2008年4月10日木曜日

育ち盛り

ー雀ー



 半年たった頃、ママさんのママさん即ちお祖母ちゃんだが、自分の庭で雀を捕まえてくれた。庭に穀類を蒔いて、ザルを木の棒でつっかいにして、その棒を紐で引いて捕える方法でまことに原始的な捕獲法である。
 それはそれは根気のいる作業だ。何度も何度も失敗しながら、とうとう捕まえた。さらに飛んで逃げないように羽を切った。
 なにか「舌切り雀」の物語を彷彿とさせるが、かわいい孫娘のマリオのためだ。
 お祖母ちゃんは単純にたまに孫娘が連れてくるマリオの玩具代わりの積もりだったが、マリオにとっては生まれて初めて狩猟本能をくすぐる対象になった。
 

 日本が現在のように豊かでなかった時代の飼い猫は、飼い主から貰う餌よりも、自分で捕まえる餌が主食だった。特にネズミは大好物であった。人家に害を及ぼすネズミを捕獲する猫は、人間にとって有り難い存在だったが、いつの頃からか生活が豊かになり猫はペットとして愛玩の対象に変貌した。
 ペルシャ猫のマリオにも、遠い昔の猫族の狩猟本能が残っていた事は言うまでもない。お祖母ちゃんの捕まえてくれた雀を捕まえては放し、爪でじゃれては様子を見る。たまに軽く噛み付いて反応を試す。
 とにかくマリオには猫としての本能をくすぐられた一日になった。
 毛は根元からピンと立って体も普段の倍くらいに膨らんで、マリオは闘争心を掻き立てられた。お祖母ちゃんの仏間のある部屋は、雀の抜けた羽だらけになった。
 かわいそうな雀は、マリオの波状攻撃にさらされて息も絶え絶えになっていた。
 さすがに、食べることはなかった。普段の美食がそうさせなかった。
 獣類は、小さい頃は母乳を飲み、乳離れをすると親の獲物を分けて貰いながら狩りの練習をする。狩りが一人前になるタイミングで親離れをして独り立ちしていく。
 しかし、現代のペットとしての獣類(特に猫)にはそのような機会が与えられないケースが多い。逆に、ネズミを見ると逃げ出す猫もいるという。
 そのような状況でマリオの体験は貴重なものであった。
親代わりのお祖母ちゃんとも言える。

 お祖母ちゃんは雀のほかに、トンボとか、大きめの蛙を捕まえてくれた。
 蛙の嫌いな娘はお祖母ちゃんに抗議しながら、「マリちゃん、止めなさい」と叱っていたが、マリオは意に介せずピョンピョン跳ねる蛙に夢中になっていた。




2008年3月30日日曜日

幼い頃2

ー下痢ー
 二か月くらい過ぎた頃、体調を崩した。下痢が止まらなくなった。
 何を食べたか判らない。とにかく下痢の連続である。
 食事は娘が食べやすい大きさにしてくれる物は何でも食べた。
 好き嫌いはあまりない。人が食べるものはほとんど食べる。
 梅雨時であるため、体調も良くない。
 幼猫食から成猫食に移りつつあって、消化不良も考えられる。環境もまぁまぁだが、一日中ジメジメした気候で体調が落ち込んでいる時だけに、生まれて初めての病気は始末が悪い。
 一日様子を見たが、下痢は治まらない。食欲も無くなっていく。見る見る元気がなくなった。
 ママさんと娘が心配して、獣医院に連れて行った。薬を貰って来て無理やり飲まされた。それでも治らない。別な獣医院に行ったが、病状は好転しない。 思案に暮れたママさんは、ペット屋に電話した。それを聞いたペット屋のおかみさんは特別な薬を持ってきてママさんに説明してマリオに飲ませた。
 おかみさんは「これで駄目だったら諦めてください」と言った。
 ママさんは、毎日忙しく帰宅が遅いパパさんががっかりするだろうし、受験勉強中の娘への影響を考えると心配だった。
 「マリちゃん、マリちゃん」と声を掛けながら一晩中看病してくれた。
病み上がり 薬を飲んだマリオは、くすくすしながら寝ていた。朝になると食欲が出てきた。便はまだ柔らかいものの、液状ではなくなった。 週末は元気なマリオが家の中を走り回っていた。

ー首輪ー
 白い長毛なため、体が汚れるという理由で自由に外出させては貰えない。
 外に出る時は、首輪をつけて散歩になる。正に、犬並みである。散歩係はママさんである。それも気が向いた時だけだ。さらに、家の近くに限定される。
 ママさん曰く「だって(ワンちゃんならともかく猫の散歩は)格好悪いわよ」である。
 首輪をつけるのは、この散歩の時と庭に放される時だけだ。
 
 家の中にいる時はつけない。

 首輪は嫌いだが、大好きな外へ出られるので我慢している。
 この首輪も家族によって、つけ方が違う。
 
パパさんは中間タイプ。
 ママさんはきつめタイプ。動き回るのに苦しい。
 娘は超ゆるゆるで時々外れる。
 何本か買い換えて貰ったが、品定めは娘の役割で常にカラフルな女性色の首輪を買うため、これをしていると決して雄猫には見えないという代物だ。
ボク 首輪は娘の同性願望の表れとマリオの外出願望が妥協したシンボルだった。




ーショッピングー
 ママさんと娘がショッピングに行くと、娘は必ずマリオの大好物の缶詰を買ってきてくる。エビとか白身の魚とか鳥とかビーフ肉とか種類は色々である。
 パパさんが少しつまんで食べて「オッ、これは(酒の)つまみになる」と言った。
 「こんな美味いもんを食べさしてんのかー」と感心している。
 娘はショッピングから帰ると必ず玄関に迎えに出るマリオに、
 「マリちゃん、美味しいのを買ってきたからネー」と言って、台所でがさがさ音をさせながら缶詰をだして食器に入れてくれる。
 そんな繰り返しをしているうちに、マリオは買い物袋をのぞく癖がついてしまった。

高じて、家に届く宅急便を始めとする荷物も気になってしょうがない。段ボールをほどいているママさんの横に座って待っている。 「マリちゃんのはないよ」と言われても確認しないと気が済まない。ママさんが中の荷物を出して空になった段ボールを確かめる。時には中に入る。
 「マリちゃん邪魔だから退きなさい」と言われて渋々段ボールから出る。とにかく、買い物が気になって仕方がない。
 長男だろうが次男だろうが、パパさんだろうが、買い物らしい袋を持って帰った時は中身が気になって落ち着かない。

2008年3月16日日曜日

幼い頃








ーおねだりー
 育ち盛りのマリオにとって、餌を貰うのが楽しみだった。娘が居る時は優先的に食事の準備をしてくれたが、ママさんは「猫より人間が先」という哲学があって後回しにされた。
 プライドが先行する猫族としては、やってはならない事であるが背に腹は変えられないとばかり、おねだり作戦を実行する事にした。 夕飯の支度に忙しそうなキッチンのママさんの足元に回りついた。
 「マリ、邪魔よ」と素っ気ない。諦めようとしたが、空腹が治まる訳ではない。
 次なる手は実力行使である。
 爪を立ててママさんの足にまつわる。
 「あれ、マリちゃん、どうしたの」と、それでもマリオの訴えを理解する気配がない。
 さらなる作戦は声で訴える。
 「ニャーオ!」(餌をちょうだい!)
 「何なのよ、アッ、お腹が空いているの?」
 「ニャーオ」(そうだよ)
 ようやく、マリオの「プライドかなぐり作戦」は成功した。






 その後も人間優先のママさん哲学は生きていたが、その度実力行使した。
 何度か繰り返している内に、ママさんもおさんどんの邪魔になるため、方針を変更してくれた。
マリオがプライドを捨てて媚びたのは、これ以外あまり記憶がない。






ー友達ー
 家族五人と猫一匹の暮らしは快適であったが、時々寂しくなる事があった。
 それを察したのか、娘が子猫の縫いぐるみを買ってくれた。兄弟猫達とは似て似つかない薄茶色のもので、最初の内はじゃれたりしていたが反応がない。その内あまり関心がなくなった。居間の片隅に押し込んで無視した。
縫いぐるみ 「折角、買ってあげたのに」と言っていた娘が、又別な縫いぐるみを買ってきた。今度は、小猿の縫いぐるみである。見た事もないかたちで、ちょっぴり興味をそそられた。娘は縫いぐるみの後ろを持って、挑発するようにマリオに押しつけた。親愛感とともに、闘争心も感じられ飛び掛かった。娘も縫いぐるみを操って戯れた。益々、飛びついて爪を立てたり、噛み付いたり、抱きついて猫キックを見舞ってやった。なかなか面白い。一緒に寝たり、気が向くとじゃれたりして、マリオは小猿の縫いぐるみがお気に入りになった。
 それからしばらく経ってから、パパさんとママさんが庭を造成した祈願に八幡神社にお参りに行った時、境内の物売り屋さんから、亀を買ってきた。ママさんが、マリオがひとりで寂しいからと言って買ったらしい。
 ママさんに「はい、マリちゃんお友達よ」と言って目の前に置かれたが、小猿の縫いぐるみと同じ初めて見るもので何かわからない。 おまけに、手も足も顔もない。でも生き物という感じはするので、しばらくじっとして見ていると顔が出てきた。まわりを見渡していたが、マリオを見るとびっくりして顔を引っこめた。
 マリオは害を加えそうもないので顔を出すのを待っていたが、なかなか顔を出さないので恐る恐る甲羅に手をかけた。ビクともしない。テラス戸の方に行って様子を見ているとしばらく経ってから、亀は顔を出し手と足を出してノソノソと歩きだした。
 ちょっと気持ちが悪い。
 それでも良く見ると形はおかしいが、愛嬌のある顔をしている。マリオは小さい亀に何となく親近感が湧いてきた。
 普段は広い居間でお互い勝手きままに動いているが、何となく意識し合っている。 そして、一匹同士の親愛感情が生まれた。

幼い頃



ーおねだりー


 育ち盛りのマリオにとって、餌を貰うのが楽しみだった。娘が居る時は優先的に食事の準備をしてくれたが、ママさんは「猫より人間が先」という哲学があって後回しにされた。


 プライドが先行する猫族としては、やってはならない事であるが背に腹は変えられないとばかり、おねだり作戦を実行する事にした。

 夕飯の支度に忙しそうなキッチンのママさんの足元に回りついた。


 「マリ、邪魔よ」と素っ気ない。諦めようとしたが、空腹が治まる訳ではない。




 次なる手は実力行使である。
 爪を立ててママさんの足にまつわる。


 「あれ、マリちゃん、どうしたの」と、それでもマリオの訴えを理解する気配がない。


 さらなる作戦は声で訴える。
 「ニャーオ!」(餌をちょうだい!)


 「何なのよ、アッ、お腹が空いているの?」
 

「ニャーオ」(そうだよ) ようやく、マリオの「プライドかなぐり作戦」は成功した。



 その後も人間優先のママさん哲学は生きていたが、その度実力行使した。


 何度か繰り返している内に、ママさんもおさんどんの邪魔になるため、方針を変更してくれた。


 マリオがプライドを捨てて媚びたのは、これ以外あまり記憶がない。



2008年3月10日月曜日

●幼い頃●





ー出会いー
 マリオとの出会いは、国鉄改革の1年前にさかのぼる。
 その直前に、行政改革の嵐が吹き荒れる国鉄本社に勤務していた。
 昭和56年、第二臨時行政調査会(第二臨調)の設置にともない、中曽根内閣成立の翌年58年6月に国鉄再建監理委員会が発足し、本格的かつ現実論として国鉄改革論議が国内を沸かした。
 その状況下で、財政危機に瀕した国鉄改革をめぐり国鉄内部には体制護持派と分割民営派の組織を二分する熾烈な闘争があった。当初、民営派は劣勢であったが、キングメーカー・田中角栄氏の突然の病によって流れが変わった。
 その後、当時の運輸大臣・三塚博氏の著書「国鉄を再建する方法はこれしかない」の出版により、115年続いた巨大組織の国鉄分割民営の方向は決定的になった。
 
そんな中で、改革目前の昭和60年に、本社から古巣の盛岡に転勤になった。
 高校生だった長男の転校問題の難しさもあり、家族を東京に残しての単身赴任だった。地方出身者としては逆単である。当時の国鉄の現場は分割民営化にたいする不安で渦巻いていた。
自宅に一人住まいをしながら、生来の正義感の強さと管理職の職分とあいまって、部下の処遇問題、債務償還用地の区分け作業、新しい旅客会社の地方組織の組み立てや雇用対策等々で東北六県を奔走する日々を過ごし、東京に置いてきた家族を振り返る余裕がない状況だった。
 本社から情報をとり、現場の状況に置き換えて、民営化に備える心構えと準備に奔走する毎日だった。
 当時、家族の状況は妻と高校三年生の長男を筆頭に中学2年生の長女と小学四年生の次男の子供達だった。めつたに帰ることがなかったが、国鉄の分割民営化を1年後に控えた昭和61年の正月に帰京し、久し振りの家族団欒となった。
 頭の中は転勤時と違い、1年後の国鉄改革の際に改革以降の去就が定まらない状態で、家族と離れ離れで職場消滅を迎える不本意な事態を避けたい気持ちもあり、家族を赴任地でありかつ自宅のある盛岡へ連れて行くための説得をする必要にかられていた。
 高校を卒業する長男と小学生の次男はともかくとして、一番の難題は、高校受験を控えた多感な思春期真っ盛りである中学生の長女の転校問題であった。
 
長女との話し合い…。
 「お父さんの話は判ったよ。その代わり、私のお願いを聞いてくれる?」
 「盛岡に行くなら、何でも聞いてやるよ」
 「あのー、犬を飼って欲しいんだけど」
 「よし、わかった。犬でも何でも欲しいものを飼ってやるよ」
 「ラッシー(大型犬コリーの別称)だよ」
 内心、あんな大きな犬を飼ったら始末が悪いなと思いつつ、
 「ああ、わかったよ。ラッシーでも何でも飼ってやるよ」と大見得を切ったものの、これはえらい約束をしたという感がした。
 国鉄解体と自分の去就がはっきりしない状況下で、とにかく家族が一か所にまとまることが最優先だった。盛岡は自宅でもあるし、犬を飼うぐらいは、たいしたことはないと多寡をくくったのが、マリオと出会いの予徴だった。
 国鉄分割民営を一年後に控えた三月に、我が家はめでたく東京から盛岡へ転居し家族全員そろった。転居したとはいえ、民営化の作業は目白押しで家族の団欒どころではなかった。
そんな状態で、東京での娘との約束は薄紙同然だった。
 
或る土曜日の夕方、娘が遠慮勝ちに話しかけてきた。
 「お父さん、ラッシーはいつ飼うの?」
 「何?」
 「ああ、そうだったな」再び(困ったなー)
 「ウン、解ったよ。明日、見にいくか」
 「ウン、いいよ」
 とんでもない週末になった。
 当時、自分の去就もはっきりしない状況で、娘との約束とはいえ大型犬を飼うということは非常な難題であった。一年後に控えた国鉄改革による自分の去就如何によっては、飼育の責任を果たせるかどうか自信がもてなかった。
 ない知恵を絞ったあげく(そうだ。猫ならなんとかなるか)早速、ペット店に電話した。
 「生まれたてのかわいいペルシァの子猫がいますよ」(しめた!)
 翌日の日曜日。
 「犬を見に行くか」(内心は猫)
 「ウン、いいよ」
 父と娘は、大きな気持ちのズレをそれぞれ抱えて、ペット店に向った。
 ペルシァの子猫は四匹いて、真っ白な毛糸の塊に眼と手足がついたような子猫達は生まれて一ケ月位のためペット店の居間で育てられていた。
 昼過ぎの時間、子猫達は毛糸の毬とかお互いにじゃれ合ったり、それは可愛く無邪気そのものだった。
 娘は、コリーそっちのけで四匹のじゃれ合いを見ること小一時間。
 「お父さん、私、猫がいい」
 (しめた!)
「おう、いいよ」
 即日、ペット店の餌持参で、手の平に乗るような小さい小さい一匹の子猫が我が家にやってきた。
 5月のある日曜日の昼下がり、パパさんのペット購入作戦大成功の日だった。



                       マリオ(右から2番目)



ーマリオー
 娘は高校受験を控えた中学3年生での転校で、東京と盛岡のカリキュラムの違いと友達の別れという二つのハンディを背負って悪戦苦闘したことは想像にかたくない。そんな時のなぐさめ相手がマリオだった。
 名付けも、娘である。
マリオは雄であったが(血統書はFEMALE=雌になっていた)、家にきた時は500グラムで手の平に乗る程度だったから、かわいさが先で性別は問題でなかった。
 受験勉強そっちのけで思案した結果、「マリオ」と命名した。
これには、大学浪人の兄も小学生の弟も文句なし。なぜなら、当時ファミリーゲームで同名のソフトが人気を集めていた時期だったからである。
 鼻が低く、眼がクリンと大きく、顔の平べったい、長毛の真っ白な子猫がマリオと命名されて、家庭のアイドルにおさまった。
ちびっ子“マリオ” パパさんはマリオが自由に出入りできるように、家中の戸を改造してマリオ専用の入り口を作った。6LDKと地下室・屋上からなる住宅が、マリオの自由な行動範囲となった。
 ほとんど娘の部屋に入り浸りだったことは紛れもないが、小さなマリオにはこれから住むことになる全空間を踏査する必要があった。
 特に、浪人中の長男、少年野球とファミリーゲームに夢中な次男、ここの雰囲気と居心地を確かめなければならなかった。
 普段は無愛想なくせに、時々見せる親愛な態度と意地悪く攻めてくるじゃれ合いが交互にあり、マリオには理解不能な兄弟だったからだ。

ーしつけー
 親元を離れたマリオにとって、見た事もない家に連れてこられて不安この上なかった。パパさんと娘は連れてきた当事者であるから問題はないにしても、その他の同居人が気懸りである。長男と次男は「ホォー」と言う感じで、まずまずだった。
 問題はママさん。
 「本当に、連れてきたの」「大変よ」と言って無視する振りをした。
 娘とパパさんはペット屋で聞いてきたとおり、急ごしらえのトイレを作り、段ボール箱に毛布を敷いたベッドを用意した。
 娘は当然の事として、自分の部屋にマリオのベットを置くつもりでいた。しかし、ママさんの強硬な反対で実現しなかった。中学3年の娘は、1年後の高校進学のため受験勉強しなければならず、一緒の部屋だと勉強をしなくなると言うのがその理由だった。かくして、マリオのベットルームは吹き抜けの階段横のスペースになった。
 ペット屋で(猫の)大家族主義の中で育てられたマリオには、とてつもなく寂しい環境である。夜になって家族が寝ると、静かな空間に独りきりという感じだった。
 母猫や兄弟と寄り添って、それらの鼓動を聞きながら眠った状態とはほど遠く、思い出して、か弱い声で泣き通した。
 深夜にパパさんが起きてきて「どうしたマリオ、寝なさい」と声をかけた。
 そして当時、流行の自動巻きの腕時計を何回か振って段ボールの隅に置いていった。
 マリオは静かに「チッ、チッ」と音を立てるものに耳をかしげていた。
 それは兄弟猫達の鼓動にも似ていたが、温かさがない音である。
 それでも時計の音に耳を傾けているうちに眠気を催してきて、寂しさを忘れて知らず知らずのうちに眠ってしまった。
 日中は娘の部屋で寝る事にして、夜は階段横のスペースで就寝する生活になった。パパさんの時計が子守歌である。
 一般的に猫はペットとして飼い主と一緒に寝るが、ママさんの厳しいルールにより独り寝の習慣がついた。
 そのせいか、成猫になっても人間と同じ布団の中で寝るのは嫌いになった。真冬の寒い日にやむなくもぐりこむ位で、そんなことは1年に10日もなかった。
 抱かれることもあまり好きではなかった。人間の膝に乗るなど考えたこともない。
 だからと言って家族が嫌いと言うわけではない。幼い頃の躾がきいているからだ。

2008年2月20日水曜日

ペルシャ猫とファミリーの愛情物語“マリオのゆりかご”

                         

―改革を駆け抜けた技術者一家とペルシャ猫の愛情物語―
      「マリオのゆりかご」

-梗 概-



 国鉄職員だった自分の家族のペット(ペルシァ猫のマリオ)飼育に至るプロローグから、「マリオ」が死亡するまでの13年にわたる家族史と共に、鉄道民営化のエピソードをからめたドキュメントです。

 国鉄改革1年前に、妙ないきさつから家族の一員になったペルシァ猫「マリオ」を軸に、115年の歴史と40数万人の職員を擁する巨大組織だった国鉄民営化の渦中から、民営化された鉄道会社に職を転じた技術者一家を「マリオ」の視座から表現しています。

 3人の子育ての難しい時期を控えながら、父親は民営化の作業に没頭し家族を振り返る余裕がない状況の時に家族の一員として登場したのが、本作品の主人公「マリオ」です。

 マリオは生活の変革を迫られる子供達に、家族同然の存在感と逆境をくぐり抜ける「癒しと勇気」を与えました。

 思春期の多感で受験を控えた時期に生活環境の変化を強いられ、友人関係や受験対策などに苦戦したであろう子供達に心の安らぎと生きる勇気を与えた「マリオ」の生涯史であり、また改革の渦中にいた技術者一家と、ペットでありながら家族の一員であった「マリオ」と共生した13年間のクロスオーバーストーリィです。

 あらすじは、家族の生活の中で「マリオ」の成長と子供達との触れ合いと国鉄民営化のエピソードが綴られています。子供達の成長と「マリオ」の存在が、家庭をバラエティに富んだものにしました。ペットと言うより、一人格を持つ「マリオ」はコミカルだったりナーバスだったりして、子供達の成長過程で物言わぬ心の友としてふるまったのです。マリオには家族が、子供たちにはマリオが精神的なゆりかごだったのです。

 一見平穏な家庭にも、父親の定年と前後して成人した子供達に変化が出てきました。卒業、就職、結婚と独り立ちの時期が子供達に訪れると共に、その変化に戸惑う老境の「マリオ」がいました。

 飼主同然だった娘の結婚を理解できないまま、生れ育った故郷に帰り、子供達との別れの中でその天命を閉じたペルシァ猫「マリオ」と、昨今、声高に叫ばれている行政改革のさきがけを駆け抜けたささやかな技術者一家との13年間の愛情物語です。


ーはじめにー
 今、空前のペットブームです。
 国内だけで犬が約1,210万頭、猫が約960万頭(2006ペットフード工業会調)飼育されています。人口は2004・12の1億2,784万1千人(国勢調査)をピークに減少していますが、飼育ペット数は年々増加しています。
 全世帯のうち推定の飼育世帯率は犬が19・4%、猫が14・9%あるそうです。犬と猫以外のペットも相当数いることを想定すると、ほとんどの家庭で何らかの形でペットと触れ合う生活をしていると考えられます。
 これは戦後の高度成長のなかで、家族形態が変化してきた影響だと思います。大家族から核家族に進展していく過程で、少子・高齢化や晩婚・未婚化、さらには独居老人などと家族のかたちが人間同士の触れ合いの少ないものに変容した結果としての補完的な意味があるのかも知れません。
 動機はともあれ、多くの方が様々なかたちでペットと触れ合う生活を楽しんでいると思います。
 ペットを飼った人でないと理解できないかも知れませんが、ペットがいる生活といない時の精神的な落差は例えようがありません。
 ペットに興味のない方は「たかが…」と思うでしょうが、慈しみ触れ合ったペット愛好家にとっては「されど…」なのです。
 筆者は小学生の頃三毛猫を、高校生時代に秋田犬を、結婚して家族ができてからインコや兎を飼ったことがありますが、ペットの専門家ではありません。
 本書に書いたマリオという1匹のペルシァ猫と家族が過ごした13年間の話しは、折々のほんの一断面に過ぎません。天命であったと思いますが、家族の人生の節目を見届けるように死んでいったマリオのことを憶っているうちに、とぎれとぎれに想い出が浮かんできて、自然に筆を取っていました。
 思春期の多感な子供達が成長する過程で、折々に精神的な支えになったマリオに対する感謝と哀悼の気持ちなのかも知れません。そういう意味で、本書は純粋なペット書ではありません。13年間、子供たちにとってはマリオが、マリオには家族が心の「ゆりかご」だったのです。
 古い世代の一部の人達は家畜類を総称して「畜生」と呼んでいましたが、人間と区別するという意識なのでしょう。しかし、この世に命を受けたすべての生物が心を持っているということは疑う余地がありません。
 今までの研究の結果、猫の脳は高度に発達していることが解明されています。猫の脳の構造は人間のものと同じなそうです。
 人間は猫に比較して記憶と言語中枢が極度に発達していますが、運動神経や情緒中枢は猫と類似しているといわれています。このことから猫が人間と同じような感情を経験していると言っても大袈裟なことではないと思います。
 明治の文豪夏目漱石が猫の行動を観察してその人間的な擬態から、猫を主人公にした小説を書いたのも何となく理解できるような気がします。
 文中、マリオを擬人化し、マリオの視座で表現にしていますが、マリオの幼い頃から家の中で13年間も一緒に生活していると、猫とはいえ対等の同一人格のように錯覚してしまいました。
 さらに、今次叫ばれている行政改革の先駆けでもあった国鉄改革という巨大な国家レベルの大事業の渦中に居たささやかな技術者一家とペット共生のクロスオーバーストーリィでもあります。
 部分的に推測を交えながら、我が家族の愛してやまなかったペルシァ猫の物語をペット愛好家の皆様にご報告いたします。



                           


次回から、本文に入ります。ご愛読をお待ちしております。