうえで息を引き取った。

 家族に迷惑を掛ける事もなく、穏やかな死だった。

 愛しいものの死は、残されたものに存在を厳しく問う。

 家族としては、あまりにも突然の別れに戸惑いを隠せない。JRを退職し第二の関連会社も辞した直後である。

 火葬の朝、ささやかなデザイン事務所の看板が立てられたが、マリオの旅立ちと決別を象徴しているようだった。



               晩年のマリオ





2009年4月29日水曜日

追悼



 マリオの死は家族にとって象徴的だった。


 八年振りに戻った家の庭は荒れ放題である 家を建てると同時に植えた桜が根元から枯れていた。


 庭のシンボルのような木だった。 普源桜という樹種で、満開になると大粒の八重の花がはち切られんばかりに咲いた。


 初春を彩る吉野桜と違い、一ケ月以上も精一杯咲き続ける。


 前年の秋までは辛うじて小さな芽を残していたが、引っ越し後に確かめたらマリオの死と呼応したかのように樹全体が枯れていた。


 マリオが死んで一ケ月後に八幡神社にお参りに行った。自宅のリフォーム報告と各地にいる子供達を含めて新生活の祈願である。


 境内で恒例の植木市が開かれていた。


 参詣の後、夫婦でぶらぶらと見て回った。


 枯れた桜と同じ木の苗を見つけた。小さな木であったが、淡いピンクの大粒の花を十数個つけていた。


 樹高の割に高価であったが、ためらわずに買った。


 木登りの好きだったマリオがよく登った普源桜である。


 ネムの木も買った。桜はマリオが幼くて元気だった頃の思い出だ。 ネムの木は妻が求めたが、追悼の意味があるのかもしれない。


             マリオの好きだった普源桜


2009年4月28日火曜日

追悼



ー白い物はマリオ?ー

 一晩、マリオの骨を祭壇にあげて、翌日埋葬に出かけた。

 マリオを埋葬して夫婦で帰る道すがら、野良風の猫にあった。赤い虎模様である。チッチッと舌を鳴らすと逃げないで見上げている。

 妻は「アッ、猫ちゃんだ」と言って近づいて頭をなでてやる。

 夫婦で立ち止まっていたが、そこに居るのはマリオではない。

 妻は「元気でね」と言って、立ち去った。

 振り返ると、猫はキョトンとした表情で我々を見ていた。

 家に戻り、中途半端になっている引っ越しの片付けを始めた。全く気が乗らない。

 マリオの突然死騒動で、なんとなく片付いているのは仏壇をセットした一階の和室のみで、他の部屋は段ボール箱の山である。

 盛岡に引っ越してから三日目であるが、今までの転勤のように翌日から出勤というわけでもなく、急ぐ必要もないためにゆっくり片付けることにした。

 気の乗らないまま、段ボールを持って運ぶと物陰にチラッと白い物が見える。

 瞬間的に「アッ、マリオ!」と錯覚してしまう。


 喪失感より不在感が強いのだろうか。死んだと思っていてもついそう感じてしまう。

 このことは数か月続いた。

 妻も同様で、「白いのを見ると、アレッ、マリちゃん、と思うよね」と言った。



                   段ボールの探し物


2009年4月26日日曜日

追悼




ー火葬ー

 ハワイへの新婚旅行から帰った翌日(マリオの死んだ翌日でもある)、朝一番の新幹線で娘が死んだマリオに逢いにきた。

 玄関を入るやいなや祭壇のある一階の和室に入った。

 飾ってある写真の前で、大粒の涙をポロリとこぼした。

 「マリちゃん」と言ったきり絶句した。

 数秒して、遺体に掛けてある白い布をとって、また呼んだ。

 「マリちゃん」

 薄く目を閉じて静かに寝ているようなマリオは何もこたえない。

 娘は夫が「マリオの好きな」と言って、持たせてくれたメロンを祭壇にあげると、マリオとの思い出が蘇ってきた。

 新幹線の車中もそうだったが、祭壇で寝ているマリオとの十三年間の想い出が走馬灯のように浮かんで来る。

 ペット店で、目に入れても痛くないように可愛げだった。

 ヨチヨチと無邪気にじゃれていた幼い頃。

 二週間も家出をし、心配で受験勉強も手につかず眠れなかった日々。

 高校受験、大学受験と悩んでいる時、無心に横に座っていた。

 恋愛時代、帰宅が遅くなっても必ず起きて待っていた。

 結婚式の前日、別れの朝に意味がわからないながらも、寂しそうなまなざしだった。

 そのマリオが結婚式から一週間後に天国に召されるとは想像もしなかった。

 その日の午後、獣医院から紹介された動物霊園の火葬場で、マリオは小さな小さな骨になった。

 火葬の煙は、細く長い一筋の白い糸のように、どんよりとした曇り空にたなびいていた。

 一時間半くらい霊園の待合室で待ってから骨を拾いに行った。

 まだ熱い鉄板上の一塊の骨を見て、娘がつぶやいた。

 「マリちゃん、こんなに小さくなって…」 骨を拾う時、娘は再びマリオが元気だった頃を思い出して涙が出た。

 涙は熱い鉄板の上に静かに落ちた。[

 涙がマリオの骨に吸い込まれていた。最后の一ミリ程度の骨も惜しんで拾った。

 帰りの車で、マリオの骨の入った箱を抱えて、娘は無言だった。

 家に帰って娘が言った。

 「マリちゃん、帰って来たよ」

 ママさんが後ろで涙ぐんだ。

 祭壇にお骨をあげて、一週間前の結婚式や旅行の話の後に、マリオの骨の処理について話をした。

 ママさんと娘の意見は違っていたが、娘の「だって、フォア・ザ・ファミリィでしょう」の一言で決まった。

 娘はトンボ帰りで、その日の最終の新幹線で東京に戻っていった。

 新幹線に乗り込む時、「お父さんもお母さんもマリオの部屋で寝てあげてね」と言った。

                  マリオのゆりかご









2009年4月22日水曜日

ペットロスの衝撃

ー喪失感ー

 大きな犬を飼うつもりが、猫になり、マリオという名前で十三年間家族同然に生活を共にしてきた。

 言い方を変えれば、マリオの死は人間ではないだけに存在感は大きかったといえる。

 次男に抱かれたマリオの遺体が獣医院から帰るタクシーの車内で、家族全員一言も口を聞かなかった。

 マリオが死んだという事実が重くのしかかり、壮大な喪失感が家族全員の心を支配していた。

 家に着いて、玄関を入ったところでママさんが始めて涙混じりの声で言った。

 「マリちゃん、おうちに帰ったよ」

 引っ越しの始末も中途で、マリオの仏壇づくりをする。

 近所に住んでいる祖父が花をもって来た。

 写真や血統書を飾り、線香・ローソクを備えて、パパさん、ママさん、次男が拝んだ。

 祖父も手を合わせた。マリオの冥福を祈る。

 育った家で、老後を悠々と過ごす筈だったマリオは静かに横たわっている。

 子供達とマリオが育った広い家が益々ガランとした空間に感じる。

 家族のシンボルだったマリオが死んだという事実だけが、家の中を支配していた。



               幼かった頃のマリオ


2009年4月19日日曜日

老境





ーわかれの日ー


 その日の朝、二階和室の釣り押し入れの下に毛布を敷いて貰い寝ていた。二日間食欲がなくて何も食べていない。

 体調が悪い挙げ句に、引っ越しで見知らぬ人間がひっきりなしに出入りして落ち着く間がない。水を少しずつ飲んでいるので、尿意は催してくる。

 起きてトイレに行こうとするが力が出ない。隣の部屋には次男が寝ているが引っ越し疲れで起きる気配はない。力をふり絞って階段までいったが、トントンとは降りられない。

 一段一段ようやく降りて、降りきったところで我慢できなくなった。
 その場で催そうと思ったが、リフォームしたばかりの床にするのはまずいなと思い、タイルを貼った玄関に降りて何とか用を足した。 居間のドアの前に行って声をあげようとしたが、声にならない。

 しばらく座って待っていると、朝御飯を済ましたパパさんが中々降りてこないマリオを迎えに行こうとドアを開けた。ドアの前にちょこんと座っているマリオを見つけた。

 「オヤ、マリオ、降りてきたのか、入れ」と声をかけた。ドアを開けたままパパさんはテーブルに戻って読み掛けの新聞を見ていた。

 パパさんの後をついて腰をあげて歩こうとするが、後ろ足がふらついて歩くことがままならない。それでも頑張ってキッチンのママさんのところまで行った。

 「あら、マリちゃん起きてきたの、ゴハンをあげるね」

 餌と水をたっぷり貰ったが、においを嗅いただけで食欲は湧いてこない。

 流しで食器洗いをしているママさんの横に座っていたが、ますます苦しくなってきたので、居間つづきの茶の間に積んである段ボールの間で横になった。

 マリオの後ろ姿を見たママさんが、「アレ!、マリの歩き方が変だわ」と叫んだ。

 まずパパさんがきた。「マリオ、どうした大丈夫か?」

 ママさんがきた。「マリちゃん、マリ、マリ、大丈夫?」

 「あっ、駄目、病院に行かなくちゃ」
 「マリちゃん、頑張るのよ」

 マリオの状態は最悪だった。

 苦しさを訴えたいが、呼吸をするのが、精一杯である。

 ママさんは完全にパニック状態で、仙台の獣医院で紹介されてきた盛岡の獣医院の電話番号をメモした手帳を探している。

 パパさんもおろおろしている。

 「今日は日曜だな、参ったな」とつぶやいている。

 とりあえず、次男が起こされた。タクシーを頼んで、バスケットを準備して底にバスタオルを敷いて病院にいく用意をする。

 その間ママさんは、ようやく見つけた手帳の獣医院に電話をして、救急状況を説明して診療予約を取りつけた。

 タクシーが来ないのでイライラしながら待って、乗り込んだ車内が大変だった。

 次男の膝に抱えられたバスケットを覗きこんだママさんの励ましが必死だった。

 「マリちゃん、しっかりして、ガンバるんだよ」

 「ハイ、お水を飲んで」とガーゼに浸した水を口に当てる。
 
 飲みたいと思っている水が口に入るが、飲み込めない。

 ママさんの「マリちゃん、マリちゃん、しっかりして、頑張るのよ」の励ましが耳元に響く。

 頑張ろうと思うが頑張れない。

 心の中で「ママ、助けて」と叫ぶ。

 頭上からの「マリちゃん、マリちゃん」という悲鳴に近いママさんの呼び声が、段々かすんでいった。

 意識が段々薄れていく。

 パパさんと次男はタクシーのスピードにイライラしている。

 苦痛が少しずつ和らいで、突然スゥーっと意識が消えていった。


獣医院…。

 獣医「ああ、瞳孔も開いて、心臓も止まっていますね」

 ママさん「やっぱり、駄目ですか」次の句が出ない。

 次男、只々無言。

 パパさん「先生、どうにか手を打てませんか」

 獣医「心臓ショックをやってみますか」

 「お願いします」「何とか助けてください」「頼みます!」

 治療室…。

 助手の女性が診察台の前で、マリオの心臓をマッサージしていた。
 獣医が電極盤らしいものを両手に持って、マリオの心臓の左右に押しつけている。何度か繰り返している。
 
 電圧を上げたのか、微かにマリオの体が揺れる。

 奇跡を祈って待合室から、じーっと見詰める家族。

 (パパさん、ママさん、次男)「生きてくれ」という無言の絶叫も空しく、獣医が診察台から離れた。
 
マリオは診察台に横たわったままだ。

「やっぱり、駄目か」パパさんがとつぶやいた。


 獣医が説明にきた。

 助手の女性が大事そうにマリオを抱いてきて、ママさんに渡した。

 ママさんは無言で頭を下げながら、愛しそうにマリオを受け取った。


まだ、命の温もりがかすかに残っていた。





2009年4月16日木曜日



ー育った家ー

 朝から騒々しい。パパさんとママさんは家具の荷造りをしている。


 次男はマンションに残り、そのまま学生生活を延長するから気楽そのものだ。


 ママさんは起きてこない次男に業を煮やして「起きて手伝いなさい、お父さんの会社から手伝いの人も来るのよ」と気合いを掛けている。


 マリオは朝御飯を貰うと「ここに居なさいね」と言われて、ベランダに出された。首輪付きである。ベランダの荷物を取る時、マリオが部屋を通り抜けて玄関から外に出ないための予防措置だ。
 マリオにとっては三度目の引っ越しになる。


 娘の帰宅を確認できないうちに、引っ越しの準備が始まった。娘の嫁入りから一週間過ぎたばかりだ。マリオは戸惑っている。


 9時過ぎに、いかめしい男性陣がやってきた。


 パパさんは「ヤァヤァ、どうも、忙しいのに申し訳ないね」と言っている。ママさんも恐縮している。


 そうこうしている内に、長男の嫁さんがジュニアを連れて手伝いにやってきた。10人近いメンバーで荷物を運びだして、昼前に10トントラックに荷物の積み込みが完了した。


 手伝いにきた男性陣は軽くビールを飲んだ後、昼食の鮨をつまんで帰っていった。


 ママさんが「アッ、そうだ、マリにご飯をあげなくちゃ」といって立ち上がり、首輪をはずして部屋に入れてくれた。


 キッチンで餌を用意して「これをマリちゃんにあげて頂戴」とジュニアに手渡した。


 ジュニアは座っているマリオの前に行って「マリちゃん、食べなさい」と置いて、そのまましゃがみ込んで見ていた。


 マリオは苦手なジュニアであったが、好物の鳥のささみだったのでちょっと口をつけた。


 「マリちゃん、もっと食べなさい」とジュニアは言ってくれたが、あまり食欲がなかった。これがマリオのライバル的存在だったジュニアとの最后の触れ合いになるとは誰も予想していなかった。


 昼過ぎに次男の運転で盛岡に向かった。途中パーキングエリアに二回寄った。普段はハイスピード走行の次男がマリオの体調を考えてのゆっくり走行だった。


 車の中でママさんが、タッパーに入れてきた大好物の鳥のささみを食べさしてくれたが、相変わらず食欲がなかった。


 それでもママさんは、「マリちゃん、食べなさい」と言ったので、二切れ程頑張って食べたら「ああ、良かった、良かった」と喜んでいた。


 高速道路を走り抜けると夕暮れの中に、南部富士と呼ばれている雄大な岩手山が見えてきて、ママさんが「マリちゃん、もうすぐ着くよ」と言った。


 インターチェンジを出ると、すぐママさんの実家である。実家ではなかなか到着しないので、心配したお祖父ちゃんが家の前で待っていた。


 四月の半ばであるが、盛岡はまだ冬の名残りがあって夜になると冷え込む。


 マリオは寝場所を探したが、適当なところがないので取りあえずヒーターの前に寝ることにした。


 こんな寒い日はママさんの蒲団にでも潜り込めば良いのだが、体調が悪くてそんな気にもならなかった。


 翌日、お祖母ちゃんの家から次男に抱かれて自宅に行った。自宅は新築同然にリフォームされていた。


 荷物はトラックから卸されて家の外や中に積まれてあった。マリオは荷物を運び込むうち、地下室で待機した。運び込みが一段落し頃合を見て、二階の部屋で一休みした。


 育った家は全面的に模様替えされて、幼かった頃とは大分違っていたが、ドアがそのままでマリオ専用のくぐり戸が残っていた。


幼かったマリオ 再び二階から降りて、地下室の窓から外を眺めていると幼かった頃の感触が戻ってきた。マリオには安心感が広がった。と同時に虚脱感に襲われた。


 そして、子供達と賑やかだった頃の懐かしい想い出に浸っていた。


2009年4月14日火曜日

老境



嫁入りー

 四月に入ったら何やら騒々しい。一人娘の嫁入りでママさんは忙しそうにしている。


 マリオには嫁入りの意味が判らない。娘は時々「マリちゃん、元気でね」と言って涙ぐんでいた。一番頼りにしている娘が居なくなるという現実も理解できない。



 結婚式の前夜。
 娘は、「マリちゃん、お別れだよ」と言って涙をこぼした。


 そして翌日、マリオと次男を残して全員居なくなった。
 次男も翌朝早く、姉の結婚式に出席するため東京に出かけた。


 夜遅くなって家族全員とお客さん二人(パパさんの妹と友人)が帰ってきた。しかし、全員ではなく、大事な人間が一人欠けていた。娘である。


 翌日、お客さんも帰って普通のペースの生活に戻った。しかし、何かがおかしい。いつもなら、長くても二~三日で戻る娘が帰って来ない。


 夕食後、居間のソファの背にライオン座りで玄関を見張る日が続いた。一週間過ぎても娘は帰ってこない。


 以前に似たようなことがあった。家族全員が十日ほど居なくなった時(パパさんの退職記念でヨーロッパ旅行)があった。


その時は、時々家に来ていたママさんの友達であるおばさんから朝と夕方に餌をもらった。


 だだっ広い社宅にひとり(一匹)で留守番は大変だった。ソファで待つのはまどろっこしくて、玄関のマットで外の物音に耳を澄ましながら家族の帰りを待った。


そのまま玄関で寝ることもあった。


 十日目の夕刻、聞き慣れた足音と声が、玄関の外から聞こえた時の嬉しさは表現のしようがなかった。


 玄関の戸がガチャガチャという鍵の音で開いて、娘が顔を出した。


 「マリちゃーん!、マリちゃん、ごめんね、寂しかったでしょう」


 その声を聞いた瞬間、嬉しさをうまく表現できずに、家中を走り回った。思い切り走って喜びが一通り治まったところで、家族全員から声が掛かった。


 ママさん「マリちゃん、いい子だったねー」


 パパさん「マリオ、おいで」


 次男「マリ、どれ、遊んでやるよ」


 十日振りで家族に会えて嬉しくて興奮が冷めない。体中の毛が逆立って、長い尻尾は太く直立していた。
 
今回は、その時とだいぶ様子が違う。


 娘の部屋は空き室同然で、(娘の)物がほとんど失くなった。


 日々に(娘の)匂いが消えていくのである。


 家族も(娘が)居ないのは当然という態度であるが、マリオには飼い主が居なくなったも同然だった。


帰りを待つマリオ 娘が居なくなったわけが理解できないマリオは孤独感がひしひしと強くなるのを感じていた。

             おそいなー!どうしたんだろう?

2009年4月12日日曜日



ーエーゲ海の猫ー

 パパさんは、翌年の春に娘が結婚し次男が大学院に進学することを機会に、長年の夢を実現しょうと決心した。

 現在の会社も約束した丸三年になる。JRへの最低の義理は果たしたと考えていた。

 建築と都市計画と環境デザインのオフィスを立ち上げようと考えていた。

 今までのサラリーマン生活に区切りをつけるため、現代の都市と建築の源流であるギリシァに旅行を計画した。

 過去の海外旅行の経験から、ヨーロッパは五月か六月が気候的にもベストシーズンである。パパさんは、五月は旅費が高いので六月に行くことにした。

 ママさんも一緒に行くことになり、ママさんとしては三度目の海外旅行で、カナダ、フランス、イギリス、イタリアについで五ヶ国目である。

 「言葉が通じると外国旅行も良いんだけど、ギリシァじゃネー」と言っているが、浮き浮きした感じは隠せない。

 「マリちゃん、留守番お願いね」と言って出かけた。

 娘も次男も居るから、どうぞ、行ってらっしゃい、の心境だ。

 ギリシァに行く途中パリ経由だった。ママさんは二度目のパリである。

 パパさんは三度目である。アテネにフライトするまで時間があったので、娘に頼まれたブランドのバッグを買いにドゴール空港からタクシーで街に出た。同乗したおばさん達と待ち合わせ場所と時間を約束してショッピングに行った。

 途中にオペラ座がありその前でママさんのワンショットの写真を撮っていたら、親切そうなフランスのおじさんが来て「トギャザ、トギャザ」と変な英語を使ってパパさんとママさんのツーショットを撮ってくれた。ママさんはさすが観光の街パリと感激していた。 その後がいけなかった。「ワンモ、ワンモと言って自分のインスタントカメラで二枚写された。代金が二〇フランだと請求された。

 パパさんは空港で両替した二万円分のフランスフランの中から払った。そのおじさんは「ジャポネ、リッチ、リッチ」と言って通りの向こうに行った。

 パパさんはブランドショップに急ぎ足で向かいながらレートを暗算して「あいつ!」と叫んだ。インスタント写真は日本円にして五千円以上の計算だったからである。

 ママさんはツーショットの写真が気に入っていたので「良いじゃないの、写真を撮って貰ったんだから」とけろっとしていた。

 ブランドショップはシャンゼリゼ通りから横に入った店で前にも行ったことがあって、ジャパニーズイングリッシュでも充分話が通じ、娘と長男の嫁さんの土産にバッグを買った。その後が大変だったらしい。


オペラ座前の写真騒動のため、約束の時間が迫っていて約束の場所まで夫婦で走ったそうだ。

 「シャンゼリゼを日本人の夫婦が走って、フランス人はびっくりしたでしょうね」とママさんが笑っていた。

 無事アテネに着いた翌々日、エーゲ海のスーニオン岬に向かう途中ランチタイムになり、海辺のカェテリアに寄った。

 カェテリアの周辺には観光客目当ての野良猫がいっぱい居た。

 ママさんは「ウワー、ギリシァの猫ちゃんだ」と感激しながら、マリオを思い出していた。

 帰ってから「頭が良いのよ、お父さんが肉をあげて、ジ・エンドと言ったら(ギリシァの猫は)おねだりしないんだから」と報告していた。

 マリオは(当てつけかなー)と思いながらママさんの横で神妙に聞いていた。


                   エーゲ海の猫たち



2009年4月9日木曜日

老境

ー就職活動ー


 景気が悪く、大学生の就職は超氷河期と言われている。そんな時期に大学四年になった次男は運が悪かった。


 目指した会社の面接までいったが、合格しなかった。


 次男は諦めが早い。


 パパさんも心配して色々アドバイスするがこれという妙案はない。


 土木系統だったのも災いした。


 バブル崩壊で土木系技術者の最大の受け入れ企業である建設業界は元気がない。



 当然関連の業界も不振である。


 パパさんは「大学院にでも緊急避難するか」とアドバイスした。


 次男は「えー、まだ勉強するのー?」


 次男は大学の教授に話しをして大学院にいくことにしたが、(大学院は勉強したい奴が行く所なのになー)と割切れない思いだった。


 マリオも一緒に複雑な思いをしていた。



              オニイチャン!大丈夫か?


2009年4月8日水曜日

老境



ー一念発起ー

 火曜日になると、ママさんが朝からいそいそとしている。パパさんがJRを退職してから習いものをしている。着物教室である。


 一念発起の50の手習いであるが、ママさんは真剣だ。


 1年経って講師の免状と看板をもらった。

 取りあえず人に教える資格らしい。


 ママさんはそれでは満足せずにその上にチャレンジした。


 パパさんも応援して、師範の免状とインターナショナル・ライセンスを獲得した。


 マリオもたいしたもんだと思った。


 ママさんの動機は長男の結婚式の時、ホテルの美容室に親族全員の着付けを頼んだことらしい。


 娘が結婚する時は、自分が着せてやりたいという意欲が、ママさんを一念発起させた。


 お免状を頂いてしばらくたってから、家にママさんの友達三人が集まるようになった。


 ママさんが先生のきもの教室の始まりである。


 毎週木曜日の午後、マリオの行動が制約される。


 着物に毛がつくため、娘の部屋に閉じ込められる。


 お稽古の時間は2時間であるが、その後がいけない。


 おばさん達の大座談会が始まる。延々と夕方6時ぐらいまで続く。


 マリオの我慢の限界にきたあたりで、ようやく教室のお開きとなる。


待ちくたびれたヨ 「マリちゃん、ごめんね」のママさんの一言でほっとする。


2009年4月5日日曜日

老年期




ー腎臓病ー

 マンションに引っ越した最初の夏になって、しょっちゅうマリオは水を飲む。おしっこも頻繁になった。喉が乾くというより調子が悪い。

 ママさんが異常に気がついて「マリちゃんどうしたの」と話しかけた。

 マリオもなぜ水を飲みたくなるのかよく判らない。ママさんは娘に相談した。

 「ちょっと、マリオがおかしいわよ」

 「次の土曜日に病院に連れて行こうかな」

 マリオも当年とって十一才である。人間に例えると老年期の入り口にある。飼い猫は人間と同じ生活をしていると、人間と同じような生活習慣病にかかるケースが多い。

 それに猫にとっては生活環境の変化が一番健康によくない。

 盛岡の家が快適だっただけに、仙台でのJRの社宅暮らしから現在のマンション生活と、猫族のマリオにとっては環境変化と生活悪化が激しすぎる。

 土曜日に娘の運転でママさんと獣医院に行った。

 獣医はママさんの説明を聞いて糖尿病か腎臓かどちらかと考えていた。検査の結果、案の定、腎臓の機能がやや低下していた。

 獣医は命にかかわるほどではないが、注意するに越したことはないと猫の腎臓病に良い食餌療法を勧めた。
ママさんは獣医院から、食餌療法用の缶詰をどっさり買った。

 家に帰ると、娘が缶詰を開けて「ウワー、まずそう」と言いながら「はい、マリちゃんお食べ」とマリオの前に置いた。



 マリオは匂いを嗅いだが、ベチャベチャした感じと薬っぽい匂いがしたため口をつけなかった。娘は食べさせるにはどうしたら良いか、作戦を考えた。



 まずい食事を改善するには、大好物の鰹節を掛けるのがマリオには効果がある。



病院の缶詰の餌にたっぷり鰹節をかけた。マリオは大好物の鰹節だけをきれいに食べて、餌には口をつけなかった。



 そんなことを繰り返しているうちに、少しずつであるが体重が減ってきた。



 一ケ月程過ぎて、獣医院に行くと体重が四キロ弱である。往時には六キロあった。獣医は「げきやせですね」と言った。



 獣医院から戻って、ママさんと娘は方針転換した。食事療法を諦めて、マリオが好きな市販の猫用高級食に戻した。


     飛んでゆく鳥を見るしかやることがないんだよ!

2009年4月2日木曜日

老境

―社会人大学院ー


 パパさんが論文らしきものを一生懸命書いている。


 娘がそれをワープロで清書するお手伝いをしている。


 どうやら、地元の大学院の社会人募集に応募する気らしい。


 再就職した会社ではルーチンワーク(決まった仕事)があるわけでなく、JRでバリバリやってきたパパさんには日々が物足りない。


JR時代に従事した「プロジェクト・マネジメント」を経営学の論文にまとめるという目的らしい。


 春先に、技術士の経営工学の国家試験に合格し、その上会社の仕事が暇すぎて当面の目標がないのも原因している。


 ママさんも子供達も冗談だろうと思っていたが、パパさんは本気だった。


 面接試験から帰ってきてママさんに話していた。


 「(受験者の中に)俺より年配の人もいたよ」


 四月から、56才の大学院生になった。


 「教授がほとんど年下でやりにくいよ」と言いながら、結構楽しそうだ。


 毎日行くわけでなく、選んだ講座のある時間だけ行けば良いらしくて、閑職同然のパパさんとしては全然負担にならない。


 隔週の土曜日に特別研究の講座もあるが、この日は娘に車で送られていく。


 大学院は学部からの進学組や留学生の若い院生が多く、時々留学生に教授と間違えられるらしい。


 マリオはその時のパパさんの様子を想像して、楽しくなった。


 オヤジ院生のパパさんも慣れてくると、学生気分になるのか、今日はゼミの連中と飲んできたとか教授と国分町でカラオケをしたとか結構楽しそうである。


 「トルコから来た○○ちゃん可愛いぞ」と言ってママさんのひんしゅくを買っている。


 研究室では院生に親分と呼ばれて慕われているらしいが、ママさんには「真面目に勉強しなくちゃ駄目よ」と言われていた。



                   東北大学



2009年3月30日月曜日

老境

ーライバル登場ー

 札幌から神戸に転勤していた長男が仙台に転勤してきた。

仙台の家から札幌に転勤した時は独身であったが、今度は嫁さんと神戸で生まれたジュニアと三人で戻ってきた。

 パパさん、ママさんにとっては初孫である。

 パパさん五十五才、ママさん五十四才である。おじいちゃん、おばあちゃんと呼ぶには若干抵抗のある年齢である。

 それでも二人はニコニコしている。目に入れても痛くないとはこのことだろう。

 家庭の主役だったマリオにとってはライバル登場で、マリオのステイタスの危機でもある。

年をとっても、我が家のアイドルを自認しているマリオは家族の愛情を横取りされるような危機感を感じていた。その上何よりも嫌いな赤ちゃんである。

益々、憂鬱になる。

 ジュニアはよちよち歩きであるが、まだはいはいが楽らしくて歩くことは少ない。

 幸いなことに、長男は会社の社宅に住むので嫁さんがジュニア同伴で訪問した時だけのストレスになる。

 それにしても、家に来ると大変である。

ママさんはジュニアを抱っこして「ほら、マリちゃんだよ」とくる。逃げ出したいのをじっと我慢している。

 そのうちジュニアも慣れてきて、「ニャーニャ、ニャーニャ」と近寄ってくる。

 マリオには恐怖の連続である。

 救いは娘がいる時だけである。

 「ねー、マリちゃん、ジュニアなんて」とマリオをかばってくれるが、気持ちは少しずつジュニアに傾いている。

 ジュニア用語。ジィジィ=パパさん、バァバァ=ママさん、ネェネェ=娘、ニィニィ=次男、ニャーニャ=マリオである。

マリオには何のことか判らない。

 ジュニアは来る度に大きくなっている感じで言葉もしっかりしてくる。マリオの呼び方も「ニャーニャ」から「マリちゃん」に変わった。

 マリオは時々ジュニアにジェラシーを感じる時もあったが、餌を運んでくれたり、優しい一面のあるジュニアが少しずつ憎めなくなっていった。

 それに同性という親しみもあったかもしれない。


2009年3月29日日曜日

老境

ーマリオの憂鬱ー



 慌ただしく引っ越しをした。今まで住んでいた社宅から距離にして三百メーターくらいなので、ほとんど梱包もしない。次男に大学の友達数人を集めさせて、アルバイトを兼ねた引っ越しで運送屋にも頼まないユニークな引っ越しである。


 トラックをレンタルしたため、結果的には運送屋に頼むより高くついた。パパさんは次男の友達のミニ奨学金だと割り切っている。


 ともかく、新しい出発である。マリオは二度目の転居で、猫にしては移転が激しい方だ。猫は生活環境が変わることが一番こたえるが、家族全員一緒なのでマリオは気にならない。とはいうもののひとつだけ欠点があった。


 今度の家は四階にあって、土がないのが大変である。幼い頃から、庭付きで育って前の社宅も一階だったから首輪をして前庭に放してもらった。今度のマンションではそのようなことは期待できない。

ベランダがあるが、今まで上ったことのない高さである。目の前の竹藪にいろんな鳥が飛んで来ることくらいが、日々の変化になる。


 家の広さも前の社宅より一回り小さい。どうやら引っ越しする度に家が狭くなる。


 パパさんはマンション購入で思わぬ大出費になり苦虫顔だが、ママさんはあこがれのマンション生活でルンルンである。


 住んで一か月ほど過ぎて、マリオは体調不良をかこっていた。

やっぱり土に接しないのは具合が悪い。

盛岡の家でも、JRの社宅でも庭があってマリオの好きな青草があった。マンションにはそれがない。


 長毛の猫は毛並みを揃えると、どうしても毛が口に入る。

それが胃の中で毛玉になる。

そうなると吐き出さなければならないが、青草を食べないと吐き出しにくい。

そのためもあってか、体の調子がよくない。


 一度、開いていた玄関から外に出てみたが無表情な通路があるだけで、どこからか人が突然現れそうで、慌てて家に引き返した。


 ママさんが気づいて、前に住んでいた社宅の庭から青草を取ってきてくれた。マリオは新鮮な青草がこんなに美味いものかと改めて感じた。


 娘もペット屋から猫の好きな草の種を買ってきてくれるが、プランターに植えて食べられるまでには二週間ぐらいかかる。


 このままマンション生活が続くかと思うとマリオは憂鬱だった。


                新聞を眺めるマリオ

2009年3月28日土曜日

老境




ー住宅問題ー

 当然だが会社を退職すると社宅には居られない。一般的には退職前に自宅があるのが普通である。ところがパパさんにはその準備がなかった。

 パパさんは退職したら自宅のある盛岡に戻る積もりだったが、系列会社に出向してそのまま転職したため、勤務地の仙台には(住宅を)考えていなかったのである。

 当然、受け入れ要請のあった出向先の会社で考えてくれると思っていたが、その会社は通常のOB社員と同じに考えていたため社宅は準備しなかった。パパさんは激怒した。

 会社の幹部を呼びつけて、「来て欲しいと言いながら、(住宅を)準備していないとは何事だ」と怒った。

 会社は慌てて自社保有のマンションを呈示したが、古い、汚い、狭いの三拍子揃ったもので、家族四人と一匹が住むにはほど遠い代物だった。

 パパさんは街を歩くと不動産屋をせっせとのぞいた。中々適当な場所、適当な家賃の物件が見つからない。たまに適当な物件が見つかってもペットお断りだ。

 家族にも危機感が出てきて、娘はアパマン情報を買ってきて色々物色していた。

 ゴールデンウィークはどこかに旅行でも考えていたが、レクレーションどころではなかった。娘の運転でパパさん、ママさんが不動産屋を回り、賃貸物件を見て歩く。しかし、いずれの物件もマリオの存在が問題だった

 散々なゴールデンウィークでパパさんは怒り心頭に達していた。

 「何でこんなことになるんだ」と思い、真剣に(今の会社を)辞めて盛岡に行こうと考えていた。


パパさんは自分が役職定年まで勤めたJRに社宅にいて(住宅が見つからず)迷惑を掛けていることを気にしていて、やりきれない思いでいた。


 ある朝、ママさんが「お父さん、これはどうかしら」と一枚の新聞のちらしを出した。中古マンションのオープンセールのちらしだった。


 パパさんは仙台には三年居たら盛岡に帰る予定だったので、住宅を買うことは眼中になかったが、マンションは社宅の近くだったので、日曜日の午後、家族全員で見に行った。

 都心にあったが周辺に緑が多く構造的にもしっかりしていて、共用部分の管理もいき届いていて感じの良いマンションだった。ママさんはレンガ調の外観が気に入っていた。

 オープンルームは綺麗に掃除されていて、三LDKの標準的な間取りだった。

 住宅探しに辟易していたパパさんは即刻決心した。

 「買おう」

 ママさんは一瞬びっくりしたが、ホッとしながらもどこをリフォームするか部屋から部屋を見て歩いた。

 そのマンションの管理規約も御他聞にもれず、(ペットお断り)だったが、室内犬の鳴き声が所々でしていて、そのことがパパさんの決断の最大原因であった。

                マンション




2009年3月27日金曜日

壮年期

ー退職ー


 国鉄20年、JR10年勤めたパパさんが55才の誕生日を迎えた月末に退職することになった。


 国鉄改革という激動を挟んでの鉄道勤務30年である。


 主に建設畑を歩んで、大きなプロジェクトにタッチしてきた。


 新幹線は東北に始まり、3本のフル新幹線と3本のミニ新幹線の建設に携わった。パパさんが手掛けた駅や駅ビル、ホテルも東北の各地にある。


 終盤、JR本社にいたため東京地区を始め全社のプロジェクトにも従事した。


 正に、地図に残る仕事をしてきた。


 技術者としては恵まれた会社人生だった。順調そのものと言える。

 国鉄・JRを通じて良い上司に恵まれ、高いハードルを乗り越えようと一体になって頑張ってくれたスタッフに支えられながら難関を乗り越えてきた。


 順調でなかったことが一つあるが、それもこれからの人生では滅多に経験できない貴重な体験と言える。国鉄改革だ。


 最近は大企業の倒産やリストラから構造改革と称する政府の特殊法人の民営化論議がかしましいが、昭和60年代前半、第二臨調による行政改革という御旗の元で実行された巨大国有企業の民営化は想像に絶するものがあった。特に国鉄は整理対象の人員、資産、債務処理等々大変な規模であった。


 組織の変更、余剰職員の転職、仲間との離別、創業時の経営的な不安と危機感、これらに遭遇し乗り越えて今の新生鉄道がある。


 10年経過した民営会社として安定してくると、8万人の巨大組織(JR東日本)なだけに意識的な面で官僚的な回帰現象が見られるが、昔の国鉄に戻りようがないとパパさんは考えている。


 長い技術者生活で腹の立つこともあったが今となれば小さなことで満足感が先行する鉄道人生だった。


 マリオも家族と一緒に「パパさん、ご苦労さん」と思っていた。


                 パパさん、本当にご苦労さん!

2009年3月26日木曜日

壮年期





ー始めての海外旅行ー


 パパさんは出張も含めて何度か外国を旅行しているが、ママさんは一度も行ったことがない。ママさんは海外より日本の温泉が良いなのタイプで、外国には行きたいと思っていない。国内派だ。




 国内は結構旅行している。九州、北海道、北陸等、京都は三回ぐらい行っている。




 「京都は何度行ってもいいわ」と国内派を自認している。




 JRが夏休みをかけてJALのジャンボをチャーターして、カナダツアーを企画した。パパさんの出向している会社もグループ企業として参加することになった。




 ママさんも一緒に行くという。ママさんは始めての海外旅行で何となく不安である。盛岡のお祖父ちゃんお祖母ちゃんに報告する。




 フライトは仙台空港からなので、こちらは気軽にいける。




 娘と次男に空港まで見送られてカナダはバンクーバーに向かった。




 空港に着いて、ママさんの第一声。




 「外人が多いわね」




 初日は夜のトロント空港に向かうまでの時間、市内観光になった。出発の前に添乗員が「カバンはあそこのコンベアーに乗せて下さい」と言ったので、パパさんはスーツケースとママさんの手回り鞄を乗せた。やたらと身軽な感じになった。




 市場を見たりしてママさんには結構楽しいコースだった。空港に戻ってトロントにフライトした。トロント空港で各人のカバンを取ったが、ママさんの手回り鞄がない。チケットが付いていなかったためバンクーバー空港で積み込まなかったらしい。




 添乗員が空港の係に照会しても出てこなかった。帰りもバンクーバーになるため空港に捜索をお願いして、次なる訪問地、ナイヤガラの滝に向かった。




                   
 ママさんは初日からパニックである。外国で身の回りの品物が無くなって心細かった。


 翌日、滝見物もそこそこに、ナイヤガラフォールズの街外れのスーパーまでショッピングに行った。歯ブラシ、櫛、化粧品などの日用品の効能をパパさんに翻訳させながらの買い物である。



 帰りのバンクーバー空港で奇跡的に携帯鞄が見つかった。



 日本からカナダへ飛んだだけの鞄だ。



 それでもママさんは「良くあったわねー」と感激していた。



 ママさんの海外旅行はトラブル続きである。



 パパさんの退職記念に家族でヨーロッパ旅行した時は、ユーロトンネルが火災事故で不通になり、急遽フランスのカレー海岸からドーバー海峡を巨大なホバークラフトに乗り、イギリスまで横断したらしい。



 その後ギリシァに行った時はエールフランスのストライキに遭って、急遽ロンドン経由の英国航空で帰国した。


                 エーゲ海の猫


 ママさんは「海外旅行はもういいわ」と言っているが、マリオは信じていない。